第6話 親と子③

翌日。

昨日に引き続き、私たちは街中を適当に散策することにした。

のどかな街だ。特にこれといった観光地は無いものの、長旅の小休止にはぴったりの場所である。

風が心地いい。新緑の香りが鼻腔をくすぐった。うん、最高の朝だね。

軽く伸びをすると同時、ヒノが言った。


「マーちゃん! あの人、レストランにいた人じゃない!?」

「どんな人?」

「男の子だよ! お母さんと仲良かった子! マーちゃんとヒノには負けるけどね!」


なぜか得意げなヒノ。

……もしや、昨日話した、あの女性の息子さんじゃないか?

どうして話しかけようと思ったのか、自分でもいまいち分からない。

ただ、思ったのだ。互いの言い分を聞いてみるべきだと。

ヒノに誘導してもらって、少年に近づき、声を掛けた。


「……あの」

「はい?」


軽やかな応答。低姿勢で尋ねる。


「いきなりすいません。ひょっとして、昨日、〇〇というレストランにいた方では?」

「あぁ、はい。いましたよ。それが何か?」


さて。どうやって母親に対する本音を引き出そうか。策を練っていると、先んじてヒノが仕掛けた。


「大きいお鍋だね!」

「あぁ、これ? これはね、寸胴っていうんだよ」

「ずんどー!」


 一瞬で、脳内に【寸胴を抱えた少年】のイメージが浮かび上がった。

 これ幸いとばかりに、私も質問を重ねる。


「どうして、そんなもの持ってるんですか?」

「料理を作りすぎてしまった時は、近隣の皆さんにも振る舞っているんですよ」

「あぁ、なるほど」


 いわゆる【お裾分け】というやつか。私の住んでいた地域では盛んではなかったが、それでも何度か経験したことがある。

近隣の住民と、食事を分け合い、親睦を深める行為。

正直、苦手だった。食べるのは大好きだが、料理はあまり得意ではないから。貰うだけなら最高なのに。いくらでも貰うのに。

かつて食べた数々の手料理。その匂いの一つが、寸胴から漂う香りと一致した。

遅れて、ヒノが正解発表をする。


「クリームシチューだ!」


ヒノも私も大好きな料理だ。食べたい。

そう強く思ったのが不味かったのかもしれない。

直後。ぐるるるるる、と私のお腹が唸った。腹の虫が、獲物の匂いを嗅ぎつけやがったのだ。

数秒の沈黙の後、堰を切ったように、ヒノが笑い出した。


「あははははは! マーちゃん、まだ食べ足りないの? 朝ご飯、あんなに食べたのに!」


は、恥ずかしい……! 穴があったら入りたい! そもそも一人じゃ穴までいけないし、自力じゃ穴から出れないけど!

恥辱に耐えていると、見かねたのか、少年が提案してくれた。


「良かったら、少し食べます? 全部は、ちょっと困りますけど」

ここで、『図々しいと思われたくないから、丁重に断る』という対応ができるほど、私の食い意地は脆くなかった。

 満面の笑み(のつもり)で快諾。


「ありがとうございます。いただきます。少しだけ」

「おにーさん! マーちゃんの『少しだけ』は信用しちゃダメだよ!」


ヒノ、余計なこと言わないで。

シチューを深皿によそってもらい、じっくり堪能する。

人参とジャガイモは、芯までしっかり熱が入っており、野菜の持つ甘みが存分に引き出されている。鶏肉は噛んだ途端にホロホロと解けて、中から肉汁が溢れ出してきた。

それらの具材とクリームシチューの相性は抜群。筆舌に尽くしがたい。

要するに。


「すごく美味しいです」

「ありがとうございます。嬉しいです」


声を弾ませる少年。素敵な笑顔が目に浮かぶようだ。

あっという間に、皿の中にあるシチューを全て食べ切ってしまった。

……仕方ない。おかわりは諦めよう。『少しだけ』という約束だったから。


「ごちそうさまでした。ありがとうございました。本当に美味しかったです」

「それだけ喜んでいただけると、作った甲斐がありますね」


嬉しそうな少年に、ヒノが補足情報を教える。


「マーちゃんはね、料理の味については、絶対に嘘を言わないんだよ! だからおにーさん、自信もっていいよ!」

「ははは、それは嬉しいなぁ」

「逆にね、不味い料理を食べさせられたときは大変なんだよ! すっごく不味そうに食べて、すっごく不味そうな顔で『……オ、オイシイデス』って言うんだよ! とんでもない空気になるよ!」

「ヒノ、止めて。私、そんな風に言わないから。もっとちゃんと演技できるから」

「出来てないよ! 顔に『死ぬほどマズイ!』って書いてあるよ!」


 そんな筈ない。信じないぞ。私は生来のポーカーフェイス。だったはず。多分。

 かつて見た自分の顔を懸命に思い出していると、横のヒノが少年に訊いた。


「ん? それ何? 何入れてるの?」

「塩だよ」

「何で、そんなに沢山シチューに入れるの?」

「次にこの料理を食べる人は、塩辛い味付けが好きなんだ」


シチューに、沢山の塩。あまり馴染みのない味付けだ。この辺りの伝統的な調理方法なのかもしれない。

興味が態度から伝わったのか、少年が私に尋ねる。


「味見してみますか?」

「ぜひお願いします」

「食べたい!」


 私もヒノも即答だった。


少しくらい塩気が強くなっても、問題ないだろう。むしろ、あのシチューの新たな一面を味わえるなんて最高だ。食べたい。早く。今すぐに。

また深皿が手渡される。スプーンで掬い、口の中へ。


「うっ……!」

「しょっぱい!」


たちまち、口の中から水分が消える。腰に差した水筒で喉を潤した。

困惑を隠せなかった。何だこれは。味の原型が全く残っていないじゃないか。

というか、こんなもの食べ続けたら、間違いなく体を壊す。

少年が、感情の読み取れない声で訊いてくる。


「どうかしましたか?」

「……塩、こんなに入れていいんですか? 分量、間違えてませんか?」

「いや、合ってますよ。残ったのは母の分なので」


……あの母親が、これを食べるのか。思い出す顔。


「こんなにたくさん塩を入れたら、お母さんの健康上、良くないのでは?」

「だから入れるんです。早く死んでほしいから」

「……」


嬉しそうに少年は言う。私は言葉を失った。

ヒノが普段より落ち着いた声音で問う。


「お母さんのこと、嫌いなの?」


少年は乾いた笑いを漏らした。


「母さんは、ロボットが欲しいんですよ。自分の思い通りに動くロボットが。だから、僕の意思や感情なんか、無視するんです。なのに、外面だけは取り繕っている。吐き気がしますよ」

「……だから料理に、こんなことをするんですか?」

「はい」


それが何かと言わんばかりの返答だった。全く悪意を感じなかった。怖かった。

同時に悟る。この親子に対して、第三者がしてあげることなど、何もない。手遅れというか、手詰まりというか。

それでも、無意味と分かっていながらも、質問せずにはいられない。


「自分の気持ちを言葉にして、お母さんに伝えようとは思わないんですか?」

「思いません」


 言葉には、悲しいくらい迷いがない。

 彼は淡々とした語調で訊き返してくる


「逆に、どうして、本音を言って怒らせる必要があるんですか? 一体、それに何の意味があるんですか?」

「……」


随分と皮肉な話だが。

【親子は似る】という言葉の意を、今日ほど実感した日は今までなかった。





 少年の意見に、ヒノは、少なからずショックを受けたようだった。

 いつもはあれだけ騒がしいのに、急に口数が激減してしまった。歩みも重い気がする。

 私の右隣を歩いていたヒノが、「あっ」と言い溢して足を止めた。自然、彼女と手を繋いでいた私も立ち止まる。


「どうしたの?」


聞くと、彼女は震え声で応じる。


「……あ、あそこに、レストランで怒ってたおじさんがいる」

「……」


おそらく、娘と喧嘩していた男性のことだろう。

どれくらいの距離で、何を持っているのか、どんな様子なのか、自分の目で確かめられないのがもどかしい。

いや待て。落ち着け。レストランで近くの席にいた人間なんて、普通は覚えていない。目の見えない人間は決して多くないが、私以外にもそれなりに存在する。向こうは私たちのことなんて忘れているはずだ。大人しくしておけば、あえて何か言ってくることはない。多分。

 予想は裏切られた。


「すんませーん!」


 男性の野太い声が、小走りで近づいてくる。ヒノの手に込められた力が強まっていく。

 私たちの数メートル手前で立ち止まった男性は、間髪入れずに聞いてきた。 


「この辺で、女の子見かけなかったか!?」


口調や声量から、かなり焦っていることが伝わってくる。

 私は淡々と、ヒノは若干の怯えを見せながら答えた。


「ごめんなさい、私は目が見えないので」

「ひ、ヒノは見てないよ」

「そっかぁ……。ありがとな」


 がっくりと項垂れた後に、苦笑する男性。その光景が目に浮かぶような返事だった。声に感情が出やすいタイプなのだろう。

 男性の足音が遠ざかっていく。

 そんな中、意外にもヒノは質問した。


「……おじさん、まだ娘さんと喧嘩してるの?」

「え!? 何で知ってんだ!?」


 男性が驚いて大声を上げる。ヒノは「ひっ!」と私にだけ聞こえるボリュームで呟き、繋いだ手を強く握った。

 私も補足する。


「私たち、以前、レストランで貴方と娘さんが言い争っている場に居合わせていたんです」

「あぁ! なるほどぉ! いやいや、見苦しいもんを見せちまって、悪かったね」

「いえいえ、気にしないでください」


こうして話している分には、害のない人という印象だ。

だからこそ、私は聞きたくなった。


「……一つお尋ねしてもいいでしょうか?」

「ん? 別にいいけど」

「娘さんのこと、愛してますか?」


 返ってきた彼の声音は、実に淡白で味気なかった。


「たった一人の娘だぞ? 愛してるに決まってるじゃねぇか」

「……そうですよね。ありがとうございました」




 宿への帰りしな。

 私は思い切って、あの母親の話をヒノに伝えた。

 無論、母の病死を願う、あの青年の母親のことだ。

 話を聞き終えたヒノは、沈んだ声音で私に聞いてきた。


「……仲良しに見えたのが、本当は仲良しじゃない親子で、仲良しに見えなかった方が、本当の仲良し親子だったってこと?」


 少し考えてから返す。


「いや、分からない。どっちも不仲だったのかもしれない」


私の煮え切らない返事を受けて、ヒノは不思議そうに鼻を鳴らす。彼女へ向けて続ける。


「今回は見えなかっただけで、多分、本音を言い合ってる親子にも、問題があるんだと思う。愛があれば、何を言ってもいいわけじゃないからね」


加えて、娘さんからの話を聞けていない点にも、考慮しなければいけない。

それでも、今回の経験を基に、強いて教訓を見出すとすれば。

彼ら彼女らを見て【こういう家族はダメだ】とか、【こういう家族は素晴らしい】という安易な結論を導き出そうとした人間は、既に危うい状態にある。

……みたいな感じになるのかな。

 結論を練っていると、ヒノがまた手に力を込める。暖かい体温が伝播してくる。

 

「ヒノはね、マーちゃんのこと、本当に好きだよ? 大好きだよ? 本当だよ?」

「……ありがとう。私も大好きだよ」

「やったー!」


ヒノは嬉しそうに、繋いだ手を振り回した。私も釣られて手を振り回してしまった。

何故だか楽しかった。

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