第2話

 去年まで、鮎沢マコトと俺は、軽音部の先輩後輩であり、MELTY HEARTのオタク仲間だった。


 入部して間もない鮎沢が、俺のベースギターに書かれた桜ちゃんのサインを目ざとく見つけ、話しかけてくれたのが始まりだった。

 いや、「話しかけてくれた」ではない。

 鮎沢は黙って、MELTY HEART夕陽色担当の「木下優陽」のサインが入った、数量限定グッズのトートバッグを見せつけてきたのだ。俺に対抗するように。


 MELオタ同士だと分かった俺達は、すぐに意気投合し、ライブも一緒に行くようになった。

 

 鮎沢と一緒にライブに通っていた時期は、MELTY HEARTの最盛期だった。

 歌唱力ナンバーワンでファンシーな成瀬桜、カリスマ性があってクールビューティーな木下優陽、ムードメーカーでファンに神対応な海原真珠、ダンスが抜群に上手い不思議ちゃん梶井檸檬。この四人のMELTY HEARTは最高で、人気は鰻登りだった。


 深夜のバエラエティー番組にレギュラー出演していたし、Zeppを埋められるだけのファンがいた。チェキ会は、どのメンバーにも長い列が出来ていた。


 中でも、鮎沢の推しである木下優陽は断トツの人気があった。スレンダーな長身で、独特のファッションを着こなす優陽は、多くの女性ファンの憧れの存在だった。ライブに行くと、優陽と同じウルフカットの女の子が沢山いて、すぐに優陽ファンだと分かる。


 アイドルオタク界隈では、「メルハーは優陽一強」だなんて言われて、桜ちゃん推しの俺としては複雑だったが、MELオタの六割以上が優陽推しなのは事実だった。


 鮎沢は優陽推しだが、ウルフカットではなくセミロングで、優陽に寄せた服を着るわけでも無かった。しかし、優陽へ抱いている憧れは人一倍だったと俺は思う。

 それが分かったのは、去年の夏、一緒に行ったツアーファイナルの帰りのことだった。



 一年前、夏。

 俺と鮎沢は放心状態のまま電車に揺られていた。終電が近いからか、車内は空いている。

 黒地にメンバーの写真がモノクロ印刷されたライブTシャツを着たまま、俺達はぐったりと椅子に腰掛けていた。


「はぁ……優陽ちゃんマジで美しい、可愛い、かっこいい。世界一だわ」


 興奮で語彙力を無くした鮎沢は、先程から同じような言葉を繰り返している。


「"Runners high"の間奏中、優陽ちゃん私とばっちり目が合ってウインクしてくれたんですよ」

「えっ!? そんなの死ぬじゃん」

「死にました」


 鮎沢はそう言うと、思い出したように頬を染め、足をバタバタさせた。


 俺も余韻に浸り、桜ちゃんを思い出す。

 ライブの後半戦で、衣装のアームカバーを外して舞台袖に投げていたのは暑かったからだろう。

 汗で後れ毛が頬にはりついて、それが綺麗で可愛かった。何故アイドルは、汗の一雫すら美しいのだろうか。

 床に落ちるのは勿体ないから、できれば客席に撒いてほしい。


「今日の桜ちゃんの煽り、ヤバかったな。あれは鳥肌立った」

「桜ちゃん煽りの天才ですよね」

「ソロパートの歌の上手さも群を抜いてるしな」

「いやいや、優陽の格好良い歌声もレベチですよ」


 ツイッターを開くと、仕事の早いMELオタが今日のセトリをまとめていた。


「明日月曜か……」


 そう呟くと、鮎沢は「やだ〜、思い出したくなかった」と言って天井を仰いだ。


「今、優陽ちゃんのことしか考えたくないんで、メルハーの話ししましょうよ。学校の話は無し無し」


 俺もそれが良いと思った。今感じている幸福感を壊したくない。


「鮎沢は、いつからMELオタなの?」

「二年前、中二からです。ライブ行くようになったのは高校生になってからですけど」

「へぇ。何きっかけ?」

「ツイッターに優陽ちゃんの写真が流れてきて、なんてお洒落で綺麗で格好良い人なんだろうって衝撃受けたんですよ。最初は、モデルか女優さんかと思ったんですけど、調べてみたらアイドルで、意外すぎたから、どんなライブやってんだろうって気になって、メルハーの公式チャンネルに辿り着いたわけです」

「ライブ動画見たら印象ガラッと変わるよね」

「そりゃもう。あれ見たら惚れるしかないですよ」


 MELTY HEARTは、普段和気藹々としたゆるい雰囲気のメンバーが、ライブとなると熱いパフォーマンスをしてくれるというギャップが売りのグループだった。


「その時見たライブ動画、歌詞がとにかくグサグサ刺さって……それまではアイドルって恋愛の曲ばかり歌ってるって偏見があったんですけど、メルハーの音楽ヤバいなって」

「ヤバいなって?」


「メルハーって、本気で誰かを救おうと歌ってる感じするじゃないですか」


 そう言う鮎沢の顔は真剣だった。


「救われた?」


 そう尋ねると、鮎沢はニコッと口角を上げて、激しく頷いた。


「ちょっと自分語りしていいですか?」

「いいよ」


「私、中二の一年間、ほぼ学校行ってないんですよ」


 あまりに意外で、思わず鮎沢の顔を二度見してしまった。

 鮎沢は窓の外を見つめたまま、ぽつりぽつりと語った。


「これでも真面目なキャラだったんで、学級委員押し付けられちゃって……でも結構、問題児が多くて大変なクラスだったんですよね。クラス全体の雰囲気が悪くなって、どんどん校則違反も普通になるし、悪口も増えるし」


「当時の私は、変に真面目だったんで、色々注意しなきゃいけない立場だっていう自覚が無駄にあって……今思えばやり方が悪かったですね。皆と仲良くしたかったのに、ノリ悪いとかクソ真面目とか言われてウザがられちゃって」


「気づいたら、陰口言われまくるタイプになってたんですよ。まぁ今は、半分自分が悪かったと思ってます。世渡り下手……もっと言うと社不なんですよ。社会不適合者?」


「いや、それは周りの生徒が悪いだろ。鮎沢は社不じゃない。むしろ人当たり良いし、友達も多いし」


「今はまぁ、色々学んだのでマシになりましたよ」


「ある時、ほぼ不良みたいな男子にキレられて、手を挙げられるまでは行きませんでしたけど……ほら、中学生って繊細だから、それで怖くなっちゃったんですよ」


「自分の部屋に引きこもって、ほぼずっと布団の中にいて、楽しいこと何もなくて、毎日焦燥感にかられて、ネット見て現実逃避、みたいな? そういう日々を半年くらい送って、そんな時に出会ったんですよ、優陽ちゃんとメルハーに」


「初めて見たメルハーのライブ映像で、優陽ちゃんがソロパートで歌ってた歌詞

“その心をここに持ってきて。氷が溶けるまで私達が歌うから”

って。あれでメルハー沼に落ちましたね」


 鮎沢はシリアスな空気を誤魔化すように、冗談ぽく笑った。


「学校の話は無しって自分で言ったのに、いっぱい話しちゃった。暗い話してごめんなさい」


「いや、俺の方こそ嫌なこと思い出させてごめんっていうか、辛い話させてごめん」


 そう言うと、鮎沢は頭を横に振った。


「全っ然! 暗い時代も全部、今の私にとっては優陽ちゃんに救われるまでの大切な物語なんで」

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