JUSTICE~盲従する者

 その人が好きだった。

 たとえ誰かのものであろうと、友達としてそばにいたかった。

 その人はいつも笑っていた。その人の周りだけ明るかった。



「――お願いします」

 吉祥の前で神妙に頭を下げるのは、大谷という男子生徒だ。体は大柄で筋骨隆々、体育祭ではどの種目でも引っ張りだこの人気者。面倒見のいい彼は男女問わず多くの人に慕われ、占いに縋るような悩みなど縁がないように見える。

 そんな彼が、図書室のパイプ椅子に身を丸めて収まっていた。あまり利用者がいない図書室とはいえ、少々目立つ様相である。

 吉祥は淡々と準備を始めた。いつものようにポケットからカードの箱を取り出して、机の埃を手で払う。

「相談は何。恋愛、それとも友情」

「友情……いや、愛なのかな。よく分からないんです、混乱してて」

 吉祥はカードの山から22枚をより分けた。大アルカナだけを使うのが、吉祥のやり方だ。

「今まで仲良かったのに、急にある女子に責められて。それから無視されてます。また仲良くしたいんだけど、どうすればいいのかわかんなくて」

「心当たりは」

「ない、です。ないまま、もう一か月くらい口きいてくれない」

 話を聞いた吉祥は、手早くカードをかきまぜた。一度広がったカードを再び集めて、迷いのない手つきで並べていく。

 最期のカードだけは伏せて、彼女はカードを読み解き始めた。

「相当悩んだみたいだけど、流れがよくない。もう徹底的に破綻してる」

 大谷は力なく笑った。占いに頼ってみたところで、やはり一発逆転の策はないらしい。

「最後に神託のカードをみましょうか」

 伏せていたカードを、吉祥が表に返す。すると、そこに天秤を持った男が現れた。――ただし、さかさまで。

 吉祥は黙り、カードを一通り眺め直した。そして何かの声を聞くように、じっと目を閉じた。

「離れて良かったって、カードが言ってる」

「え?」

「その人の世界は普通じゃない。冷静になればそれが見える」

 大谷は首を傾げた。それをよそに、吉祥はさっさとカードを片付けた。





「やーだー、もー」

 今日も、桜木の声が教室に響く。

 彼女の周りはいつも賑やかだ。学年一の秀才、学校一番の人気者、おしゃれな女子に不良のボス。とにかく一位と呼ばれる人たちが群がっていて、スクールカーストのトップはここだと見せつける。

 あそこに自分もいた、自分も一位の集団で酔っていた。離された途端に心が折れた。


 だけどひと月も経ってしまうと、正直どうでもよくなった。

 なぜならば。


「大谷君、今日も読み合わせだから急いでね!」

「あ、松下!俺も行く!」


 大谷は、クラスメイトの松下に誘われて演劇部に入っていた。一人で落ち込んでいる自分が嫌で、たまたま助っ人を探していた松下に声をかけたのだ。

 今度の文化祭では『ロミオとジュリエット』の一部をやる予定で、大谷はジュリエットの従兄ティボルト役に抜擢された。一族想いだけれど頭が固く、ロミオの一族を徹底的に嫌悪している男だ。

 ――他人を演じると、人を見る目が変わるよな。

 大谷もなかなかの正義感の持ち主だが、ティボルトほど頑固ではないし差別もしない。だけどティボルトにとっては、それが正義なのだ。曲げるなんてことも考えられないのだ。

 話せば分かるとか、みんな仲良くとか。そんな聞き飽きた言葉でさえも、通じない相手は意外といるのかもしれない。


 急いで荷物をまとめて、教室を飛び出したその時。

「おい、大谷!」

 後ろから怒号が浴びせられた。何事かと振り向いたそのほほを、全力の拳が打ち抜いた。

「お前、桜木のこと無視してんじゃねえぞ!」

 殴ったのは、桜木の彼氏である阿部だった。学年一のイケメン、そしてボクシング部副部長。わずかな悲鳴が湧いた後、静寂が廊下を支配する。

 阿部は、さらに声を張り上げた。

「勝手にグループ抜けやがって、お前何様のつもりだよ!あ!?演劇って、何ガラにもねえことしてんだよ、謝れよ!先に桜木に謝れよ!」

 大谷はまだ混乱しながら、なんとか立ち上がった。

「俺、桜木に何もしてないんだけど。俺こそ聞きたい、なんで俺嫌われたんだ」

「はぁ!?ふざけんな!!」

 阿部は再び拳を打ち下ろした。しかし運動神経のいい大谷は、二発目を軽くかわした。それに激高した阿部は、そのまま体当たりを仕掛けてきた。

「お前!桜木のメッセ無視したろ!」

「は?え?」

「1時間も無視したんだろうが!アイツがメンタルすぐ壊すの、お前も知ってっだろが!」

 大谷はやっと思い出した。その時間、彼は塾だったのだ。彼の通う塾では、授業中スマホを先生に預けるというルールがある。だから出られるわけがなかった。

「俺はお前らに桜木を託してんだよ、桜木の事は絶対に守れっつってんだろうが!」


 言い返そうとした。

 だけど大谷は口を閉じた。

 彼はティボルトなのだ。

 桜木が絶対なのだ。

 それがどんなに歪んだ愛であろうとも、曲げることはあり得ないのだ。


 ならば自分は、自分の正義を貫くまで。

「部活の邪魔すんじゃねえ」

 伸ばしてきた腕をとり、後ろ手に捻り上げてやる。あれだけ猛攻してきた阿部が、簡単に派手な悲鳴を上げている。

「俺は桜木にもう興味がない。俺に二度と関わるな、俺はお前らより忙しいんだよ」

 乱暴に放り捨てて、そのまま部室に向かった。阿部が何やら罵る声と、あちこちから聞こえる忍び笑いが耳障りだった。




 そして。

 今日も図書室の吉祥を探し、客が来る。

「あのね。私、大谷君っていう子と仲直りしたいの。てか、好きになっちゃって。前の彼氏、俺強いって自慢してたくせに激ヨワでさ。嘘つきは嫌いだから捨てちゃったのー。でも大谷君は本当に強いし、演劇でもカッコいいじゃん?」

 読書をしている吉祥などお構いなしに、桜木が勝手にしゃべりだす。

「占いでさ、仲直りの方法出してくんない? あ、効果的な告白方法でもいいよ? 好みの女の子のタイプも分かるかなあ? 多分、松下さんみたいな地味な子が好みだとは思うんだけど。あ、それだけ占うと吉祥さんが大変かあ、なら私とメッセしない?」

 吉祥はポケットに手を突っ込んで、カードの箱を取り出した。しかし占うのではなく、たった一枚のカードをテープルに置いただけだった。

「何、これ」

 いぶかし気な桜木に、吉祥は邪魔くさそうに答えた。

「カードはこれ。これだけで充分」

 正義の逆位置。しかし、解釈は前回と違う。

「不道徳なの、直せば」

 静かなはずの図書室で、吹き出す声があちこちで聞こえた。

 桜木は派手に泣いて見せたが、司書の先生に「図書室ではお静かに」と注意されただけだった。



 桜木は、不幸な自分を憐れんでいた。

 誰かが来てくれるまで、延々と憐れんでいた。

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