第12話 毒と薬②

 そこから先は、あえて語る必要もないだろう。


「これが私の生い立ち。ね? つまんないでしょ?」


 冗談めかして言ってみたが、ヒノは何も返さない。


「……えっと、ヒノ?」


 生憎、私は相手の表情を読めない。だから、今ヒノが何を思っているのか、言葉にしてくれないと分からない。

 そう思っていたのだが、言葉以外にも、相手の感情を読み取る方法はあった。

 ヒノの行動が、それを思い出させてくれた。

 彼女は、小さな手で、私の頭をわしゃわしゃと撫でたのだ。

 困惑する私に、ヒノは優しい口調で言う。


「マーちゃん、すごく頑張ったんだね。えらいえらい」 


 瞬間、胸の奥底から、形容しがたい感情がせり上がってきた。

 それを押し止めることは出来なかった。あっという間に涙が溢れてきた。


 「う、うぅ……! そうなのっ……っ! わた、私、頑張ったの……! い、一生懸命っ、必死でっ、っが、頑張ってぇ……っ!」

 

 言葉が上手く出てこない。思考が全然まとまらない。でも不思議と嫌じゃない。

 やっと分かった。

 私はただ、誰かにそう言ってほしかった。

 認めてほしかった。

 褒めてもらいたかった。

 優しく頭を撫でてほしかった。

 ただ、それだけだった。

 涙で濡れた目隠しを外し、顔を伏せる。

 それでも涙は止まらず、閉じた瞳の端から、頬を伝って足元に落ちた。



結局、それから小一時間ほど、涙が収まることはなかった。  

やっと気持ちが落ち着いて、洟をすする私に、ヒノが聞く。


「落ち着いた?」

「……うん」


 本来は、私が彼女を看病して、励ましてあげなければいけない立場なのに。逆に励ましてもらうなんて、情けない。

 情けないと思っているはずなのに、同時にもっと撫でてほしいと思ってしまう。

 そんな私の心を見透かしたように、ヒノは穏やかな口調で言いながら、私をぎゅっと抱き締めた。


「マーちゃんには、ヒノがいるよ。傍にいるよ。だから、だいじょーぶ。だいじょーぶ」

 

 倣うように、私も彼女の背中に両腕を回し、優しく抱き締めた。


「……ありがとう。ヒノには、私がいるよ。だから大丈夫だよ」 

「あははっ、マーちゃん、今日は甘えん坊さんだね」

 

 その言い方は止めて。恥ずかしいから。





 その日の深夜。

 私は床の軋む音で目を覚ました。

 この足音……。あいつか。

 ベッドから身を起こし、扉の方へ向けて手をかざす。

 すると、床の軋む音が止んだ。

 私はゆっくりとベッドから降りて、慎重に移動し、扉を開き、手探りで周囲の様子を探る。

 指先が何かに触れた。遠慮なくベタベタと触り、その全体像を掴んでいく。

 間違いない。そこにいるのは人間。女性だ。

 私は目前の不審者に告げる。


「逃げようとしても無駄だよ。時間操作の魔法で動きを止めたから。今の君は、悲鳴を発することさえ出来ない。たとえ殺されたとしても」


 魔法使いを名乗る者はこの世にごまんといるが、時間を操り、敵を無力化できる魔法使いは私くらいだろう。

 今この瞬間だけを切り取れば、私が絶対無敵の超人に見えるかもしれない。

 だが、それは誤解だ。

 たとえば、敵に拘束された状態で、時間停止の魔法を使用した場合。敵が止まってしまうと、自分も身動きが取れなくなってしまう。

 という具合なので、時間操作系の魔法は、実践においては運用が難しい。想像に反し、ちっとも万能ではないのだ。

  それはさておき。私は不審者に語りかける。


「ここ最近、私たちの周りを嗅ぎ回ってた人だよね? その足音、よく覚えてるよ」


  私が見えていないからか、隠れもせず堂々と尾行していた。舐めてもらっては困る。

 大方、私の金遣いを目撃し、金持ちだと判断して、強盗に入ったのだろう。

 その一方で、私も軽率だった。 改めて考えると、ヒノが心配だったとはいえ、あちこちの薬屋を半泣きで駆けずり回り、手当たり次第に薬を買い込んだのは不味かったかもしれない。

 反省を二秒で切り上げて、不審者に意識を向け直す。


「私が盲目だから舐めてたのかな? 私、小さな国なら一人で滅ぼせるくらい強いよ」


 これは嘘。

 ちゃんと計画を立てて、信用できる仲間と協力して、ミスさえしなければ、私はどんな大国をも崩せる。

 でも、そんなこと言われても普通の人間は信じない。だから実際よりも規模を小さくして、現実味を強くしたのだ。

 自身の技量に惚れ惚れしながら、私はズボンのポケットに忍ばせていた丸薬を取り出す。


「これ、風邪薬なんだけど、ほんの少し別の薬を混ぜるだけで、毒にもなるんだよ。しかも、人間なんて簡単に殺せちゃうレベルの猛毒」


 手の中の毒を、私は不審者の口元に押し当てる。時が止まっている人間特有の、温かくも冷たくもない触り心地。


「二度と私達に近づかないで。次に同じことをすれば……殺すから」


 忠告して、薬を唇から離した。

 それを私はポケットに戻してから、軽く指を鳴らす。


「顔と右手と左足だけ、動かせるようにしてあげたよ。ほら、早く行って。チンタラしてると、今度は永遠に止めるよ?」


 ゲホゲホと苦しそうに咳き込みながら、不審者の足音が遠ざかっていった。

 あ、そうか。忘れていた。顔周りの筋肉だけを止めると、呼吸が出来ないから窒息してしまうのだ。ここ一年ほど、人を止めていなかったので忘れていた。危うく殺してしまうところだった。

 まぁ、結果オーライだ。盗人程度なら、あれくらい脅せば十分だろう。

 ……どんな人間が、どんな手を使おうと、ヒノは私が守る。

 何があろうと、絶対に。

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