第7話 真作と贋作①

「なんじゃこりゃー!」

 

 ヒノの絶叫が、硬い大理石で出来た屋内に響き渡った。私は慌てて注意する。


「ヒノ! 大きな声出しちゃダメ! ここ美術館だから!」

「ひゃう! ご、ごめんなさい……」


 私たちのやり取りを聞いて、帯同してくれている美術館の館長さんは、バリトンボイスで紳士的に笑った。


「はははっ、お気になさらず。子供は元気が一番ですよ。今は他に人もいないですし」

「ありがとう! ヒノもそう思うよ!」

「こら、調子に乗らないの」


 そう言ってみたものの、雰囲気からして、ヒノは反省していないだろう。天真爛漫さはこの子の長所だけど、少しくらいは時と場を選んでほしい。

 少しでも彼女を落ち着かせるため、私はヒノに聞く。


「ヒノ、この部屋の展示について、解説お願い」

「えっとね! 壁一面に同じ絵が、いっーぱい並んでるよ! その絵だけで、一つの壁が埋め尽くされてるよ!」

「どんな絵?」

「暗い雰囲気! 沢山の人が、すごく悲しそうにしてる! どよーんとしてる! 見てて落ち込む!」


 ざっくばらんな解説から、どんな絵なのか想像してみる。

 背景は、黒や紫などの暗色。苦悶する人々の顔に生気はなく、額縁から絶望が這い出してくるかのような絵画。合ってるかな? 

 ヒノの説明だけでは不十分と判断したのか、館長さんが補足してくれた。


「有名な天才画家である【魔女】の傑作です」


 その発言から、私は一つの作品を想起する。


「……ひょっとして、『奈落』ですか?」


 おぉ、と館長さんが嬉しそうに声を弾ませた。


「驚きました。どうして分かったんですか?」

「……競売の末、さる美術館に所蔵されたと聞いたので」


 嘘ではない。描いた本人だから、どこの誰が買ったのか知ってるだけ。

 館長さんは感心混じりに私を褒める。


「お詳しいんですね」

「一般教養の範疇ですよ」


 そう。私の作品に関する情報は一般教養だ。全人類が身に付けておくべき。


「まーちゃん、鼻の穴」


 ヒノ、うるさい。唇を尖らせて意思表示。

 そして私は館長さんに聞く。


「でも、どうして『奈落』が百枚もあるんですか? 廉価版なんて、存在しないはずですよね?」


 返答の前に、数秒のラグが生じた。


「……ここにある100枚の『奈落』の内、99枚は贋作。偽物です」

「偽物!」


ヒノが声に驚愕を滲ませる。館長さんが続ける。


「半年ほど前。【吸血姫】を名乗る画家が、99枚の『奈落』を持って、この美術館を訪れました」

 

 吸血姫。最後の一文字は鬼ではなく姫。

 顔見知りの画家である。

 赤い系統の色使いに並々ならぬこだわりを持ち、まだ十代でありながら、『灼天』や『血鬼戦』などの傑作を描き上げた天才。

【魔女】ほどではないが、絵画の世界にその名を知らない者はいないほどの有名人だ。当然、ヒノがよく言う『カミエシ』にも該当するだろう。【魔女】には及ばないけど。

 二度と見ることは叶わない、同業者の顔貌を思い出しす。

 燃えるように鮮やかな緋色のツインテールと、アンバーの瞳が綺麗だった。身体は、栄養失調を心配してしまうほど細かった。八重歯が可愛らしくて魅力的だった。

 そういえば、ツインテールという髪型もまた、カレーと同様に異世界より持ち込まれたものだという説があるらしい。そう言われても納得してしまうくらい魅力的な髪型だと思う。

 館長さんの話が再開する。


「そして彼女は言いました。この99枚を、本物の『奈落』と一緒に飾り、利用者に見せろ。そして真贋を見抜けるか否か確かめろ。と」

「何のために、そんなことを?」


問いに答えたのは、館長ではなかった。


「知りたきゃ教えてやるよ」


 背後から聞こえたのは、勝ち気な印象の甲高いソプラノ。

 意味はないと分かっていながらも、反射的に振り返ってしまう。

 私が次の言葉を探している間に、ヒノが疑問の声を上げた。


「……誰?」


甲高い声が尊大に答える。


「アタシ様こそ、かの有名な【吸血姫】さ」


 数秒の間を置いて、ヒノが呟いた。


「誰?」

「知らねぇのかよ!」


 吸血姫ちゃんの絶叫が、屋内に反響した。

 うん。二人とも、美術館では静かにしようね。 

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