第9話 手と足①
「ふぐっ」
額に軽い痛みを覚えて、目を覚ました。目覚めたとて視界は真っ暗だけど。
記憶を掘り起こしたり、手足をもぞもぞと動かしてみたりして、周囲の様子を探る。
低くてボロい天井。年季の入ったタオルケット。軋む小さなベッド。私の頭部付近にある、ヒノの細い脚。
おそらく、私の額を捉えたのは、彼女の膝だ。
「ヒノ……、ちゃんとお布団に入って。風邪引いちゃうよ」
もにょもにょした声で注意すると、もにょもにょした反論が返ってくる。
「入ってるよぉ。マーちゃんが、変なところにいるのぉ」
言われて、枕の位置やベッドの向きを再確認。
「……ほんとだ」
訂正。大移動していたのは私だった。恥ずかしい。顔が火照る。図らずも意識が覚醒していく。
目が冴えてしまったので、仕方なくベッドから起き上がった。
毛羽立ったカーペットの上を慎重に歩き、窓辺まで移動し、大きなガラス窓を開け放つ。
もし今の様子を第三者が見たら、きっと不思議に思うだろう。目の見えない私が、窓から何を見るつもりなのかと、尋ねたくなるだろう。
勿論、理由はある。
絶景のある場所は、大抵、音や香りも美しいものなのだ。
それらを楽しもうと、私は深呼吸して、耳を澄ます。
硝煙の香り。空を裂く銃撃音。遥か彼方より響く悲鳴。
「……分かってたけど、気分の沈む音と匂いだなぁ」
この国は今、隣国との戦争の最中にあるそうだ。
◇
かの有名な【魔女】に、是非とも話を聞いてみたい。
それが、国王を含む国の重役たちの総意らしい。
そして私とヒノは、城塞の奥にある、石造りの一室へと案内された。
長年、大勢の部下に檄を飛ばしてきたであろう、厳しく重々しい国王の声が言う。
「長きにわたり我が国は、隣国と戦争状態にあります」
しかし、対面に座る私の心は動かなかった。
それ自体は、さほど珍しいことじゃない。
戦争はいつもどこかで起きて、無作為かつ無情に大量の命を奪い、それと引き換えに世界中の経済を活性化させる。要は武器を売るお祭り。まさに政。
この国もまた、そういった経済活動に精を出しているだけだ。善でも悪でもない。
不意にヒノが声を弾ませた。
「うわー! すっごい!」
「どうしたの?」
尋ねると、彼女は楽しそうに返す。
「窓の外、人の手が沢山あるよ! 山盛りだよ!」
一瞬で、堆く積み上げられた大量の右手が脳内に出現した。
真っ赤に血濡れたそれらを、遠目から眺めれば、きっと大火と勘違いすることだろう。多分。
話題とは裏腹に、優しい口調で、国王は付け加えた。
「ああやって、殺した敵の右手を切り取ることによって、討伐の証としているのです。討伐した敵の数に応じて、報奨金が支給される仕組みです」
「……なるほど」
この類の集計方法は、他の地域でも聞いたことがある。耳を切り取ったり、舌を切り取ったりする国もあるらしい。
ふと、国王の方から嘆息が聞こえた。
「ただ、最近はこの集計方法にも、調整が必要ではないかという意見が出ているんです」
「どうしてですか?」
「集まった手の数が、敵国の兵士の数よりも、明らかに多いのです。一体、兵士たちはどこから右手を調達しているのやら」
「……」
存在しないはずの右手。
つまりは、存在しないはずの人間が大量に殺された上、その右手が切り取られているのだ。
◇
隣国にも行ってみたい。
そう私が言うと、国王を含む上役たちは、ひどく驚いた。
国王が素っ頓狂な声で私に聞く。
「あちらの国へ行くんですか!?」
「はい。無理ではないんですよね?」
「か、可能ですが……」
そう返したものの、彼はかなり慌てている。
上役たちとゴニョゴニョ話し合った末、国王は咳払いしてから結論を伝えてくれた。
「わ、分かりました。彼の国に緊急連絡をして、あなた方を迎え入れるよう頼んでみましょう。きっと何とかなると思います。何せ貴方は、世界の財産である【魔女】ですからね」
そして、彼の予想通り、隣国は私とヒノを受け入れてくれた。
◇
隣国の匂いと音は、さっきまでいた国と、ほとんど一緒だった。
煙ときどき火薬。所によって悲鳴。あるいは激しい銃撃音。
戦争は国や地域から色を消し、奪い、画一化させる。
戦地に行くたび、戦争は経済活動の一環でしかないということを痛感する。
私とヒノは、先ほどと同じような材質の、同じような城の、同じような一室に案内された。
私一人だったら、ぐるぐると移動した後で、全く同じ場所に戻されたとしても、気付けなかっただろう。
私たちの対応をしてくれた男性は、この国の外務大臣を名乗った。
念のため、私は最初にこう伝えた。
「我々の目的は観光です。交戦の意思はありません」
「ご安心を。我々は原則、民間人に危害は加えないという前提で戦っています」
さも素晴らしいことであるかのように語る外務大臣。
そもそも戦争をしないという発想はなさそうだ。そんなまともな思考では、戦争なんてやっていられないのだろう。
益体もないを考えていると、ヒノが声を弾ませた。
「うわー! すごい!」
ついさっき、同じような台詞を聞いた気がする。
「……ヒノ、どうしたの?」
「窓の外、人の足が沢山あるよ! 山盛りだよ!」
「……」
外務大臣が恭しく補足する。
「ああやって左足を切り取ることによって、討伐の証としているわけです。討伐した敵の数に応じて、報奨金が支給される仕組みです」
「……なるほど」
もしやと思い、話の続きを待ってみる。
「ただ、最近はこの集計方法にも、調整が必要ではないかという意見が出ているんです」
「どうしてですか?」
「集まった足の数が、敵国の兵士の数よりも、明らかに多いのです。一体、兵士たちはどこから左足を調達しているのやら」
「……」
存在しないはずの左足。
つまりは、存在しないはずの人間が大量に殺された上、その左足が切り取られているのだ。
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