第2話 質と量②

「ヒノ、周囲の状況について、解説お願い」

 私の求めに応じて、ヒノは嬉しそうに話し始めた。

「えっとねー! まずね、正面にでっっっかい桜の木があるよ! 満開だよ!」

「どれくらい大きい?」

「東京タワーくらい!」

「え? トウキョウ? 何それ?」

「あ、そっか。伝わらないか。えっとね、竜の双塔くらい大きいよ!」

「竜の双塔くらいかぁ。すごいねぇ」

「うん! すごい!」

ヒノは嬉しそうに言う。

トウキョウ。彼女が時おり口にする台詞だ。ひょっとすると、そこが彼女の生まれ故郷なのかもしれない。

どんな場所だったのかな。見てみたかったな。

……もう無理だけど。

切り替えて、私は問いを重ねた。

「他には何がある?」

「何にもない! だだっぴろい原っぱに、でっかい桜の木だけがドカーンって生えてる!」

「なるほど。ありがとう」

 平原に、巨大な桜が一本だけが聳え立っている光景。なるほど。良いモチーフになりそうだ。

「……それで、さっき言ってた画家さんっていうのは、どこにいるの?」

「ここから歩いて五分くらいの所! 桜の右斜め前!」

「その人の所まで、連れていってもらえる?」

「いいよ!」

ヒノの柔らかな左手が、私の右手を握った。

物心ついた時からずっと、筆を握り続けた結果、節くれ立った私の手。

そんな手の平から、ヒノの体温が、じんわりと伝わってくる。不思議と嬉しかった。

ヒノがゆっくり歩を進める。私もゆっくりと後を追う。

躓かないよう、なるべく足を引き上げる。かなり疲れるけど仕方ない。

「画家さんは、どんな人だった? 男の人? 女の人?」

「おじさんだよ! あんまりカッコよくないよ!」

「こら! 何てこと言うの! めっ!」

「ひゃう! ご、ごめんなさい……」

大声で失礼なことを言うものだから、つい反射的に怒ってしまった。怯えさせてしまっただろうか。でも、ダメな時はちゃんとダメって言ってあげないといけないし……。難しい……。

悩む私に、元気を取り戻したヒノが教えてくれた。

「おじさん、こっち向いたよ」

「距離は、あとどれくらい?」

「マーちゃんの歩幅で三歩くらい」

「目の前だった!」

慌てて立ち止まり、ゆっくり頭を下げる。頭突きしないように気を付けながら。

「……こんにちは」

「あんまりカッコよくないとか言ってごめんなさい」

ヒノー! それを本人に伝えちゃダメなんだよー! 

狼狽えていると、心地の良いバリトンボイスが返ってきた。

「ははは、これは手厳しい。妻は、味のある顔だと言ってくれるのですがね」

「本当にすいません。悪気はないんです。多分」

数秒、意味深な間を置いて、味のある顔をしたおじさんが呟く。

「……ひょっとして、貴方は」

「……はい。目を、開けられなくて」

言葉にしづらいであろう部分を察して、続きを引き取った。

彼は声に憂いを滲ませる。

「あぁ……、魔眼の呪いですか。私の兄も、右目をやられましたよ。腕のいい狙撃兵だったんですけどね、もう前線では戦えません」

「……」

 何と励ますべきなのか、答えあぐねていると、横合いからヒノが言う。

「良かったね!」

心臓が止まるかと思った。おじさんの方から、微かに怒りを孕んだ吐息が聞こえた。

それに対し、ヒノは屈託なく続ける。

「おじさんのお兄さん、もう戦死しないってことでしょ? それは、良いことだよね?」

迷いのない、純粋な質問。おじさんの方から怒気が消えた。

「……はははっ! 確かにそうだね。良いことだ。少なくとも、僕が勝手に憐れむのは筋違いだ」

「だよね! 良いことだよね! おじさんのお兄さん、ラッキーだね!」

おじさんの反応に、ヒノも嬉しそうだ。寛大な人で良かった……。

私に負荷をかけない範囲で、精一杯動き回っていることが、繋いだ手を介して伝わってくる。

「オジサンのお兄さんだから、略しておじいさんだね!」

違います。絶対、違います。

ヒノのジョーク(?)におじさんは、低く響く声で笑った。そして私に問う。

「彼女は、妹さんですか? あまり似ていないようですが」

不思議に思うのも無理からぬ話。

私は銀髪で、目が緋色。ヒノは黒髪で碧眼。彼女いわく、顔立ちも似ていない。

なるべく自然に返す。

「……はい。出掛ける時は、こうやってサポートしてもらっているんです」

嘘だ。私とヒノに血縁関係はない。

姉妹ということにしておいた方が、説明する手間が省けて楽だから、関係性を聞かれたときはそう答えている。

本当の経緯を話すと、長くなるし。

おじさんは、私の話を信じてくれた。

「仲良しなんですね」

「そうなの! 仲良しなの!」

 言い切って、ヒノが私の腕にしがみつく。

 恥ずかしいような、嬉しいような、変な気分になる。

 ヒノの匂いは嫌いじゃない。石鹸とお日様と砂糖の匂いがする。フレンチトーストが食べたくなる匂いだ。

 でも、私への愛を延々と語られるのは恥ずかしいので、話題を別方向に持っていく。

 おじさんの好きそうな話を振ってあげる。

「画家さん、なんですよね?」

「はい。まだまだ無名ですけどね」

 これは謙遜だろう。声が纏った自信を、隠しきれていない。無意識的に、画家としての矜持が溢れているのだ。私も同族だから分かる。

おじさんの画力を、ヒノが私に説明してくれた。

「おじさんの絵、すっごく上手だよ! 神絵師だよ!」

「カミエシ?」

「手塚治虫みたいってことだよ!」

「テズカオサム?」

「神様みたいに上手ってことだよ!」

なるほど。最初からそう言ってくれ。地元の方言で言われても分からないよ。

 それだけ褒めそやされると、流石に気恥ずかしかったのか、おじさんはやんわりと否定した。

「はははっ、嬉しいけど、ほめ過ぎだ。私より上手い画家はいくらでもいる。【魔女】とかね」

「マーちゃんだ!」

 私の方を見て、条件反射的に叫ぶヒノ。おじさんの声が裏返る。

「……え? ど、どういうことですか?」

「ち、違いますよ! 私、【マーラ・ジョセフィーヌ】って名前なんです。だから、魔女ってあだ名で、からかわれていたこともあったので」

「あぁ、なるほど。そういうことでしたか。てっきり、あの天才画家かと」

 危なかった……! バレる所だった! 内心で安堵。

 深呼吸してから、怪しまれないように会話続行。

「……【魔女】って、そんなに凄い人なんですか? 名前は聞いたことあるんですけど」

「凄いなんて一言では説明できませんよ! 天才です! この世界、天才と持て囃される人間は少なくありませんが、その中でも彼女は図抜けている。本物ですよ!」

「……具体的には、何がそんなに凄いんですか?」

尋ねると、おじさんは【魔女】がいかに凄い画家で、いかに繊細で優美で素晴らしい絵を描いていて、絵画の世界にどれだけ大きな影響を及ぼしたのか、真剣な表情で語ってくれた。よっぽど【魔女】のことを、私のことを尊敬しているらしい。

すごくいい気分だ。

「……マーちゃん、鼻の穴、すっごく大きくなってる」

「な、なってない。あんまり見ないで」

ヒノの指摘を受けた私は、両手で鼻を隠す。

褒められれば嬉しい。鼻の穴だって大きくなる。当たり前だ。普通だ。

胸中で言い訳を練っている間も、おじさんは【魔女】について語り続ける。

「例にもれず、僕も【魔女】の影響を受けている画家のひとりですよ」

「あのね! おじさんの絵、すっごく細かい絵だよ! この人、多分、アリの背中にも絵を描けるよ! それくらい描き込んであるよ!」

自信のあるポイントだったのか、おじさんは謙遜も否定もしなかった。ヒノの褒め言葉を素直に受け入れた。

「僕はね、一枚の絵を描くのに、一ヶ月もの時間を費やすんです」

「一ヶ月!」

 驚愕するヒノに態度で同調。

 一枚の絵に、そんなに時間を遣うのか。私とは全然違う。

 おじさんは穏やかな口調で続けた。

「それくらい時間を遣って、ようやく私は【魔女】と同じ土俵に立てるんです。勿論、土俵に立てるだけで、まだまだ遠く及びませんけどね」

 ……これだけ褒められると、流石に照れる。

 それを悟られないように、私は質問した。

「どうして、この桜を描こうと思ったんですか? 一か月を費やすに相応しいモチーフだと思ったからですか?」

 少し間が開いた。多分、首を振ったのだろう。こういう時は察する他ない。

「さる好事家の提案で、数人の画家が集められて、こう言われたんです。『ここの風景を最も美しく描けた者に、賞金を支払おう』とね」

「……ちなみに、いくらくらいですか?」

案外あっさりと、おじさんは賞金の額を教えてくれた。

具体的な金額を明言するのは避けるが、私が思っていたより、ゼロが四つくらい多かった。

「っ! そんなに!?」

「はははっ! 良いリアクションですね。話し甲斐がありますよ」

「っ……!」

しまった。守銭奴だと思われただろうか。恥ずかしい……。

羞恥に駆られていると、ヒノが追い打ちをかけてきた。

「マーちゃんはね、お金が大好きなんだよ!」

「ちょ、止めて。初対面の人に、そんなこと言わないで」

否定はしないけど。ワタシ、オカネ、スキ。

おじさんは半笑いで言う。

「簡単に儲かるとは言い難いですが、絵を描くのは楽しいですよ。貴方も、やってみてはどうですか? 異名の繋がりは、何かの縁かもしれませんよ?」

「……そうですね。今度、挑戦してみます。ありがとうございます」

私がそう返事すると、おじさんは嬉しそうに頷いた。ヒノがそう教えてくれた。


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