第3ドイツに関する主な事柄の設定

1910年代第一次世界大戦でアメリカが参戦をして来た1917年以降ドイツ並びに中央同盟国は幸運に恵まれる事と成った


1918年ドイツ帝国は宇宙人との接触をしドイツに武器を提供をして貰った結果ドイツは日本や内心では中央同盟国寄りの国々以外の協商国側の国家群に対して首都や重要拠点となり得る場所を攻撃をしまくった結果1918年以降から1920年の2年間くらいは戦争の起きない奇妙な期間が生まれた


1920年代のドイツ

ドイツ帝国を盟主と据える中央同盟諸国と協商国諸国との間に第一次世界大戦の終結を担う感じの我々の世界線で言う所のベルサイユ条約みたいなのが有りドイツに対して一方的な制限を掛けると言う感じの条約は結ばされてなくて


まあ何方かと言えば「現状の国境線や戦線で講和しましょうね」と言う感じの条約は結ばれたお陰でドイツ帝国はアフリカや太平洋諸島やチンタオなどの利権の消失を受けたが代わりにロシア領の東ポーランド其れとウクライナやバルト三国やベラルーシの利権を維持する事が出来てドイツの軍備を削減をするという法律も存在しなかったからこそラッパロ条約と言う物は此の世界では存在しなかった


因みにだがオーハン二重帝国とオスマンは長引く戦費のせいで空中分解を起こして其れが原因でオーストリアやリヒテンシュタイン其れとチロル地域並びボヘミアだけはドイツ帝国が接収をする事に成った


因みに此の世界のイタリアは1918年の段階で条件付き降伏を中央同盟側にして其れと同時にフランス領の未回収のイタリアの奪取をしてコルシカ等をパクったりした


そしてオーハンや二重帝国が空中分解をしている尻目にドイツ帝国と結託と言うが許可を貰いアドリア海に面している地域の接収にも成功をして居るのである


故に今回の第一次世界大戦の勝ち組と言えれるのはドイツ イタリア 日本と成るので有ろう


1920年代前半の21年10月にドイツ帝国では革命が起きて其れによりレーテ民主主義人民共和国連邦と言う国が誕生をした


レーテ民主主義人民共和国連邦と言う組織のバックに居たのは当然の如くソ連やドイツ帝国に存在をしたポーランド人等も暗躍をしていたし裏では旧協商国諸国も居たのは当然である


今現在のドイツ事正式名称では非常に長ったらしい事で有名である「ゲルマン民族が指導的立場にある大ドイツ国家社会主義共和国連邦国」の歴史の教科書では此の約6年間くらい続いた赤いドイツ連邦であるレーテ連邦を「民族として恥ずべき時代」だと教えて居る事は余りにも有名である


因みに何故民族として恥ずべき時代と載せて有るのは端的に言えば「粗無償でソ連にバルト三国とポーランド並びにウクライナとベラルーシの譲渡」が上げられるからであろう


1930年代のドイツ

レーテ民主主義人民共和国連邦を良しとしない勢力による「日本ではレーテ解体戦争又は第一次大ドイツ内戦 1927年1月21日から1928年3月21日」でレーテは崩壊をして一部のレーテの高官等はソ連への亡命などをしたりしたが多くのレーテ議員は軽い処分だと「国外追放」重い処分としては「地球追放」の沙汰が下されて


そして地球地方を受けた議員が地球内に居ても親衛隊により暗殺されてしまうという規則が存在をして多くのレーテ議員は月や火星に亡命をしたりした


其の後レーテ解体戦争の英雄として祀り上げられて第一次世界大戦の時でも「バイエルンのチョビ髭曹長」と言う名が知られていたアドルフヒトラーにより1928年11月にドイツ国防軍による戒厳令下が解除されて民族主義系国家のナチスドイツが爆誕をした


ナチスの有名な政策はやはり「宇宙生存圏構想と桃源郷進出政策」此の二つの政策がナチスドイツの政策と言えばと上げられる


宇宙生存圏構想とは「20世紀に置いて人類は15世紀の大航海時代の様に人類が進出をしてきていない領域を踏んはする事により人類の生きる生活圏の拡張をする事が出来る 地球上の土地に拘りを持つ時代は終焉へと向かったのである」と言うチョビ髭曹長のアドルフ・ヒトラーが書いた自伝の「我が闘争」で書かれた一節である


そしてもう一つの目玉である桃源郷進出計画とは日本列島の海なし都道府県の其の更に山奥には「異世界に繋がるゲート的な物」が十二又は十三ヵ所も存在をして居てアドルうヒトラー其の人は此の桃源郷と言う存在は「人類が神に与えられた福音であると同時に試練でも有る神の国に出現をしたのは神と呼ぶべき存在が人類と言う種を試す為に出現させたのであろう」と言う理由で日本政府との関係を今まで以上に改善をした事により日本では此の頃から多くのドイツ人が日本に移住をしだしたりしたのである


1940年代第二次世界大戦下のナチスドイツ

ナチスドイツと言うかドイツの領土は最初からアルザスロレーヌもダンチヒもメーメルもデンマークにパクられた領土もベルギーにパクられた領土もドイツ領のままで


まあ唯一ポーランド系の多かったポーゼン州以外のドイツ帝国本土は粗無傷に近い状態で第一次世界大戦を迎え終えた御陰でドイツ自身は対外進出をする選択は取らなかったので代わりに先程述べた桃源郷にて「ノイゲルマニアの建国」やスペースコロニーの建造に勤しんでいた


まあ其れを周辺国が当然の如く許すわけもなく周辺国で対独包囲網を引いて居て序にアメリカも其の対独包囲網に参加をして居るのであるが第二次世界大戦は枢軸国の勝利に終わり 


其れで余り欲の無いドイツは「ウクライナ等の第一次世界大戦の時にドイツ領であった欧州地域のドイツ領への編入」と言う事で済ませた・・因みにフランスはドイツとの国境に面しているブルターニュ地方を古い言い方で言えばブルグント地域をブルグント国として独立させると言う形で取られたのである


1960年代のナチスドイツ「跡目争い」


第二次世界大戦後の二十年経過した60年代に成るとボヘミア曹長は跡目を決めずに御陀仏に成った事により「第二次大ドイツ内戦 皮肉を込めて跡目戦争 1964年2月21日から1965年3月21日」が起きた最終的にゲーリング派閥が勝利をした


其の後力を付けたソ連が攻めて来た事により「第二次独ソ戦 1965年4月1日から同年の12月29日」が勃発をして其の戦争が長引いてチンタラして居たからブルグント国のトップのラインハルト・ハイドリヒはドイツ本国とソ連に宣戦布告をして


まあ最終的に宇宙からの攻撃を使う事により両方の国を倒す事が成功をしてハイドリヒ其の人が三代目総統に成り元親衛隊に因る大ドイツの統治が開幕をした


1970年代のナチスドイツ「内戦と終焉」

ハイドリヒのドイツを端的に言えば苛烈な統治であったドイツに反抗的な態度をとったと解釈されたロシア人はその場で処刑されるか宇宙追放と言う憂き目に有ったりして国家弁務官区ではロシア人などの非ドイツ系民族の死体が野晒に成って居る光景も有ったりした


其れでコーカサス地域の国家弁務官区のカフカ―ス国家弁務官区やウラル以西のロシア地域の国家弁務官区「ノイオストラント国家弁務官区」ではロシア系住民に人口がかなり激減をしたのは所謂第一次並びに第二次独ソ戦何方もソ連の方から仕掛けて来た事に対する苛烈過ぎる報復だと解釈される


まあ本国と先程述べた国家弁務官区の関係は宗主国と植民地政府との関係故に国家弁務官区側が待遇改善を求める行動で国家弁務官区の独立戦争 通称名で言えば「第三次大ドイツ内戦又は国家弁務官区独立又はは解体戦争1971年5月21日から77年4月21日」まで続く余りにも長い内戦をした


まあ其れが起きた理由にアメリカ合衆国を盟主とする自由諸国連合の介入や民族主義者系組織のテロ活動や火星や金星と言った連中が国家弁務官区側に立って介入をしたりしたお陰で長期的な戦争へと成り果てたが最終的には国家弁務官区側が負けて鎮圧される事と成ったが


まあハイドリヒ其の人は長引く戦争のケジメとして総統と言う体制の廃止 条件付きの議会制民主主義の復活と選挙制度の実施 国家弁務官区の扱いをドイツの構成国の一つにすると言う譲歩をした事によりナチスドイツは1977年10月の総統制の廃止を持って政権の消滅をする事と成った

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