Death~刻を待つ者

 黒い影が見える。

 階段を下りていくのが見えるのに、追いかけると消えている。

 背後から気配が迫ってくるのに、慌てて振り向くと誰もいない。


 父にも母にも相談した。

 だけど「寝言を言うなら勉強しなさい」と、真顔で説教されるだけ。


 友達はいない。

 私は、醜いから。




 ――綺麗な子。

 吉祥を目の前にして、黒岩はそんなことを考えていた。

 雪のように白い肌、ぽってりと赤い唇。豊かな黒髪は太い二房の三つ編みにして、胸のあたりで黒いベルベットのリボンで束ねてある。

 人の顔を直視できない黒岩は、そこまで見るのがやっとだった。だけど、それだけで劣等感は大きくなった。だって自分は粉を吹いた荒れた肌、ガサガサの唇に父がカットしたガタガタのショートカット。更には目の下に青黒いくま、眉毛は太くて繋がっている。親が嘆くのもよくわかる、女になんて生まれたくなかった。


「私に幽霊は見えない」


 赤い唇から言葉がこぼれて、黒岩は劣等感の底から我に返った。

 黒岩が吉祥に会いに来たのは、あの黒い影を消したかったからである。両親には相手にされなかったし、他に聞ける人間もいない。何日も悩んだ挙句、クラスの女子が噂していた『図書室の占い師』を訪ねたのだ。

 とても勇気が必要だったし、声をかけるときも我ながら気持ち悪かった。説明もうまくできなかった。

「――す、すみませんで、し――」

 声が出ない。ちゃんと謝れない自分が嫌だ。早く死ねという自分の声が、脳内でこだまする。

「でも占いはできる」

 黒岩は驚いて顔を上げた。そこにはアンティークのお人形のような、日本人離れした目鼻立ちの少女がいた。

「相談内容は『黒い影を払いたい』」

 吉祥はそう呟くと、カードの山を崩すように広げた。なんどか一定方向にかきまぜて、再びまた山の形に戻す。

 それを適当な山に分け、また元の山に戻し、手早く三枚のカードを並べていく。

 一枚目は悪魔。二枚目は隠者。そして三枚目は、死神。

 ――どう見ても、最悪なのばっか。

 恐怖とも諦めとも取れる気持ちが、黒岩の心を締め付けた。表情の出せない顔の裏で、黒岩は息が止まりそうな気持だった。

 吉祥は、ただ淡々と言った。

「日の出を待って」

「――?」

 固まる黒岩をしり目に、吉祥はカードを片付けながら更に言った。

「次に黒い影を見た時は、太陽が昇るまで待って」

 吉祥は、黒岩の返事を待たずに席を立った。黒岩は少し戸惑っていたが、なんとなく頭を下げて図書室を去った。




 その日の深夜、黒岩はいつものように父に殴られていた。

「本当にお前は俺の子か!」

 父曰く全力ではないという、げんこつ。これが連続で、頭の同じ場所に何度も当てられる。

「見た目も悪けりゃ頭も悪い。本当にお前はどっちに似たんだか」

「本当よ。取り違えたのかしらねぇ、こんなブサイク産む気なかったのに」

 母までが同意して、本気のため息をついていた。

「あんな馬鹿高校でこんな点しか取れないなんて、本当に恥ずかしい!あの制服着て家を出られるのも嫌なのよ、お母さんは!せめていい大学行って、ご近所さんに頭だけはまともですって言えるように頑張りなさいよ!」

 これは、別に怒られているのではない。ちょっとした話題から唐突に飛び火する、いつもの会話だ。今日はリビングで23時のニュースを見ていたら、こうなった。

「いつ見ても猫背でみっともないな。その胸の脂肪が重いのか?豚のくせに、いっちょ前に色気づきやがって。そんなところ頑張っても、そもそも顔が豚だろうが」

「だめよぉお父さん。そんな事言っちゃ、豚がかわいそう」

 母が口をゆがめて突っ込むと、父は腹を抱えて大爆笑した。

「そうだそうだ、豚がかわいそうだ!お前と比べられる生き物すべてがかわいそうだ!」

 黒岩は暴れたい衝動に耐えていた。幼い頃からこんな両親だ、心はとっくに殺された。だけど体は生きている、本能が牙をむけと追い立てる。


 ――え?


 その時、黒岩ははっきりと見た。仲良く笑う両親の後ろに、黒い影を。姿

 影は、父の頭に拳を振り下ろした。べごっという嫌な音をさせて、父は床に叩きつけられた。驚いて固まった母の顔を、今度は足で蹴り上げた。母は思いのほか吹っ飛び、食器棚の角に強く頭を打ち付けた。

 影がこちらに向こうとするのを察して、黒岩は逃げ出した。靴も履かずはだしのまま、玄関を飛び出した。




 外に出た黒岩に、安息はなかった。

 自分と同じ顔をした影が、そこかしこから湧いて出たからである。

 ――だれか助けて!

 叫びたくても声が出ない。なんでもいいから喉から音を出そうとしても、ヒューヒューという風切り音がするだけだ。

 とにかく明るい方に走ろうとしたが、黒岩が住むのは空き地と田んぼだらけの田舎だ。無駄に照らされた駐車場に人はなく、それどころか闇の奥から黒い影が次々と出てきては追いかけてきた。

 ――なんで!どうして!

 なんどか捕まりそうなのをよけながら、黒岩は必死に頭を回転させる。どうすれば私は助かるのだろう、どこに行けば安全なのだろう。


『日の出を待って』


 不意に、吉祥の言葉を思い出した。吉祥は、太陽が昇るまで待てと言った。しかしどこで待てばいいのだ、自分の後ろにはもう十体、二十体じゃ収まらないが迫っているというのに。

 ぐるぐる考える黒岩の目に、ぽつんと建つコンビニが映った。黒岩はもうなにも考えず、残った力を全部足に使って疾走した。

「いらっしゃいま、せ?」

 自動ドアを通り抜けた黒岩はレジ前を疾走し、レジ横の陳列棚に張り付くようにして後ろを振り返った。あふれかえった自分そっくりの黒い影は、閉じた自動ドアを開けられずに次々とガラスに張り付いた。




 黒岩は、コンビニのバックヤードに通されていた。

「まあ、飲みんさい。俺のおごり」

 レジに立っていた店員のおじいさんは、紙コップのコーヒーを出してくれた。他に店員はいないようで、とても静かである。

 黒岩は、少しだけ頭を下げつつ、裸足にパジャマといういで立ちをどう説明しようと悩んでいた。しかしおじいさんは、すぐに店頭に戻った。

 拍子抜けしながら、目の前のコーヒーを眺める。おじいさんには悪いが、コーヒーは苦手だ。小さい頃父に無理やり飲まされてから、一度も口にしたことがない。

 ――でも、いい香りがするな。

 少しずつ落ち着いてきて、やっと黒岩の心に『恐怖』というものが襲い掛かってきた。それまでは、ほぼ本能的に逃げていたのである。

 あれは何だったのか。黒い影の顔は、全て私だった。醜いうえに不気味なほど表情がなくて、無言で殴り無言で蹴り、無言で追いかけてくる。

 ――そういや私も普段は無言だった、我ながら怖い。

 明後日な事を考えながら、黒岩はまたコーヒーを眺めた。コーヒーも黒いよねと思ったとたん、急にぞわりと気配を感じた。

 ――そんな、どこから!?

 辺りを見渡しても影はいない。しかしコーヒーに映った何かに、黒岩は怯えた。見えた気がしたのだ、黒いフードの自分が。

 思わず投げたコーヒーは、壁に当たって茶色いしぶきになった。それを見た黒岩は、大きく息をついた。

「コーヒーって、黒くないんじゃん」

 それは、久々に出たまともな声だった。黒岩は静かに、しかしとても長い間笑った。笑いながら、自分がぶちまけたコーヒーをふき取っていた。




 ちょっとだけ、うとうとしていたらしい。

 ふと目をあけると、そこはコンビニではなかった。

「あれ?」

 目の前にあったのは、だだっ広い空き地。そしてなぜか石碑。

 空を見ると、明るくなっていた。まだ日は昇っていないが充分明るい。

 すべて夢だったのかと、黒岩は道路に出ようとした。と、そこに紙コップが転がっていた。中身は、多分コーヒー。

 ――夢じゃない。

 辺りを見渡すと、まだ残る薄暗い闇から黒い影が這うようにして近づいてきた。木の陰から、塀の陰から、用水路の陰から。

 黒岩は、石碑を背に後退りした。この影が何かは分からない、ただ絶対にヤバい、捕まってはいけない。

『あの黒い湯を飲めば、こちらの者になれたものを』

 石碑から怨みの籠った声が聞こえた。慌てて振り返ってよく見ると、表面に首塚と書かれている。そういえば昔、このあたりの豪族が我が子に首を刎ねられたとか聞いた、ような。

「いやいやいや、死にたくない、死にたくない、死にたくない!」

 大声で叫んだと同時に、朝日が射した。夕焼けのように赤い光が、黒い影を焼き尽くしていく。


 黒岩は、地面に崩れ落ちた。そしてしばらく放心していたが、ふらふらと家を目指して歩いて行った。



 それから黒岩は、黒い影を見なくなった。

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