第5話 親と子②


 昼食を済ませた我々は、腹ごなしも兼ねて、付近の公園を訪れた。

 二人一緒に軽く散歩した後、私はベンチに腰掛ける。

 食べたばかりだというのに、ヒノは公園中を走り回り、方々で歓声を上げている。頼むから吐かないでね? 私、何の役にも立てないよ?


「マーちゃーん! バッタ捕まえたよー!」

「おー、すごいねー」

「マーちゃんにも触らせてあげるねー!」

「止めて止めて止めて止めて。持ってこないで絶対に」


 必死の訴えが功を奏して、【ノールック・バッタ・タッチ】を回避することに成功した。

 どうしてヒノは、あんなのを平気で触れるのだろう? 生理的嫌悪感を抱かせるために作られたような見た目なのに。


「あ! マーちゃん! バッタ、そっち行った!」

「えぇ!?」

「四匹!」

「そんなに!?」

「捕まえて捕まえて!」

「無理だよぉ!」


 両腕を振り回し、バッタが自分に近づかないよう祈り続ける。

 そして、私は生き延びた。神はまだ死んでいなかった模様。

 運動不足の細腕が、突然の酷使に悲鳴を上げている。疲れた……。もう無理だ……。

 肩で息していると、私の隣に誰かが座った。

 優雅さを感じさせる、成人女性の声だった。

「あら。貴方、さっき、レストランで近くに座ってたわよね?」

 より正確には、あの仲良し親子の母親だった。

「あ、はい。隣の席でした」

 雰囲気からして、私に対し、強い興味関心があるわけではなさそうだ。多分、ちょっとした暇つぶし感覚なのだろう。

「あの子の母親、じゃないわよね? 貴方が面倒見てるの?」

「経済的には、そうですね。日常生活においては、私がサポートしてもらっています」

 説明しながら、私は自身の目の辺りを指す。女性は返事らしき嘆息を漏らした。

「少し年齢の離れた妹、みたいな感覚かしら」

「あぁ、そうですね。そんな感じです」

しっくりくる表現だった。確かにヒノは、私にとって、年齢の離れた妹みたいなものかもしれない。

「だったら、多少は共感してもらえると思うけど」

 結論から言うと、彼女の意見には全く共感できなかった。

「本当に、子供って邪魔よねぇ」

いきなりそんなことを言われて、返答に困ってしまう。

「……え?」

「だって、そうでしょう? 何をしようと思っても、必ず枷になるじゃない。重りよ。やってられないわ」

「……お子さんが欲しかったわけではないんですか?」

「別に欲しくなんかなかったわよ。でも仕方ないでしょう? 作らないと、私が変な目で見られるのよ」

「……」

 鬱憤が溜まっているのか、女性は聞いてもいないことを語る。

「つまりね、あの子の存在理由はね、私に恥をかかせないことなのよ。私に恥をかかせるような真似させしなければ、後はどうでもいいの。どっかの川で、子供でも助けようと死んでくれれば、最高よね」

「……」

何と返せばいいのか分からなかった。

どうにか話題を別方向へ持っていこうと試みる。

「……息子さんの、将来の夢とか聞いてます?」

「聞いてないし、聞く気もない」

「どうしてですか?」

「余計なことをさせると、何をするか分からないでしょう? 変に夢とか目標とか持って、お金のかかる進路に進まれたら困るのよ」

「……でも、それって、お子さんのためにならないんじゃ」

「あの子のため? どうしてワタシが、あの子のために何かしなくちゃいけないの? ここまで育てただけで、十分だと思わない?」

「……」

「あの子はね、私の言うことを聞くロボットでいいのよ。だってそうでしょう? お金と時間と労力を費やして、思い通りに動かないものを育てるなんて、アホらしいわ」

 それ以降の話は、あまり覚えていない。その場を凌ぐだけで精一杯だった。



 女性と別れた後、街を散策し、安宿を見つけた。

 二人部屋。ベッドは一つ。かなり大きいので、ヒノと一緒でも問題なく寝れるだろう。

 補足しておくと、こっちの方が、ベッドが二つの部屋よりも安かったから選んだだけだ。他意はない。

 ベッドの端に腰かけて、ため息。そして思い出す女性の台詞。

『ここまで育てただけで、十分だと思わない?』

 思う。

 世の中には、子供を捨てようとする親さえいるのだ。殺そうとする親さえいるのだ。

 ヒノの親みたいに。

 だから、動機は何であれ、あの年齢まで、一人の子供を育て上げただけでも、十分立派だ。

 ……しかし、心には、何とも形容しがたい異物感が残った。

「マーちゃん、どうしたの?」

 私の変調を察したのか、ヒノが訊いてくる。察するに、右横から私の顔を覗き込むようにしている。

「え? あぁ、……うん。ちょっと、色々あってね」

「そっかぁ、色々かぁ。大変だったねぇ」

 言いながら、ヒノは私の頭を軽く撫でた。おぞらくベッドの上に立っているのだろう。急激に身長が伸びたとは考え難い。

 こういう時、彼女は余計なことを言わない。変に元気よく励ましたり、根掘り葉掘り事情を聞いたりしてこない。しそうなのに。

 案外、そういう優しさも持ち合わせているのだ。

「大変だったマーちゃんに、ご褒美あげる!」

「ご褒美?」

魅惑的な響き。興味を隠せない。ヒノがハイテンションで言う。

「手、前に出して」

「これでいい?」

 両手で皿を作り、前方へ差し出す。その上に、何やら固い物が置かれた。手に乗せた状態では、全く正体が分からない。

「これ、何?」

「バッタ」

「っっっっっ……!」

「の形をしたチョコレート!」

 投石器みたく、チョコレートを射出しそうになったが、ギリギリで踏み留まった。

「……その言い方、二度としないでね」

「何で?」

「投げちゃうから。全てを」

 お小遣いの使い道に、制限を設けるべきかもしれない。こんなものを事あるごとに渡されたら、身が持たない。

 そもそも、私が食べるものに、見栄えなんて要らないんだ。どうせ形なんか分からないんだから。

 手の上にあるバッタチョコを適当に分解し、一部を口の中へ。

 落ち着くのよ私。これはチョコレート。これはチョコレート。絶対にチョコレート。

 ……チョコレート、だよね? チョコレートでコーティングされたバッタじゃないよね? 大丈夫だよね?

「今、マーちゃんが食べてるのはね、バッタのお腹だよ! ぶにぶにしてるところ!」

「実況しないで。気持ち悪くなるから」

 間違いなく美味しい。はずなのに、脳内をバッタ達が飛び回るせいで、味わっている余裕が全くない。皆無だ。

 チョコが口の中で溶けて、完全に形が無くなり、ようやく本物のバッタである可能性がゼロになったので、安心して味わう。美味い。

 そんな私にヒノは言った。

「チョコ、もう一個あるよ!」

 朗報か、悲報か。この時点ではジャッジできない。

「……形は?」

「こっちはね、ハート形だよ!」

 完全なる不意討ちだった。

 友愛。親愛。性愛。愛の形は色々あるけど、概ねハートの形をしている。らしい。

 無意識に嘆声が漏れた。


「……それだけだったら、最高だったのに」

「えぇ!? バッタは!?」

「要らない。本当に要らない」


 ヒノよ、これを機に学びなさい。バッタじゃ愛は伝わらないのだ。

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