第3話 質と量③
おじさん以外にも、この桜の絵を描いている画家がいる。
残りは二人。確認しない理由はない。
敵情視察である。
ヒノいわく、二人目の画家は【ぼろきれを纏ってて、スキンヘッドの、ムキムキマッチョマン!】だそうだ。
……本当かな?
マッチョマン(多分)は、おじさんとは逆サイドから桜を描いていた。
話しかけると、自然な流れで、彼が描いている絵の話になった。
「オレは、一枚の絵を完成させるのに、最低でも一年の歳月を使うんだ」
「一年!」
若々しく野太い声で、画家は言った。ヒノが聞き覚えのある反応を示す。
私は素直な疑問を口にした。
「一枚の絵に、それだけの時間を費やして、大丈夫なんですか? お金、無くなりませんか?」
「またお金の話してる!」
「う、うるさい」
別にいいじゃないか。お金は大事だ。お金がなければ何も出来ない。パンもスープも食べれない。
画家は「ぐはは」と山賊みたいに笑う。
「心配しなくて大丈夫。絵は既に売れてるんだ」
「なるほど。完成前の絵を、誰かが事前に抑えているんですね」
「そう。だから俺は、一年間じっくりと絵を描くことに集中できるのさ」
口で言うのは簡単だが、そう上手くいくものではない。【確実に素晴らしい作品を仕上げてくれる】という信頼と実績がなければ、未完成の絵を買ってもらうなどという芸当は出来ないはず。
つまり彼は、相当に名のある画家なのだろう。
……まぁ、私には及ばないだろうけど。
内心で張り合っていると、ヒノがマッチョマンに言った。
「これ、あの桜? こんなにぐにゃぐにゃしてないよ? ちゃんと見て描いてる?」
「ぐははっ! 見たまま描くだけがアートじゃないのさ」
なるほど。そういう作風か。
筋骨隆々で、著名な抽象画家。……絞り切れないな。
幾人かの候補を思い浮かべている間も、彼は続けて話す。
「ちなみに、今回の作品が、一年で完成するかは未定だ。俺は完成した作品に、何度も何度も手を加えるからな」
「どうしてですか?」
「理由は二つ。一つは、その方が面白いから。もう一つは、絵の所有者が変わるたび、俺はその作品に手を加えることにしてるからだ」
「……つまり、買い手の所有欲を刺激しているんですね」
彼の絵を購入すれば、好事家たちは【あの作品の、あの部分は、自分が描かせたんだ】と自慢することができる。その権利にお金を支払っているのだ。
並外れた金持ちの考えることは、なかなか理解しがたい。
私は画家に素直な賛辞を伝えた。
「ビジネスマンとしても、優秀なんですね」
「そういう奴でなきゃ、近頃の画家はやっていけねぇのさ」
ヒノも私に
「ムキムキマッチョビジネスマン! 設定モリモリの打ち切り漫画みたいだね!」
よく分からないが、ものすごく失礼なことを言った気がするので、深掘りは止めておいた。
◇
「私の絵は、永遠に完成しません。強いて言うなら、死んだ時が完成です」
三人目は、分かりやすい
永遠に完成しない絵。その全容とは。
ヒノから情報がもたらされる。
「……これ、あの桜の絵だよね? それが、何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も何枚も何」
「ヒノ、もういいよ。何となく分かった。ありがと」
私はおじいさんに確認した。
「貴方は、
「ほほほっ、仰る通り。この桜の変化していく様子を、七年も前から、描き続けております」
七年。つまり、さる好事家から仕事が入る前から、描いていたということか。
感心する私の横で、ヒノが声を弾ませる。
「アニメ作ってるみたい!」
「あにめ?」
「動く漫画だよ!」
「まんが?」
「手塚治虫が描いてたやつだよ!」
「テズカ、オサム?」
「漫画の神様だよ! アニメも作ってたよ!」
ダメだ。何も分からない。【マンガ】という宗教があって、そこの神様が【テズカオサム】なのだろうか。【アニメ】は
それにしては、ヒノから信仰心の類を感じないけど。呼び捨てだし。
他方、おじいさんの話は、自分なりのこだわりや画風など、先の二人と似たり寄ったりの内容だった。嫌いじゃないけど、ちょっと
丁寧に挨拶して、私たちは馬車へ戻った。
そして、自身の手荷物を確認している時に、思い立った。
「……絵、久々に描いてみようかな」
「マーちゃんの絵、ちゃんと見るの初めてかも!」
ヒノが嬉しそうに、私の方へ身を寄せてくる。
手探りでスケッチ用の画材を準備し、視えていた時の記憶を頼りに、【平原に聳える巨大な桜】を描いてみた。
私はヒノに訊く。
「どう? ちゃんと描けてる?」
「すごい! すっごく上手! これと比べたら、さっきの人たちの絵、ハナクソみたいなもんだよ!」
「こら、そんな言い方しちゃダメ」
いくらなんでも鼻くそは可哀想だ。鼻水くらいに留めておいてあげよう。
……最初の花水さんが一ヶ月。次の鼻水さんが一年。その次の鼻水さんは永遠。だっけ。
「……まずは量をこなさないと、質も上がらないんだけどなぁ」
誰にともなく呟き、スケッチを丸めてくず入れに投げ込んだ。
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