第12話 毒と薬②
そこから先は、あえて語る必要もないだろう。
「これが私の生い立ち。ね? つまんないでしょ?」
冗談めかして言ってみたが、ヒノは何も返さない。
「……えっと、ヒノ?」
生憎、私は相手の表情を読めない。だから、今ヒノが何を思っているのか、言葉にしてくれないと分からない。
そう思っていたのだが、言葉以外にも、相手の感情を読み取る方法はあった。
ヒノの行動が、それを思い出させてくれた。
彼女は、小さな手で、私の頭をわしゃわしゃと撫でたのだ。
困惑する私に、ヒノは優しい口調で言う。
「マーちゃん、すごく頑張ったんだね。えらいえらい」
瞬間、胸の奥底から、形容しがたい感情がせり上がってきた。
それを押し止めることは出来なかった。あっという間に涙が溢れてきた。
「う、うぅ……! そうなのっ……っ! わた、私、頑張ったの……! い、一生懸命っ、必死でっ、っが、頑張ってぇ……っ!」
言葉が上手く出てこない。思考が全然まとまらない。でも不思議と嫌じゃない。
やっと分かった。
私はただ、誰かにそう言ってほしかった。
認めてほしかった。
褒めてもらいたかった。
優しく頭を撫でてほしかった。
ただ、それだけだった。
涙で濡れた目隠しを外し、顔を伏せる。
それでも涙は止まらず、閉じた瞳の端から、頬を伝って足元に落ちた。
◇
結局、それから小一時間ほど、涙が収まることはなかった。
やっと気持ちが落ち着いて、洟をすする私に、ヒノが聞く。
「落ち着いた?」
「……うん」
本来は、私が彼女を看病して、励ましてあげなければいけない立場なのに。逆に励ましてもらうなんて、情けない。
情けないと思っているはずなのに、同時にもっと撫でてほしいと思ってしまう。
そんな私の心を見透かしたように、ヒノは穏やかな口調で言いながら、私をぎゅっと抱き締めた。
「マーちゃんには、ヒノがいるよ。傍にいるよ。だから、だいじょーぶ。だいじょーぶ」
倣うように、私も彼女の背中に両腕を回し、優しく抱き締めた。
「……ありがとう。ヒノには、私がいるよ。だから大丈夫だよ」
「あははっ、マーちゃん、今日は甘えん坊さんだね」
その言い方は止めて。恥ずかしいから。
◇
その日の深夜。
私は床の軋む音で目を覚ました。
この足音……。あいつか。
ベッドから身を起こし、扉の方へ向けて手をかざす。
すると、床の軋む音が止んだ。
私はゆっくりとベッドから降りて、慎重に移動し、扉を開き、手探りで周囲の様子を探る。
指先が何かに触れた。遠慮なくベタベタと触り、その全体像を掴んでいく。
間違いない。そこにいるのは人間。女性だ。
私は目前の不審者に告げる。
「逃げようとしても無駄だよ。時間操作の魔法で動きを止めたから。今の君は、悲鳴を発することさえ出来ない。たとえ殺されたとしても」
魔法使いを名乗る者はこの世にごまんといるが、時間を操り、敵を無力化できる魔法使いは私くらいだろう。
今この瞬間だけを切り取れば、私が絶対無敵の超人に見えるかもしれない。
だが、それは誤解だ。
たとえば、敵に拘束された状態で、時間停止の魔法を使用した場合。敵が止まってしまうと、自分も身動きが取れなくなってしまう。
という具合なので、時間操作系の魔法は、実践においては運用が難しい。想像に反し、ちっとも万能ではないのだ。
それはさておき。私は不審者に語りかける。
「ここ最近、私たちの周りを嗅ぎ回ってた人だよね? その足音、よく覚えてるよ」
私が見えていないからか、隠れもせず堂々と尾行していた。舐めてもらっては困る。
大方、私の金遣いを目撃し、金持ちだと判断して、強盗に入ったのだろう。
その一方で、私も軽率だった。 改めて考えると、ヒノが心配だったとはいえ、あちこちの薬屋を半泣きで駆けずり回り、手当たり次第に薬を買い込んだのは不味かったかもしれない。
反省を二秒で切り上げて、不審者に意識を向け直す。
「私が盲目だから舐めてたのかな? 私、小さな国なら一人で滅ぼせるくらい強いよ」
これは嘘。
ちゃんと計画を立てて、信用できる仲間と協力して、ミスさえしなければ、私はどんな大国をも崩せる。
でも、そんなこと言われても普通の人間は信じない。だから実際よりも規模を小さくして、現実味を強くしたのだ。
自身の技量に惚れ惚れしながら、私はズボンのポケットに忍ばせていた丸薬を取り出す。
「これ、風邪薬なんだけど、ほんの少し別の薬を混ぜるだけで、毒にもなるんだよ。しかも、人間なんて簡単に殺せちゃうレベルの猛毒」
手の中の毒を、私は不審者の口元に押し当てる。時が止まっている人間特有の、温かくも冷たくもない触り心地。
「二度と私達に近づかないで。次に同じことをすれば……殺すから」
忠告して、薬を唇から離した。
それを私はポケットに戻してから、軽く指を鳴らす。
「顔と右手と左足だけ、動かせるようにしてあげたよ。ほら、早く行って。チンタラしてると、今度は永遠に止めるよ?」
ゲホゲホと苦しそうに咳き込みながら、不審者の足音が遠ざかっていった。
あ、そうか。忘れていた。顔周りの筋肉だけを止めると、呼吸が出来ないから窒息してしまうのだ。ここ一年ほど、人を止めていなかったので忘れていた。危うく殺してしまうところだった。
まぁ、結果オーライだ。盗人程度なら、あれくらい脅せば十分だろう。
……どんな人間が、どんな手を使おうと、ヒノは私が守る。
何があろうと、絶対に。
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