6 進路 route

「和也くんはもう決まってるの?」

夜景を眺めている和也に私は聞いた。今日もバイトが終わって、2人で山を登った。高校3年生の夏。いや、もうすぐ秋に差し掛かっている。夜の風に当たる肌が湿気を感じず、サラッとしていて心地良い。

「進路のことだよね?」

「そう。私、今更になって悩んできちゃって。」

「夏菜さんは保育士になりたいって前言ってなかった?」

「よく覚えてるね!そうなんだけど・・・。」

私は高校に入学した時から、将来保育士になることを志していた。幼い子どもと関わることがとても好きで、小・中学生の頃は、地域行事で年下の子たちをよくお世話したことを覚えている。しかし、高校生になり、少しずつ大人の目線が身に付き、そしてバイトを始めて働くとはどういったことかがちょっとずつ分かってきた。

「保育士ってさ、毎日子どもたちとも保護者とも笑顔で元気に関わっていて、本当に尊敬できるすごい仕事だと思うんだ。だけどね・・・。」

保育士は確かに素晴らしい仕事だ。幼い子どもを預かり、食事やコミュニケーション、排泄など生活の基盤となることを、ほぼ0の状態から教えていく。これは相当大変なことだ。さらに、今の時代、保護者へのケアも重要だと、専門学校のパンフレットの卒業生のコメント欄でそう言った内容があったことを鮮明に覚えている。私にはそこまでの熱量があるのか・・・。不安な思いが日に日に増しているのだ。

私は、今の思いを和也に打ち明けた。

「なるほど・・・。どの仕事でも、社会のために働くって全部大変だと思う。けど、保育士の仕事はその中でも上位に入りそうだよね。」

「うん。精神的にも体力的にもきつそうだなって、心配で。」

和也は黙ったまま、視線を夜景に移した。私も同じように夜景を眺めた。和也は、いつも何か私を救う答えを見付けてくれる。今回も・・・。でも、こればかりは和也も経験していないこと。難しいことを聞いてしまい、申し訳なくなった。

「どうして保育士になりたいと思ったの?」

気付けば、和也がこちらを向いていた。

改めて考える。私は、なぜ保育士になりたいと思ったのか。

「多分、小・中学生の時に地域の行事に参加して、その時小学生とか幼稚園生とかと一緒に遊んだんだ。その後、その子たちさ、ずっと私のこと慕ってくれてね。下校中に会ったらいつも笑顔で手を振ってくれてたんだ。それが本当に嬉しくて。だからかな。」

「素敵な理由だね。僕だったら大変すぎてお世話なんかできないよ。」

和也が誉めてくれた。私は素直に喜んだ。心が温かくなる。

「ということはさ、夏菜さんが一番したいことって、子どもたちに笑顔になってほしいってことだよね?」

「もちろん!笑顔がたくさん見れたら嬉しいし、そのために保育士になりたいと思った。」

「それって保育士じゃないとできないの?保育園や幼稚園、小・中学校の先生じゃないといけないってわけじゃなくない?」

「・・・どういうこと?」

私は頭の上に?マークが並んだ。和也は言葉を続けた。

「夏菜さんは保育士の先生に憧れたわけじゃなくて、子どもをたくさん笑顔にしたいっていう気持ちがあった。そして、それを実現するために、保育士という仕事がいいんじゃないかって思ったわけだよね?これは、僕の持論かもしれないんだけど、仕事ってそれがゴールじゃないと思うんだ。例えば、僕らがしているバイトの仕事も、店長からしたら、カフェのお店をしたいって気持ちはもちろんあるだろうけど、それよりも、食事などを通して心地よい時間を過ごしてほしいって気持ちが一番強いと思うんだよね。だから、店長はもしあのお店を作らなくても、何か他の方法で、自分のしたいことをしていたんだと思う。あくまで僕が今まで見た店長の姿から推測したことだけど。」

和也は私に視線を戻した。

「夏菜さんも同じじゃないかな。子どもたちに笑顔になってほしい。それは保育士にしかできないことじゃないと思う。先生っていう立場にこだわる必要はないと思う。あくまで仕事は、自分のしたいこと、自分の夢を叶える手段、方法でしかないと思うから。」

「仕事は自分の夢を叶えるための方法。」

私は言葉を復唱した。夢は仕事であり、その仕事につくことが人生のゴールだと思っていた。でも実際はそうではない。仕事に就いたとしても、それにスタートラインに立ったに過ぎない。その仕事を通して、自分の理想を実現していく。

いつものように、和也の考えがゆっくりと体に流れ込んでいく感覚がある。

「ありがとう。私の目指すべき目標が何か分かった気がする。」

「良かった。」

和也が温かい笑顔を作る。その笑顔とも、いつか別れる時が来るのだ。私は改めて和也との別れが近付いていることを感じた。

「あと何回ここに来れるかな?」

私は不安で、和也に尋ねた。まだまだたくさんここに来て、和也と話がしたい。

「そうだね・・・。お互い受験に向けて勉強に集中するから、もう回数は限られてるのかもしれないね。」

和也が悲しそうな顔をする。でも、その言い方に私は違和感を覚えた。なぜか・・・こうなることをもうずっと前から知っていたかのような口振りだった。


その時、私の中で、今までの和也の行動が重なった。

最初の和也を見た時の初めてではないような感覚。私の悩みにすぐに気付いた時。私の好きなお菓子と飲み物の組み合わせ。・・・やはり和也は何か普通の人とは違う気がする。

「和也くん。」

「何?」

私は、抱いた疑問を正直にぶつけた。

「和也くんって何者なの?私のこと、たくさん気付いてくれて。助けてくれて。なんか・・・普通の人とは違うように感じるんだよね。」

和也は私の質問を聞きながら、夜景を見ていた。でも、その眼差しは夜景を捉えていないようだった。

「僕は・・・、自分にできることをしているだけだよ。ただ、それだけ。」

和也はそれだけ言って椅子から立ち上がった。背中を見付める。和也は今、どんな表情をしているのだろう。

私の鼓動が3回鳴ってから和也は振り返った。その顔にはいつもの笑顔が戻っていた。

「さあ、そろそろ帰らないと。自分の夢を叶えるために今できることは、とりあえず勉強だからね!」

「・・・そうだね。次のテスト負けないからね!」

私は話を逸らしてしまった。もっと大切なことを聞くべきだったかもしれない。でも、その一歩が怖かった。

和也と二人並んで帰り道を歩く。こうやって歩けるのも、あと数回だろう。そう直感した。


そして、別れの時が来る。

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