投稿テスト

怜悧

第1話

しかしその様な変革は可能であろうかと言う疑念は

払拭できない。

この様な行為について否定的に捉える人々は、

現実的であるとかレアリストと言う言葉を錦の御旗にして、 ややもすると理想的になりがちな人々を軽蔑しているように見える。

成程、「夢は叶う」や「」 などという甘いだけの空々しい妄言に対して我々は 少々食傷気味である。

その様な甘言は事実に即しているようには思えない為である。 しかしどうであろうか、現実的な人々が敢えて明言しない儘にしている種々の判断は

現実に即しているだろうか。 結局の所、かかる人が主張しているのは、

今迄の所多くの場合pだったのだから将来もpだろう、ということに過ぎない。

(pだろう)と言っている通り、そこには必然性もないし、 推論もないのである。

或る事実がおとずれるという可能性を 無根拠に信じることも、無根拠に否定することも

やはり同様の誤謬に陥っているのである。

というのは

何らかの事実がおとずれるまでは、事実が訪れるかどうかは不確定なのだから否定にしろ否定にしろやはり断言出来る根拠など在りはしないのである。

たしかに、この様な判断は経験に基いてはいる。 しかし理論によって基礎付けられていない経験は ジンクスの類いと何ら違いがあるだろうか、

又それで何か蓋然性や確率に大小の差が出るにしても、 やはりそれは確度の域を出ないのである。

うまりその確率を考慮に入れた上でもし私がそれでも その存在の事実の致来を望むとすれば、

私はその致来に対して努力をし、望まないとすれば諦める という事にすぎない。

実際、物事の達成を悲観することと、楽観することとは並列である。

熱意と、蓋然性とが天秤にかけられた結果の

2種である。

だからこの変革の可能性に対する不安は やはり払拭できない

そして、この様な不安は多かれ少なかれ、全ての行動 について回るものである

私は変革がなされるかについては変革がなされるまでは確証できない。

しかし、この確証の不安の内でも、 この変革はなされるべきだと信ずるということである

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投稿テスト 怜悧 @adieusalauds

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