第8話 真作と贋作②

いかに自分が凄い画家なのか、ヒノに対して長々と説明した後、吸血姫ちゃんは館長さんに言った。


「館長よ。悪いけど、席を外してもらえるか? こいつとは、色々と話したいことがあるんだ」

「構いませんよ」


柔和に応じる館長さん。

余談だが、彼は【サカノ】という名前らしい。最初に名前を聞いた時、ヒノは「ダンディなサカノだ! ダンディサカノだ!」と嬉しそうにはしゃいでいた。彼女のツボは謎だ。

 そして、吸血姫ちゃんはヒノにも頼む。


「そっちの嬢ちゃんも、外に出て貰」

「この子はいいの。気にしないで」


私が言葉を遮ると、吸血姫ちゃんは「ん?」と不思議そうな声を漏らしたものの、それ以上はヒノの存在に言及しなかった。

大理石を踏む革靴の足音が段々と遠ざかり、やがて聞こえなくなった。

館長さんが席を外したと判断し、私は口を開く。


「久しぶりだね、吸血姫ちゃん」

「こっちの台詞だ。魔女さんよ」


そこで会話は一旦ストップする。 

実を言うと、私と吸血姫ちゃんは、別段親密な関係ではないのだ。才能ある同業者として、互いの存在は意識しているものの、二人きりで一緒に遊んだことはない。

だからこそ、話題に困った吸血姫ちゃんが、いきなり踏み込んだ質問をしてきたのかもしれない。


「その目はどうした? ……なんて、聞くまでもないか」


 ならば、私も事情を話す必要はないだろう。代わりに肩を竦めてみせた。

 吸血姫ちゃんが続ける。


「驚いたな。まさか目が見えなくなっていたとは」

「うん。吸血姫ちゃんの可愛い顔が見えなくなっちゃったのは残念だよ」

 

途端、吸血姫ちゃんの態度が一変した。


「は、はぁ!? 何言ってんの!? バッカじゃねぇの!? 意味分かんねーし!」

 

昔から、こうやってからかうと、彼女は分かりやすく赤面するのだ。その姿は見えずとも、想像するだけで楽しい。

 一しきり騒いでから、吸血姫ちゃんは別の質問を投げてきた。


「てか、そのガキ誰?」

「ヒノだよ!」


 最低限の自己紹介。当然、吸血姫ちゃんには何も伝わらない。

 私は説明を付け加えた。


「目が見えなくなって以降、この子に生活全般をサポートしてもらってるの」

「……こいつに生活のサポートなんか出来んの? アホっぽいけど」

「なんだとー!」

 

会ったばかりの同年代から貶されたことに、ヒノは随分とご立腹の様子。

ただ、ヒノがアホっぽいという部分は否定しない。むしろ激しく同意だ。

吸血姫ちゃんはぶっきらぼうに言う。


「……あ、アタシ様の方が、あんたをちゃんとサポートできると思うけど」

「そんなことないもん! ヒノが一番サポートできるもん! まーちゃんの一番はヒノだもん! ヒノが一番、まーちゃんのこと好きだもん!」

「あ、アタシ様は別に、好きとか嫌いとかって話はしてねぇけど……」


 可愛らしく怒るヒノと、訥々と返す吸血姫ちゃん。

 二人の女の子が自分を取り合っているというのは、存外悪い気分じゃない。

 とはいえ、このままだと喧嘩になってしまうかもしれない。私は口論に割って入る。


「貴方、どうしてこんな真似をしたの?」


絵のある方を指さして、吸血姫ちゃんに問う。彼女は淡々と応じる。


「そっちは壁だぞ」

「……」


ダンディサカノめ、担ぎやがったな。許すまじ。

改めて同様の質問をすると、優しい吸血姫ちゃんは一回目のテンションで答えてくれた。


「あんたに会うためだ。世界的な知名度を誇る【吸血姫】がこういう真似をすれば、噂は簡単に広がる。そうすれば、自ずとあんたの耳にも入る。そして、あんたは噂に釣られて必ずやって来る。そう考えたんだ」


つまり私は、彼女の思惑通り、まんまと噂に引き寄せられて、僻地の美術館まで来てしまったという訳だ。何だか恥ずかしくなってきた。

その気持ちを誤魔化そうと、あえて冷静を装う。


「こんなことしてる暇あるの? 忙しいでしょ?」

「あぁ、死ぬほど忙しい」

「だったら」

「あんた、最後に絵を発表したのはいつだ?」


 質問に質問で返された。でも、苛立ちは湧かなかった。 

 むしろ、湧いたのは罪悪感。誰に対するものかは分からないけど。

 吸血姫ちゃんの声が、刺々しさを帯びる。


「絵を描かない【魔女】に価値なんかない。絵の良し悪しが分からない【魔女】はいなくなった方がいい」


 かなりの極論。しかし、それは否定するのは難しい。

 だって、資本主義社会における私の価値など、【売れる絵が描ける】という一点だけなのだから。 


「そんなことないもん!」


 大理石の館内に響く、三度目の絶叫。今までの中で、最も大きく、最も切実さを感じさせる声。

勿論、その声の正体はヒノだった。

 彼女は必死で主張する。


「マーちゃんの絵は素敵だけど、それだけがマーちゃんの価値じゃない! 優しい所も、食いしん坊な所も、カッコいい所も、ドジな所も、可愛い所も、全部全部マーちゃんの素敵な所だもん! だから、そんな言い方しないで!」


 声と呼気から、本気の怒りが迸っている。

 だが、そんなヒノの激情を、吸血姫ちゃんは鼻で笑った。


「甘いな。そんな考えじゃ、生きていけねぇぞ」

「生きてるもん!」

「魔女のお陰だろ? あんた一人じゃ、何も出来ないだろ?」


 言葉に詰まるヒノ。微かに、苦しそうな呻きが聞こえる。

 半ば無意識のうちに、私は言葉を発していた。


「吸血姫ちゃん、止めて。怒るよ?」


 自分でも驚くほど、冷徹な声音だった。

直後に「ひっ」という、吸血姫ちゃんの怯え声が聞こえた気がした。

 しばらくの沈黙を挟んでから、吸血姫ちゃんは話題を本筋へと戻した。


「……この贋作は、あんたを試すために用意したんだ」

「試すため?」


オウム返しで問う。吸血姫ちゃんが続ける。


「もし、この百枚の真贋を見抜けなかったら、あんたがこれまでに描いた全作品の偽物を、世界中にばらまく。そうすれば、あんたの絵の価値は暴落する。最悪、廃業だ」

「……」


どうしてそんな真似をするのか。目的は何なのか。そんなことをして、貴方に何の得があるのか。

それを聞くほど、私は野暮じゃない。

彼女は許せないのだ。自分と同じ道を歩み、自分よりも先を行く人間が、その歩みを止めることが我慢ならない。

だから、歩みを止めたにも関わらず、絵の世界にしがみつこうとしているのであれば、容赦なく殺す。たとえ【魔女】であろうと。

 そう言いたいのだろう。多分。

 吸血姫ちゃんは笑いながら言う。 


「さぁ、目が見えなくなったあんたに、アタシ様の贋作を見抜けるか?」

「……」


 ヒノに手伝ってもらいながら、私は一枚ずつ絵に触れていく。

 匂いと手触りくらいしか分からないが、結論を出すには十分な情報量だ。


「うん、実に精巧だね。仮に目が見えていたとしても、見分けられなかったと思う」


吸血姫ちゃんの方から、悲しげなため息が聞こえた気がする。


「でも、どれが本物かは分かるよ」


私の断言に、吸血姫ちゃんは裏返った声で聞き返した。


「見分けられないのに、本物が分かる? どういう意味だ?」

「すぐに分かるよ。ヒノ、一枚目の『奈落』を渡して」

「はい! どーぞ!」

 

嬉しそうな返事と共に、私の手に渡される一枚の絵画。

 吸血姫ちゃんが訝しげに言い溢す。


「匂いで見分けるのか? それとも触り心地? まさか、第六感だなんて言わないよな?」


答えに代えて、私は渡された絵画に、一筆だけ書き加えた。


「本物はこれだよ」

 

案の定、吸血姫ちゃんは不満げに言う。


「……そんなの、ズルだろ。適当に選んだ一枚に、サイン書き込んだだけじゃねぇか」

「本物と偽物の違いなんて、そんなもんだよ。画家の貴方なら、この意味、痛いほど分かるよね?」


 本物の芸術。本物の美術。本物の絵画。

 そんなものは、専門家と好事家が作った幻想だ。

 それを悪だと言うつもりは毛頭ない。だって、その幻想に、私たち画家は生かされているのだから。

 彼らがフィールドを用意してくれたから、私たちはプレイヤーとして活躍できて、お金を得ることが出来ているのだから。

 でも、だからこそ、そのフィールドがいかに脆く空虚であるか、私たちは嫌というほど知っている。

 突き詰めれば、私たちは、画商がお金を集めるための道具に過ぎない。

 真贋とは、作品の価値とは、そういう人間たちが決めたものなのだ。

 だから、私は【本物】という言葉を信用していない。

 大好きな作品は沢山あるけど、それが好きな理由は本物だからじゃない。ただ好きなだけだ。それだけだ。

 吸血姫ちゃんは小さく舌打ちした。


「……あー、何か、してやられた感じ。ムカつく」


 それは、事実上の敗北宣言だった。

 後味の悪い勝利だった。

 言葉に困っていると、ヒノが吸血姫ちゃんに言う。


「ねぇねぇ、見て」

「あ?」 

「これね、まーちゃんが描いてくれたの。ヒノの似顔絵。素敵でしょ?」


 おそらく、ヒノが吸血姫ちゃんに見せているのは、一週間ほど前に私が描いた、彼女の似顔絵だと思われる。

 ヒノ自身からの証言と、手で触れた感触を基に、ゆっくり、丁寧に、優しい気持ちで描き上げた自信作。

 それを見た吸血姫ちゃんは、小さく笑った。


「……あんた、こんな優しい絵も描けたんだな」


 私は穏やかに返す。


「見えなくなってから、描くものも変わってきた気がするよ」


 思い返すと、見えていた頃は、過度におぞましいものを描こうとしていた気がする。

 世界はこんなに醜いと、世界はこんなに汚いと、世界はこんなに悪いと、鑑賞者に伝えようと躍起になっていた。

 そして、優しい絵や、美しい絵を、嘘くさいものだと感じていた。

 美醜と真贋は別物だと知っていたはずなのに。

 生々しさが匂い立つような、汚い嘘もある。

 終末世界の花園を彷彿とさせるような、美しい真実もある。

 それを、全て見えていた頃の私は、信じ切ることができなかった。

どういう因果か分からないけど、見えなくなったことで、優しさや美しさを愛せるようになったのかもしれない。手遅れかもしれないけど。

 吸血姫ちゃんは誰にともなく言う。


「本当に本当に大事なことってさ、あんまりに綺麗で嘘くせぇよな」

「激しく同意だね」


 私たちは笑った。一緒に笑ったのは初めてのことだった。

 一しきり笑ってから、「うしっ」と気合を入れる吸血姫ちゃん。


「新しい絵、早く描けよ。アタシ様も描くから」


 ひょっとすると、彼女は、私を発奮させたかっただけなのかな? 早く新しい絵を描かせたかっただけなのかな?

 だとしたら、あまりに綺麗で嘘くさくて、とても素敵な真実だ。


「……うん、ありがとう。そういう不器用な優しさ、好きだよ」

「ば、バッカじゃねぇの!? 意味分かんねー!」

 

つっけんどんに言い放って、小刻みな足音は駆け足で遠ざかっていった。うん、美術館では走っちゃダメだよ。

 注意を飲み込んだ私の横で、ヒノが嬉しそうに言う。


「ツンデレだね!」

「ツンデレ?」

「素直じゃないって意味!」

 

なるほど。聞き馴染みはないはずなのに、やたらとしっくりくる表現だった。

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