第9話 手と足①

「ふぐっ」


 額に軽い痛みを覚えて、目を覚ました。目覚めたとて視界は真っ暗だけど。

 記憶を掘り起こしたり、手足をもぞもぞと動かしてみたりして、周囲の様子を探る。

 低くてボロい天井。年季の入ったタオルケット。軋む小さなベッド。私の頭部付近にある、ヒノの細い脚。

 おそらく、私の額を捉えたのは、彼女の膝だ。


「ヒノ……、ちゃんとお布団に入って。風邪引いちゃうよ」


もにょもにょした声で注意すると、もにょもにょした反論が返ってくる。


「入ってるよぉ。マーちゃんが、変なところにいるのぉ」


言われて、枕の位置やベッドの向きを再確認。


「……ほんとだ」


訂正。大移動していたのは私だった。恥ずかしい。顔が火照る。図らずも意識が覚醒していく。

目が冴えてしまったので、仕方なくベッドから起き上がった。

毛羽立ったカーペットの上を慎重に歩き、窓辺まで移動し、大きなガラス窓を開け放つ。

もし今の様子を第三者が見たら、きっと不思議に思うだろう。目の見えない私が、窓から何を見るつもりなのかと、尋ねたくなるだろう。

勿論、理由はある。

絶景のある場所は、大抵、音や香りも美しいものなのだ。

それらを楽しもうと、私は深呼吸して、耳を澄ます。

硝煙の香り。空を裂く銃撃音。遥か彼方より響く悲鳴。


「……分かってたけど、気分の沈む音と匂いだなぁ」


この国は今、隣国との戦争の最中にあるそうだ。




 かの有名な【魔女】に、是非とも話を聞いてみたい。

 それが、国王を含む国の重役たちの総意らしい。

 そして私とヒノは、城塞の奥にある、石造りの一室へと案内された。

 長年、大勢の部下に檄を飛ばしてきたであろう、厳しく重々しい国王の声が言う。


「長きにわたり我が国は、隣国と戦争状態にあります」


 しかし、対面に座る私の心は動かなかった。

 それ自体は、さほど珍しいことじゃない。

 戦争はいつもどこかで起きて、無作為かつ無情に大量の命を奪い、それと引き換えに世界中の経済を活性化させる。要は武器を売るお祭り。まさに政。

この国もまた、そういった経済活動に精を出しているだけだ。善でも悪でもない。

 不意にヒノが声を弾ませた。 


 「うわー! すっごい!」

 「どうしたの?」


 尋ねると、彼女は楽しそうに返す。


「窓の外、人の手が沢山あるよ! 山盛りだよ!」


 一瞬で、堆く積み上げられた大量の右手が脳内に出現した。

 真っ赤に血濡れたそれらを、遠目から眺めれば、きっと大火と勘違いすることだろう。多分。

 話題とは裏腹に、優しい口調で、国王は付け加えた。


「ああやって、殺した敵の右手を切り取ることによって、討伐の証としているのです。討伐した敵の数に応じて、報奨金が支給される仕組みです」

「……なるほど」


この類の集計方法は、他の地域でも聞いたことがある。耳を切り取ったり、舌を切り取ったりする国もあるらしい。

 ふと、国王の方から嘆息が聞こえた。


「ただ、最近はこの集計方法にも、調整が必要ではないかという意見が出ているんです」

「どうしてですか?」

「集まった手の数が、敵国の兵士の数よりも、明らかに多いのです。一体、兵士たちはどこから右手を調達しているのやら」

「……」


存在しないはずの右手。

つまりは、存在しないはずの人間が大量に殺された上、その右手が切り取られているのだ。



隣国にも行ってみたい。

 そう私が言うと、国王を含む上役たちは、ひどく驚いた。

 国王が素っ頓狂な声で私に聞く。


「あちらの国へ行くんですか!?」

「はい。無理ではないんですよね?」

「か、可能ですが……」 


 そう返したものの、彼はかなり慌てている。

 上役たちとゴニョゴニョ話し合った末、国王は咳払いしてから結論を伝えてくれた。


「わ、分かりました。彼の国に緊急連絡をして、あなた方を迎え入れるよう頼んでみましょう。きっと何とかなると思います。何せ貴方は、世界の財産である【魔女】ですからね」


 そして、彼の予想通り、隣国は私とヒノを受け入れてくれた。



隣国の匂いと音は、さっきまでいた国と、ほとんど一緒だった。

煙ときどき火薬。所によって悲鳴。あるいは激しい銃撃音。

戦争は国や地域から色を消し、奪い、画一化させる。

戦地に行くたび、戦争は経済活動の一環でしかないということを痛感する。

 私とヒノは、先ほどと同じような材質の、同じような城の、同じような一室に案内された。

 私一人だったら、ぐるぐると移動した後で、全く同じ場所に戻されたとしても、気付けなかっただろう。

 私たちの対応をしてくれた男性は、この国の外務大臣を名乗った。

 念のため、私は最初にこう伝えた。


「我々の目的は観光です。交戦の意思はありません」

「ご安心を。我々は原則、民間人に危害は加えないという前提で戦っています」


 さも素晴らしいことであるかのように語る外務大臣。

 そもそも戦争をしないという発想はなさそうだ。そんなまともな思考では、戦争なんてやっていられないのだろう。

 益体もないを考えていると、ヒノが声を弾ませた。


「うわー! すごい!」


 ついさっき、同じような台詞を聞いた気がする。


「……ヒノ、どうしたの?」

「窓の外、人の足が沢山あるよ! 山盛りだよ!」

「……」


外務大臣が恭しく補足する。


「ああやって左足を切り取ることによって、討伐の証としているわけです。討伐した敵の数に応じて、報奨金が支給される仕組みです」

「……なるほど」


もしやと思い、話の続きを待ってみる。


「ただ、最近はこの集計方法にも、調整が必要ではないかという意見が出ているんです」

「どうしてですか?」

「集まった足の数が、敵国の兵士の数よりも、明らかに多いのです。一体、兵士たちはどこから左足を調達しているのやら」

「……」


存在しないはずの左足。

つまりは、存在しないはずの人間が大量に殺された上、その左足が切り取られているのだ。

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