第4話
職員室前の廊下で鮎沢とすれ違った途端、鮎沢は俺の袖を掴み、
「宮本先輩! ビッグニュース! まだ学校の人には誰にも言ってないんですけど……」
と、声を潜めた。
「メルハーの新メン募集、応募しちゃいました」
え?
一瞬、思考が停止した。
新メンバー募集のことは知っていたし、それについて「何故このタイミングで?」と、オタクが好き勝手に憶測を立てて騒いでいたのも知っている。
しかし、メンバーが増えようが増えまいが、桜ちゃんを推すことに変わりはないから、俺にとってはさして関心のないニュースだった。
理由の分からない不安にかられ、掌に汗が滲む。
俺にとってメルハーは、ステージの上の偶像、いや本物の天使。鮎沢がそこに加わるなんて、想像すらできなかった。
「マジか。本気? 繋がり目的は普通に良くないと思うよ」
頑張れという言葉が出てこない。
鮎沢は、優陽とお近づきになりたいという打算的な理由だけで、こんな行動を起こすようなファンではない。それは分かっているのに、嫌味を言ってしまった。
鮎沢はむきになって、俺に詰め寄る。
「繋がり目的じゃないですよ! 私、本気でメルハーの音楽をやりたいんです。メルハーに貰った希望を、届ける側になりたいんです」
「もう面接みたいなこと言ってる。気合入ってんな。まあ、本気なら応援するよ」
優陽と仲良くなりたいだけだろ、と胸の内で悪態をつく。自分でも最低だと思うが、正直、落ちればいいのにと思った。
鮎沢は合格する気がしていた。MELTY HEARTの曲を歌えて、ダンスも踊れるというアドバンテージがある。いや、そこじゃない。あいつはアイドルみたいに可愛い。花がある。
軽音部のライブでも、鮎沢はひときわ目を引くボーカルだった。
俺はどうして、鮎沢にMELTY HEARTのメンバーになって欲しくないのだろう。
冬に差し掛かる頃にはオーディションの結果が発表された。
鮎沢マコトは、『服部ことり』という名前で、MELTY HEART研修生になった。数ヶ月の研修の後、新メンバーとしてステージに立つらしい。
俺がそれを知ったのは、MELTY HEARTの公式アカウントが投稿した新メンバー発表の動画だった。
もし合格したのだったら、俺には連絡してくれると思っていたのに、鮎沢は教えてくれなかった。もう一丁前にプロ意識をもって、情報漏洩に細心の注意を払っていたのだ。
服部ことり。当たり前のように傍にいた鮎沢が、画面の中にいて、知らない名前を名乗っているのは不思議で、実感が湧かなかった。
動画がアップされてから一時間後に、鮎沢から動画のURLが送られてきた。
『もう観た。おめでとう』と返すと、すぐに既読がついた。
『やっと言えて嬉しいです! 黙っててごめんなさい』
パンダのキャラクターがテヘと笑っているスタンプが送られてきた。
鮎沢に反省の色は無い。反省する必要なんて、どこにも無いから当たり前だ。
深い溜息を吐いて、ベットに倒れる。
若干胸が痛い。あくまで若干だ。致命傷ではない。
あーあ、ワンチャン付き合えるかもって思ってたのにな。
打算的で、素直に祝ってやれない自分が嫌になった。
ガチ恋してたわけじゃない。
ちょっと顔が可愛いと思っていただけ。
そもそも、俺が世界で一番可愛いと思っている女の子は、成瀬桜ちゃんだ。
鮎沢がMELTY HEARTのメンバーになったところで、何も落ち込む理由は無い。
それどころか、これからは俺もMELTY HEARTの関係者と言っても過言ではないのだ。
鮎沢から、楽屋裏の話や、桜ちゃんのプライベートな話も聞けちゃうかも。楽しみ、楽しみ。
無いか。鮎沢は絶対に、MELオタの俺には内部情報を漏らしてくれないだろう。何も良いことない。
いや、鮎沢の念願が叶ったのは良いことだ。
素人がいきなり、圧倒的アイドルな桜ちゃんの横で踊るのは、なかなか大変だろうが、彼女を応援しよう。今後のMELTY HEARTの発展のために。
そして、もう鮎沢には必要以上に近づかないことにしよう。
寝て起きたら、そういう考えに纏まった。俺は聞き分けの良い、良質なオタクだ。
次の日の放課後、軽音部の部室を覗くと、鮎沢が一人でぼおっと窓の外を見つめていた。
渾身の笑顔を貼り付けて駆け寄る。
「憧れの優陽と一緒にステージ立てるじゃん。良かったな」
てっきり、鮎沢は目を輝かせて「そうなんですよ! 超楽しみ」と言うと思っていたのに、予想に反して彼女は落ち着いていた。というか、寧ろローテンションだった。
「そこは目的じゃないんで別に。私はメルハーの精神を継げればいいです」
「継ぐって?」
「いや、何でもないです」
鮎沢の作ったような無表情が、嫌な予感を掻き立てた。
「ごめんなさい。今、色々言っちゃいけないことがあって。特に先輩はMELオタだから、一番情報を漏らしちゃ駄目なんですよ」
「何それ。怖いんだけど」
「一緒にいると言いたくなっちゃって駄目だ。ひと月くらい距離とってもいいですか」
その言葉通り、鮎沢はその日を境に、俺に話しかけて来なくなった。
廊下ですれ違っても、余所余所しい態度で「お疲れ様でーす」と言うだけ。
このまま自然に、関係性が薄くなっていくなら丁度いいと思った。
MELTY HEARTの悪い重大ニュースが何なのか、少しは予想がついている。
いっそのこと、言い当ててやろうかと思った。そうしたら、鮎沢はどんな反応をするだろう。
あの大きい瞳いっぱいに涙を溜めて、「誰にも言っちゃ駄目ですよ」と、俺の前でだけ泣くかもしれない。
どれだけ辛いか想像もつかないから、せめて慰めてやりたかった。
木下優陽が辞めるのだろう。
俺はそう確信していた。
アイドルを継ぐ者~推しの卒業と同時に俺の後輩がアイドルになった~ 埋立ほやほや @umetate_hoyahoya
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