第30話 喪失感

 小春のお腹の中に子供がいると知り、別れようと言われ、うん。と言わざるを得なくなり彼女と終わってしまった次の日。


彼女は仕事を辞めた。家も引っ越すらしい。

ちょうど子供ができるタイミングで彼女の旦那さんの転勤が決まったとのことだ。


どこに行くかは知らない。


知ろうともしなかった。


会社での最後の挨拶はちょうど俺はどうしても外せない顧客との打ち合わせがあり、参加できずに終わった。

というか参加したくなかった。小春に合わせる顔がない。


どんな顔したらいいか、いくら仕事だとはいえ笑顔で見送るというそんな器用なことなんてできないと思った。


 顧客との打ち合わせも終わり、夕方に会社に戻るといつもいるはずの小春の姿はもちろんなく、彼女の一生懸命仕事を頑張る姿が走馬灯のように頭に何度も流れてきた。


 バタバタしながら会議用資料をたくさん印刷しまとめる小春。


 クレームの電話があり丁寧に受け答えする小春。


 上司ともしっかりコミュニケーションを取り頼りにされている小春。


俺はこらえきれず外の喫煙所に行った。


タバコに火をつける。


いつものように小春はこない。


俺と彼女のコーヒーをその小さな両手でしっかり持ち、そこのドアからいつも俺がいるかどうか顔を覗かせ、目が合うと必ず小春はニッコリしこっちに来て一緒にタバコを吸ってくれた。


もう今は何分待っても、何時間たっても小春は現れることはない。


今まではどれだけ喧嘩しても、会話をしなくても小春とすれ違うことはできた。その時には気づかなかったが、それだけで俺は毎日力をもらっていた。


もういない。


タバコの火を消しまたタバコを吸う。


何本も何本も。


ここでタバコ吸っていたら、ネガティブになりすぎて何も手につかなくなると思い。重い足を事務所まで運ばせるが、どこを歩いても、どこにいても、小春の姿はなかった。


誰に話しかけられてもあの小春のように元気ややる気をくれる人なんていない。

返事もしたくないし振り向きたくもない。


感情のないおつかれさま。


皆そんなものなのか。


小春は違った。いつも俺の様子を見てくれていた。

仕事がうまくいかず、焦っているときに笑顔でこっちに来てくれてコーヒーを差し出し、俺の話を聞いてくれた。

時には俺に近寄らずそっとしてくれたりもしていた。


プロジェクトがうまくいくと一緒になって全力で喜んでくれた。

上司から褒められた時もその後何度も頭を撫でてくれた。


彼女にしてもらったことをたくさん思い出し俺は一粒の大きな涙を流した。誰にも気づかれないように。




本当にいなくなったんだ。



こうやって思えるようになったのも小春と別れてから一週間がたってからの事だった。

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