第2話 小犬の表と裏

 チャイムがなって先生が教室から出た瞬間、ワッとクラスメイトがひじりを取り囲んだ。


「ねぇねぇ、どこに住んでたの?」

「日本に来るの初めて?」

「兄弟いる?」

「ペット飼ってない?」

「家どのへん?」

「そっちではなにが流行はやってた?」


「~~、~~~~!」


 切羽詰まった声で早口の英語を叫んだ聖に、教室はしーんとなった。

 

「聖、~~、~~~」


 莉愛が英語で『校内を案内するから来て』と呼びかけると、聖ははじかれ

たように莉愛の元へ走り寄った。


 クラスメイトが目を丸くしている間に、二人は教室から出た。莉愛は、聖を連れて歩きながら、ゆっくりと話し始めた。


「聖くん、ごめんね。ゆっくり一人からなら聞き取れるって、さっき教えてくれたのに」


「……ハハ。んんー。連れ出してくれテ、アリガトウ。大丈夫ダヨ」


 そう言った聖の顔色はまだ悪いままだし、震えてもいる。

 でも聖は深呼吸を繰り返して、一人で落ち着こうとしていた。


(あからさまに気を使われるのはイヤだろうな。なら保健室には行けない。気をまぎらわすためにも校内を案内したいけど今の休み時間じゃ足りないし。あ、あそこなら)


 莉愛は、少し離れた場所にあるお手洗いの前で立ち止まり、真面目な顔で言った。


「聖くん、ここのトイレ、離れてるけど人来なくておすすめ」

 

「ぶふっ。~~」


 聖は吹き出し、使い慣れた気軽な英語での感謝の言葉をこぼしながら、飾らない表情を莉愛に向けた。


 莉愛が聖の自然な笑顔に目を奪われている間に、聖はすっかり落ち着いたようで、小犬の笑顔に戻っていた。


「カワスミさん。さっきヒジリって呼んでもらえて嬉しかッタ。ボクもリアって呼んでイイ?」


 青い瞳をキラキラさせて見つめられると、イヤとは言えない。


(教室では英会話モードだったから、名前呼び捨てにしちゃってたんだ。喜んでくれてるし、まぁいっか。それにしても)


「聖って本当はもっと上手に日本語を話せるんじゃない? 聞き取りも普通にできるでしょ?」


「……なんデそう思ったノ?」


「変な話し方だから。わざと話せないフリしてるよね?」


「ハハ。もうバレちゃった」


「なんで話せないフリしてるの?」


「さっきみたいに興味本位で囲まれたら面倒だからだよ。ボクが日本に来たのは目的があるから。目的を達成するのに支障が出ないように、日本語がわからないフリしてるの。だからリアもボクに協力してよね!」


「ええ?」


「お願い! ね?」


 小首をかしげ、きゅるんと潤ませた瞳で見つめてくる相手は、見慣れない色彩の可愛い小犬のような男子で。


(うぅ。これが『あざと可愛い』っていうのかな)


 莉愛はやっぱりイヤとは言えなかった。


 チャイムが鳴る前にと急いで教室に戻ると、さきほど聖を取り囲んだクラスメイトが「さっきはごめん」と聖に謝ってきた。

 聖は「ビックリしたダケ、もう大丈夫。リアが助けてくれたシ」と、照れた仕草で莉愛を見つめる。


 あざとい仕草に、思わず半眼になってしまった莉愛だった。


 それからは、聖が囲まれそうになると、青い瞳をうるませて「リアぁ、リアも来てヨー」と莉愛を呼ぶようになった。


 莉愛が聖のそばに行くと、聖は「オネガイ、リアも一緒にいテ?」とうるうるしながら莉愛の服をつかむ。

 あざとい仕草に、莉愛は無表情ながらイラッとするものの、きゅっとにぎられた聖の指先が震えているのを見ると、振りほどけない。


「えぇー。川澄さんは呼んでないんだけどー」

「あ、そいや用事あったわ。バイバーイ」


(お呼びでないのはわかってるけど、私の存在とは。まぁ結果的に人数が減って聖の負担が減るからいっか)


 莉愛が聖と一緒にいてわかったのは、聖のあざとい仕草が増えるのは、大人数相手のときだということだ。

 苦手な様子なのに逃げずに立ち向かう聖を見て、莉愛もできる限りフォローしようと決めた。


(でも早く私抜きでも平気になってほしい)


「川澄さんはどう思う?」


 莉愛がいても気にしないメンバーは莉愛にも話をふってくれる。しかし莉愛は発言のたびに場を凍らせてしまうのだ。


(うぅ。律儀に聞いてくれるのは嬉しいけど、無難な回答の仕方がわからない)


 莉愛が表情に出ないまま困っていると。


「リアも同じだッテ。同じだから遠慮して言えないんダヨー」


「なぁんだ、そっかぁ」


 無表情な莉愛からの感謝のまなざしに気づいた聖は、莉愛に得意気な顔を向けた。


(やっぱり聖は小犬みたい)


 普段の聖は無邪気に振る舞い、莉愛だけでなく他の女子からも小犬扱いになっていった。

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