アイドルを継ぐ者~推しの卒業と同時に俺の後輩がアイドルになった~

埋立ほやほや

第1話

 ライブハウスを埋め尽くす二千本のペンライトが、一色に光って揺れる。たった一人に捧げられた桜色の海。


 スポットライトの真下に立つ彼女の頬は涙と汗に濡れ、ラメを散りばめたように光っていた。サビ前の間奏、スピーカーから爆音で流れるエレキギターのソロ弾き。彼女は目を閉じ、天を仰いだ。呼吸も忘れるほどに美しいその横顔に俺は見惚れる。アイドルとしての彼女を、一秒でも長く、この目に焼き付けたかった。


 彼女はゆっくりと目を開き、言葉を紡ぎ始めた。桜色のポニーテールを揺らし、握りしめたマイクで魂の叫びを響かせる。彼女の言葉が、俺の心臓に触れる。俺だけじゃない。今この場にいる誰もが、彼女の声に心を震わせているだろう。ステージと客席との境は無くなる。距離がゼロになる。汗も涙も気にならない。


 ラストのサビ、転調の瞬間、熱狂は爆発する。ファンは引き寄せられるように、ステージへと手を伸ばす。舞台に立つ彼女達もまた、ファンに手を伸ばしてくれる。会場中が音楽で一つになる。


 もう、最後なのに。このユートピアの中心に彼女が立っている光景も、もう見ることは叶わないのに。涙で視界がぼやけるのが悔しい。


 耳には、彼女の感情的な歌声が響く。歌詞の一つ一つに想いを込め、今この時この瞬間に届いてくれと言わんばかりに、今持てる力を全て出し切るかのように、力強く歌っている。

 ペンライトを持つ手で涙を拭い、顔を上げる。


 彼女の華奢な身体からは想像もつかないようなエネルギーが、噴き出しているのが分かった。その姿はまるで、天高く燃え上がる炎だった。

 

 MELTY HEART 桜色担当 成瀬桜。

 それは、この世界で最も美しいアイドル。

 俺にとって唯一無二の、希望の光。





 『attitude――態度、姿勢』

 そんな簡単な単語、とっくに知ってるっつーの。

スマホを開き、英単語のリスニング音声を止める。ワイヤレスイヤホンを耳から外し、下駄箱で靴を履き替えた。

 本当は、音楽を聴きながら登校したい。しかし、今は我慢の時だと自分に言い聞かせ、毎朝誘惑と戦っている。時々負けるが今日は勝ち。

 大学受験本番まで、残り一年を切っていた。


 二階の教室に向かう階段を上がろうとすると、キャリーケースを引く、ガラガラという音が凄いスピードで近づいてきた。

 この学校にそんな大荷物を持って登校する人間はただ一人。振り返ると、やはり後輩の鮎沢マコトだった。


「宮本先輩! おはようございます!」


 高音ながらに芯のあるその声は、心地よく耳に響く。

一週間前に染めたという彼女の髪に、まだ目が慣れなかった。染髪禁止の我が校で、彼女の鮮やかなライトブルーのセミロングは、どうしても悪目立ちしている。


「おはよ」

「宮本先輩は相変わらず覇気がないですね」


 鮎沢は生意気な口を利き、にやりと笑う。そんな顔も可愛いと思ってしまうのが悔しいが、不可抗力だ。なんせ彼女は現役アイドルだから。

 彼女が持つ小ぶりなキャリーケースに視線を落とす。数年前のMELTY HEARTのステッカーが何枚も貼られていた。


「二階までは持ってあげるよ」

「いえいえ、大丈夫ですよ。軽いので」

 

 キャリーケースの取っ手を持ちあげようとすると、見た目以上の重さがあった。


「全然軽くないだろ」

「いや、今日は軽い方です」


 一体何がこんなに重いのか。衣装? 化粧道具?

 キャリーケースを持ち上げて階段を上り始めると、鮎沢は「ありがとうございます。先輩いつの間にそんな紳士になったんですか」と、感心したように言った。

 あー、重い。余裕綽々なフリをするのが大変だ。


「今日もライブ?」


 そう尋ねると、鮎沢は大きく頭を縦に振った。


「今夜はなんと新曲発表です。当日券ありますけど、先輩どうですか?」

「行かない。受験終わるまでライブは我慢するって話したじゃん」


 そう答えると、鮎沢は不服そうな顔をして、口を尖らせた。


「たまには息抜きも大事ですよ」

「鮎沢もな。仕事と勉強を両立すんの大変だろ」


 そう言うと、鮎沢は俺から目を逸らし、独り言のように呟いた。


「私はいいんですよ。アイドル楽しいし」


 言葉通りに受け取って良いのか分からなかったが、俺が彼女を心配するのはお節介だ。身の程を弁えて、詮索はやめようと思った。


「楽しくやれてるなら良かった。じゃあ」

 

丁度二階に着いたから、話を切り上げた。キャリーケースを鮎沢に渡す。


「受験終わったらライブ来てくださいよ。絶対! 約束!」

「行けたら行くわ」

「それ来ないやつじゃないですか。先輩、MELオタやめるんですか! 他界ですか!」


 返事を濁して、軽く手を振る。

 先輩後輩のよしみとして、一度は鮎沢がライブをやっている姿を見に行くのが礼儀ってものかもしれない。ただ、複雑な感情が渦巻いて、どうにも見に行けない。


 鮎沢がどこの馬の骨とも知れないアイドルグループに加入したのだったら、俺はもっと素直に鮎沢を応援できたのかもしれない。


 しかし、鮎沢マコトは、MELTY HEARTの水色担当”服部ことり”なのだ。


 推しが卒業したアイドルグループに、仲の良い後輩がいるなんて、どんな気持ちでいれば正解なのか、俺は未だに分からない。


 俺と鮎沢の今の関係性は、一体何なのだろう。

 ファンとアイドル? 先輩と後輩?

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