成阿 悟


 遠くに紅い灯りが、ぼおっ、と光っている。

 翔一は、この橋の上からその灯りを眺めるのが好きだった。

 いつも家に帰る途中、この小さな川の、古い石造りの橋の真ん中で自転車から降り、欄干に寄りかかって灯りを眺める。

 こんな何もない田舎町の、夜の闇に浮かぶその灯りだけが、まるで別世界のように見えた。

 翔一の母親は、翔一がまだ幼い頃、家からいなくなったまま帰ってこなかった。

 そのあと、定職につかず呑んだくれの父が、派手な若い女を新しい母親だと言って連れてきた。

 それから翔一が中学二年になった今まで、その女を母親だと思ったことは一度もない。

 けれども、その女が水商売で稼いだ金で生活しているのも事実だった。

 翔一が、いつもここから見る闇夜に浮かぶ紅い灯りは、まるで魂の輝きのようで、見る度に息を飲む。

 握り締められた拳から、ゆっくりと力が抜けていく。

 翔一は、その灯りが闇に溶け込むまでずっと眺めていた。

 

 

 一週間後、翔一はまた橋の上まで来ると、自転車を降り、灯りを探した。

 最初は、二ヶ月に一度くらいの間隔でここに来ていた翔一だったが、最近どんどんと、ここに来る間隔が短くなっていた。

 灯りは、この前とは反対の、南の方角に浮かんでいる。

 いつもより大きい。

 翔一の心の澱みが、すぅっ、と綺麗に洗い流されていく。

 湿気で肌に張り付いた半袖シャツと短パンから伸びる、細い腕と脚にあるいくつもの痣の痛みも、その灯りを見ている時だけは忘れられた。


 

 それから三日後にも、翔一は橋に来た。

 今日の灯りはとても近くに浮かんでいる。

 今までで一番大きく、そして紅い。

 闇夜という漆黒のカンヴァスに描かれた、くれない筆跡ふであと

 その灯りを、腫れ上がった顔で、まばたきも忘れじっと見つめている翔一の視界に、別のあおい光が、ふわり——と舞い込んできた。

 ――螢。

 気づくと、こんな深夜であるにも、翔一が今まで見たこともないほど無数の螢が、川面かわも一面に乱舞していた。

 螢たちは、徐々に翔一を癒すかのように取り囲んで集まり、渦を巻いて飛んだ。

 窒息しそうなほどの光のまたたきは、宇宙そらの彼方から、星屑が舞い降りたかのように美しかった。

 その銀河の中心で、翔一の体は震えだし、そして大声をあげて泣いた。

 悲痛に、泣いた。

 ひどく滲んだ視界の中で、あざやかな軌跡を描きながら煌き、乱舞する碧い光の群れ! 群れ! 群れ!

 その向こうに、大きく紅い魂の灯りは、ずっと――ずっと、浮かんだままだった——。



《今日、午前二時ごろ、木造二階建ての住宅より出火。

焼け跡からは、この家に住む羽田翔次郎さんと、その内縁の妻と思われる女性の遺体が発見されました。

さらに、焼け焦げて崩れた床下からは、白骨化した遺体も見つかりました。

同居している中学生の息子は外出していて無事。

またこの火災が、ここ一連の空き家への不審火や、三日前に起きた中学校の木造校舎の火災との関連があるかについては、現在調査中で――》

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成阿 悟 @Naria_Satoru

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