5 why study? なぜ勉強する?

「いよいよ来週はテスト期間だね。和也くんのところも?」

「うん。来週の木曜日から3日間。土日挟んでくれるからちょっと嬉しいかな。」

「いいなー。私のところなんて、月曜からだよ!土日挟んでほしいのに。」

「まあ、夏菜さんの高校は部活結構盛んでしょ?土日で部活潰したくなかったんじゃないかな?」

「あー。なるほどね。」

バイト終わり。いつもの場所。季節は秋になり、夏の暑さと秋の涼しさが入り混じったような夜だった。夜景を眺めながらする他愛もない会話。それだけ和也との仲が親密になったと言うことだろう。もう初めて会った時ほどの緊張を感じていない。

「はい、これ。」

和也がカバンから・・・何かを二つ差し出してきた。

「チョコパイ!綾鷹も!」

私の大好きなお菓子。そして、お茶はやっぱり綾鷹。最高の組み合わせに喜んだ。

「私の好み、どうして分かったの?」

「いや・・・別に夏菜さんの好みを狙ったわけじゃないよ!チョコパイも綾鷹も嫌いな人はいないでしょ?」

和也の必死の抵抗にちょっと笑ってしまった。確かに、嫌いな人はいない組み合わせ。ちょっとがっかりした思いもありつつ、感謝を述べて私はチョコパイを頬張った。

「はあ・・・。美味しいお菓子食べながら夜景見るって贅沢だね。でもなあ・・・。やっぱり勉強嫌だな。」

「勉強好き!っていう人の方が珍しいよ。」

和也の返答に、確かに!という顔をしてチョコパイを齧る。うん、美味しい。飲み込んだ後、綾鷹で喉を洗い流す。茶葉の甘みが口に広がる。

「勉強ってどうして嫌なんだろう。」

再び考える。この疑問を解決できる人はいないだろう。解決していたら、みんな前向きに勉強するはずだ。これはたまに出てしまう私の独り言。和也に質問した訳ではない。いけない、謝罪しなくては。和也を見て、ごめん、と伝えようとした時。


「勉強は、しなくてもいいと思うよ。」


ん?私の鼓膜は正常に、和也から発せられた音を拾うことができていただろうか?和也は日本語を話してくれたのだろうか?それを疑ってしまうくらい、和也の言葉は私の理解の範疇を超えていた。

「今の世の中・・・特に日本人って『勉強は辛いもの』って印象が強すぎると思う。勉強って本来、辛いものではないはずだったんだ。僕たちは誰だって、「こうなりたい!」っていう理想の自分がいる。将来なりたい理想の姿に近付くために、必要なことを勉強して、身に付けていくんだと思うんだよね。だから、必要じゃないと思うことは、勉強しなくてもいいと思う。」

一理あるが、やはり完全に納得できるところまではいかない。私は素直に疑問をぶつけた。

「でも、親も先生も、好きな教科も嫌いな教科も何でも勉強しろって言うのは何で?」

「それを正しく理解している人はどうなんだろう・・・たくさんいるのかな?前と一緒で、あくまでこれは僕の考えだからね。僕は、嫌いな教科もとりあえずやってみた方がいいと思う。決してそれは知識を身に付けるためでも、テストで点数を取るためでもない。ちょっと話を一旦落ち着かせるね。今まで生きてきて、これって何に使うの?っていう瞬間なかった?」

「あった!むしろそっちの方が多いかも。」

「そうなんだ。勉強していて、それをそのまま同じように生活で使える機会なんてほとんどない。それは、そもそも、学習を教科として分けている時点で違うと思うんだ。」

教科として分ける?一体何を言っているんだろう。とりあえず、私は和也に話を促した。

「分かりやすい例が、理科だと思う。高校生になって理科は四分類に分けられたよね?」

「うん!それは分かるよ。地学、生物、物理、化学だよね。」

「そう。じゃあ、夏菜さんの好きな分野は何かな?」

「うーん。その中なら・・・生物かな?生き物好きだから。」

「では、夏菜さんが生物を専攻して、大学でも生物について研究していたとする。ずっと生物だけを学習していたら、立派な研究ができると思う?」

私は口を開けたまま固まっていた。その様子から察したのか、和也がすかさずカバーしてくれた。

「ごめん。説明が少なくて。僕は理科に興味があるから、ちょっとだけ知ってるんだけど、生物だけを研究していても、生物界では大成しないらしいんだ。例えば、これ。」

和也は夜景の光で、僅かに緑と判断できる、近くの木の葉っぱを指差した。

「木の葉っぱあるでしょ。葉緑体があるってことは知ってるかな?」

「うん。それは知ってるよ!光合成をするところで、ミトコンドリアっていう組織があるんだよね?」

「そう!さすが!」

私は褒められて嬉しくなった。まるで、授業が始まったみたいだ。私が生徒、和也が先生。和也が先生・・・結構しっくりくるかも。

「それで、光合成をするために気体の出入りがある場所が、孔辺細胞っているところなんだ。葉の裏側にある。そこが人間の口みたいに開いたり閉じたりする。じゃあ、どうやってそれをやっているかというと、細胞の中にある浸透圧が関係しているんだ。」

「シントウアツ?」

和也が言うには、浸透圧とは細胞の外側と内側で物質の濃度が違うことによって、水の出入りが起こることだそうだ。濃度が濃い方があれば、そちらの方に水が移動する。そうすることによって、細胞が大きくなり、孔辺細胞が開いたり閉じたりするらしい。

「でも、この浸透圧を学習していくと、その濃度の問題になる。濃度の問題となると、それは化学の分野になるんだ。」

「え!じゃあ、生物の分野はそこで終わりってこと?」

「ううん。そう言う訳じゃなくて、その研究を進めるとしたら、生物と合わせて化学も勉強していく必要があるんだ。そして、そうやって光合成ができるようになった背景を研究していけば、自ずと過去に遡ることになる。すると今度は地学の分野に入ることになる。」

「じゃあ、生物も化学も地学も必要だってこと?」

「そう言うこと。研究する内容が違えば、物理の内容も必要になってくるかもしれない。つまり、僕が言いたいことは、研究ということを例にしたけど、生活の中での出来事は複雑に絡み合っていて、教科という分けられたものとは繋がらないってことなんだ。」

「生活は複雑で、教科は分けられている。だから、繋がらない。」

私は和也の言葉を復唱した。ちょっとずつ、和也の言いたことが分かってきた気がする。

「生活に直接生かせない。だからやってる意味が分からない。これが勉強が嫌になる原因だと、僕は思ってる。」

「でも、それは勉強が嫌な理由だよね。勉強しなくてもいいってことにはどう繋がるの?」

私は、和也の考えをもっと知りたくなっていた。

「ある本で見たんだけど・・・高校生や大学生は、脳の構造的には大人と大して変わらないらしいんだ。つまり、もう大人の仲間入りをしてもいいってこと。でも、こうやって高校生や大学生として、社会で働くまでの時間をもらっている。つまり、高校生や大学生の時間は、将来なりたい自分になるための時間ってことなんだと思う。だから、自分にとって何らかの役に立つと思うことなら、何したっていいと思う。まあ、あくまで親が助けてくれる、許してくれる範囲でね。」

私は和也の主張に頷いた。ただ、と和也は続けた。

「いつかは・・・勉強は必要な時が来るのは間違いない。」

なんだ。やっぱりそうじゃないか。和也の考えについて行けば、みんなが知らないような「勉強が必要のない世界」に辿り着けると思っていたのに・・・。やっぱり私たちは勉強を強いられ、逃げることはできないんだ。私がいつの間にか、地面を向いて俯いているのに気付いて、和也は声を明るくした。

「話が戻ってきたと思ってるんだよね?けど、これは勉強が嫌になる原因、やらなくてもいい理由を理解していないと、本当の真意が伝わらないと思うんだ。だから、長くなってしまったけど説明させてもらった。」

確かに。今してくれた話を聞く前と後の私とでは、勉強に対する見方が大きく違うことが分かる。

「じゃあ、どうして学習が必要なのかということだよね。紛れもない事実として、将来的には、僕たちは会社や組織、グループに入れさせてもらって仕事をする。高校卒業と同時の人もいれば、大学を出た後の人もいるだろうし、大学院に行った人、しばらく自分探しの旅に出る人もいるだろうけど、最後は仕事をしないと生きていけないからね。例えば、スポーツ選手はチームに所属するでしょ。じゃあ、どうやってチームに入れさえてもらうかというと、誰かと競い合って入ることになる。スポーツなら単純で、その競技が上手かどうかが重要になってくる。ただし、会社となると、単純な物差しがないから判断が難しくなる。みんながそれぞれ違う長所しか言ってこなかったら採用する人たちは困るから。『僕は釣りが上手です。』『私は手芸が得意です。』とかさ。そんな時、誰でも全員同じ物差しで測れるものが必要になる。そこで、都合がいいのが勉強。これは世界的にもね。これも前に読んだ本で書いてあったんだけど、会社の採用担当の人って、決して学力だけを信頼している訳じゃないみたいなんだ。でも、社会的には、学力社会みたいなイメージがついてるでしょ?これには採用する側の苦労が感じられるんだ。」

採用者側の立場?考えたこともなかった。採用者側の苦労って何なんだろう?

「採用する人にとって、一番の目的は、会社をこれからも成長させてくれる人を見付けること。スポーツも同じで、自分のチームがずっと勝てるような強い人をチームに入れたい。そんな時、スポーツだったら実績で判断できる。ある大会で優勝した。県大会に出場経験がある。とか。でも、会社にとったら、さっきも言ったように、判断する物差しがない分、学力を見るしかない。でも、実際の採用者はそれを嫌がっている。だって、採用する人も賢い人だ。勉強だけできればいいって物でもないことを知っている。」

「じゃあ、どうして・・・。学力で測らなかったらいいじゃん。」

いけない。夢中で聴いてしまって、思ったことをつい口に出してしまった。私は話を遮ってしまったことに対して和也が怒っていると思った。恐る恐る和也を見ると、優しい微笑みがあった。

「いい質問だよ。」

和也はその笑みを保ったまま、言葉を続けた。

「学力で測りたくない。けど、それ以外で共通のもの、ここで言うのは世界中で共通のものを見付けないといけない。そうなった時、必然的に『学力』しか選択肢が残らないだよ。」

なるほど。私の中で、ゆっくりと勉強の意味。そして、この社会の成り立ちのようなものを実感できた気がした。まるで、精神だけが大きく成長したように。

「ごめん。話長かったよね?」

和也が本当に申し訳なさそうな顔をして、こちらを見ている。私は慌てて顔を振った。

「ううん。全然大丈夫!」

「でも・・・。僕は結局、勉強からは逃れられないって結論を言ったから・・・。夏菜さんの思いには答えられていない。」

その言葉にはさっきまでの力が感じられなかった。本当に、心から申し訳ないと思っているのだ。これが、和也のいいところの一つ。

「むしろ、ありがとうだよ!だって、未来の自分のために、勉強したいって今思えてるから。」

和也の目に、いつもの明るさが戻ってきた。私も嬉しくなる。

「本当?そう思ってくれてるなら、良かった。」

「うん!だから、試験勉強お互い頑張ろう!」

「そうだね。じゃあ、そろそろ帰ろうか。」

「・・・本当だ!もうこんな時間。」

私たちは急いで椅子から立ち上がり、坂を降り始めた。あと何度、この道を二人で歩けるのだろう。そんなことを思い始めた瞬間だった。

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