40 続・思わぬ相談
伯爵はリーケを連れ、市立病院の玄関前まで来ると、人気のない街路樹の影でリーケに“聞き込み”をしていた。
――余の質問に答えろ。お前は自分の夫に対して何を企んでいる?
リーケは無表情で、伯爵の目を見つめながらボソボソと喋り始めた。
「わたしは……睡眠薬を使って、夫を殺そうとしてます……。食事に混ぜて、イェネーファも飲ませて、副作用を起こそうと企てました……」
伯爵は、ほう、と片方の眉を上げた。
――夫を殺した暁には、その後はどうするつもりなのかね?
「夫を殺したら……ヴァン・ヘルシング教授に取り入って、媚びようと思います……。公務員と聞いたので、勘当された夫よりは金持ちでしょう……」
リーケの返事に伯爵は目元にシワを寄せ、蔑む目付きでリーケを見下ろした。今すぐにでもこの女を抹殺して、エイブラハムに近づく“虫”を排除したい。そう思ったが、ヴァン・ヘルシングに知られたらきっと、以前のように諭され、否、叱責されるだろう。もう15世紀ではないのだ。自身でも分かっているのに、自分に関係のあることに関してはどうも生前の頃の法を持ち出そうとしてしまう。伯爵は深くため息をつくと、リーケの催眠術を解き、何事もなかったようにヴァン・ヘルシングが入院している病室へと戻っていった。
病室に戻るとヴァン・ヘルシングが待っていた様子で、伯爵に向かって手を振ってきた。
「お、ヴラド、聞き込みは出来たか?」
「ああ」
伯爵はヴァン・ヘルシングの隣に腰掛けると、何のためらいもなくリーケが喋ったことそのままをヴァン・ヘルシングとヘラルトに言った。
伯爵の話を聞き終えヘラルトは顔を青ざめ愕然とし、ヴァン・ヘルシングは気まずそうにヘラルトを見つめた。
「モンスさん、大事を取って今日は入院しましょう。私から看護師や医師に提言します」
ヴァン・ヘルシングの言葉にヘラルトは怯えた様子で深くうなずいた。
「それで奥さんの方はどうした?」
ヴァン・ヘルシングが伯爵に問うと、伯爵は、そろそろだ、と一言。少しして、病室の入口にリーケが現れた。
「あなた!」
リーケが心配した面持ちでヘラルトに向かって駆けてきた。ヘラルトは思わずのけぞり、ヴァン・ヘルシングは手で彼女を制止した。
「ああ、奥さん。旦那さんですが今日大事を取って入院することになりました」
ヴァン・ヘルシングの言葉にリーケは驚きの表情を浮かべた。
「入院ですって!? それならわたくし、付き添いの準備を――」
「それは結構です!」
ヴァン・ヘルシングが慌てて付け加えた。
「ご安心を、奥さん。看護師が夜見回りをしておりますので、何かあればすぐに医者を呼びます。ですから奥さん――」
ヴァン・ヘルシングは、リーケを制していた手を彼女の手に重ねた。横で見ていた伯爵が目を見開く。
「今日はリーケさんも、自宅でゆっくり休んでください」
ヴァン・ヘルシングの言葉にリーケは頬を染め、はい……と一言言うと、ヘラルトなどもう眼中にないのか、あっさりと何も言わずに病室をあとにしてしまった。
リーケがいなくなったとたん、ヴァン・ヘルシングとヘラルトは深いため息をつく。ヴァン・ヘルシングは真剣な表情でヘラルトを見た。
「モンスさん」
「はい」
ヘラルトの姿勢が正される。
「今日はゆっくり休んで、明日からすぐに離婚出来るように準備してください」
「はい」
ヘラルトは深くうなずいた。
昼。例の、伯爵曰く“粗末な食事”を食べ終えて少したった頃。
ヴァン・ヘルシングはベッドの上で大学の教科書や参考書を読んでおり、伯爵はその脇の椅子に座って読書をしていた。その時。
「先生!」
病室の入口を見てみれば、アドリアンが立っており、ヴァン・ヘルシングと目が合うや否や室内に入ってきた。
「お、アドリアン君。私の見舞いに来てくれたのかい?」
ヴァン・ヘルシングは教科書と参考書をサイドテーブルに置いた。伯爵も本を閉じ、アドリアンを見上げる。
「こんにちは、先生、ドラキュラさん」
アドリアンは二人に挨拶すると、少々憂いを帯びたような笑顔を見せた。
「バース君、何か相談かね?」
伯爵の問いにアドリアンは苦笑いを浮かべ、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「流石、ドラキュラさん……」
「何だ、相談か! 良いぞ」
ヴァン・ヘルシングは姿勢を変え、ベッドの縁に座るとアドリアンに隣のベッドに座るよう促した。アドリアンは申し訳無さそうに姿勢正しく腰掛けた。
「それで相談とは何だい? 授業で行き詰まったかな?」
ヴァン・ヘルシングは得意気な表情で言うと、身を乗り出した。ヴァン・ヘルシングは乗り気なのに何故かアドリアンは後ろめたそうだ。アドリアンの様子にヴァン・ヘルシングは首をかしげた。伯爵も不思議に思ったのか静かに立ち上がると、ヴァン・ヘルシングの隣に腰掛け、アドリアンを眺める。
「その……授業のことではないんですが……」
アドリアンが恐る恐る言うとヴァン・ヘルシングは破顔した。
「構わないさ。私は君より倍以上生きている。何か良い助言が出来るかも知れない」
ヴァン・ヘルシングの言葉にアドリアンはホッと胸を撫で下ろすと、咳払いをして、身を乗り出してヴァン・ヘルシングと伯爵だけに聞こえるように話し始めた。
「実は……クララの……職場のことなんですが……」
クララの名前が出たとたん、ヴァン・ヘルシングと伯爵は互いを見合い、再度アドリアンに視線を戻した。
「クララさん、の職場……。そういえば、どこにお勤め何だい?」
ヴァン・ヘルシングの問いにアドリアンは、ああ、ともらすと答えた。
「クララはR・モンス社という洋服工場で働いてるんです」
……“モンス”? 洋服工場……?
ヴァン・ヘルシングはちらりと、斜め向かいのベッドでくつろいでいるヘラルトを見た。
「何かありましたか……?」
アドリアンに問われ、ヴァン・ヘルシングは、何でもない、と返した。アドリアンが話を続ける。
「それで、そのR・モンス社の社長なんですが、どうやらもう高齢らしくって……。ご結婚はして一人息子がいるみたいなんですが、その息子さんとは数年前に絶縁してしまって、会社の後継者がいなくって……」
ヴァン・ヘルシングは一応自身も老人だと思っているので、何となくアドリアンに聞いてみた。
「高齢って……何歳ぐらいなんだ?」
「60代と……」
アドリアンの返事にヴァン・ヘルシングは目を点にさせた。
「そ、そうか……」
……私はもう70代に突入寸前なんだがな……。
ヴァン・ヘルシングは苦笑いを浮かべた。
話を戻して、アドリアンが続ける。
「それでその社長が、後継者がいないから、と近々工場の廃業を考えてるみたいで……」
「クララさんの職場がなくなってしまう、ということだな?」
ヴァン・ヘルシングの問いにアドリアンは深くうなずいた。
「クララじゃ使用人の仕事なんて無理なんです!」
アドリアンが切羽詰まったように、訴えるように言った。確かに、多彩な趣味を持っているクララに、自分の家とは違う各家庭の規則に拘束されるのはきっと息が詰まる思いだろう。それに使用人ともあれば業務時間が定められておらず、住み込みで働き、ほぼ自由な時間がなくなってしまうのは明白だ。工場勤めの方が自分の時間がちゃんと保証されている上、賃金も使用人の仕事より多い。
そうだな、とヴァン・ヘルシングが返そうとした時、アドリアンが続けて言った。
「布地を切ったり縫ったりする器用さはあるのに、掃除とか料理は全くダメダメで! クララにジャガイモの皮を剥かせたら、拳ぐらいあったジャガイモがゴルフボールぐらいの大きさになってしまうんですよ!?」
アドリアンは自分の拳でジャガイモを表したかと思えば、人差し指と親指でちっちゃくなってしまったジャガイモの大きさを強調した。そんなアドリアンにヴァン・ヘルシングは瞬きをする。
……ヴラドはそんなクララさんからスタンポットを教わったのかっ? ヴラドの料理の腕前が良かったんだな……。
ヴァン・ヘルシングは微苦笑を浮かべながら返した。
「普段の私なら、そういう件に関しては力になれない、と返すところだが、今回ばかりは力になれそうだ」
ヴァン・ヘルシングの返事にアドリアンは、えっ!? と声を上げた。
「で、でも、どうやって――」
「その息子さん、今そこにいる」
ヴァン・ヘルシングは斜め向かいのベッドで神妙な面持ちでこちらを見ているヘラルトを手で指し示した。ヴァン・ヘルシングに手を向けられたヘラルトはこちらに歩み寄ってくると、ヴァン・ヘルシングたちの会話の輪に入ってきた。
「まさか、親父が工場を廃業、だなんて……」
ヘラルトは深刻そうに呟くと深くうつむいた。ヘラルト自身父親とは絶縁こそしてしまったが、どうやら実家の工場廃業は本意ではないようだ。そんなヘラルトを見兼ねたヴァン・ヘルシングはアドリアンの隣に座るよう促した。ヘラルトは静かにアドリアンの隣に座り込んだ。
ヴァン・ヘルシングは咳払いをすると、改めて話し出した。
「モンスさん、離婚出来たらすぐにお父さんに謝って勘当を解いてもらいましょう。私から見るにモンスさんもご実家の工場がなくなってしまうのは不本意と取れました」
「ですが……そう簡単に――」
消極的なヘラルトにヴァン・ヘルシングが話を続ける。
「朝の、ヴラド――助手の話を覚えておいでですか? それに私なりにここにいる教え子の助けになりたいのです。先ずは当たって砕けろ、ですよ。モンスさん」
「……はい」
ヘラルトは、本当にそういうふうに上手くいくのだろうか? と言いたげに返事をした。ヴァン・ヘルシングはなだめるように笑顔を見せると、隣りに座る伯爵を、打って変わって真剣な表情で見た。
「ということだヴラド。しばらく昼間は来ないように」
「何故だね?」
伯爵が不思議そうに首をかしげた。
「朝の一件でもだったが、リーケさんの気をモンスさんから逸らす。明日の朝にも来るだろうし。今病人である俺にはこれぐらいでしか協力出来ない。せめてもの保険だ」
ヴァン・ヘルシングは、朝リーケにしたように伯爵の手に自身の手を重ねた。伯爵は重ねられたヴァン・ヘルシングの手を一瞥し、視線を上げた。
「何故俺がその女に気を使わねればならんのだ?」
「クララさんのためだ」
ヴァン・ヘルシングに諭され、伯爵は少し不満そうだったが、分かった……と、渋々承諾した。
「それにしてもお二人、“親子”みたいに仲が良いですね」
突然のヘラルトの言葉に、ヴァン・ヘルシングと伯爵は顔を彼の方に向けた。ヴァン・ヘルシングは照れ臭そうに伯爵から手を離すと、頭をポリポリと掻いた。
「時々“親子”と間違われますよ。歳なんて“四世紀”ぐらい離れてるんですがね」
【因みに本作でのヴァン・ヘルシングと伯爵の年齢差は401年】
ヘラルトは、聞き間違えただろうか? と目を見開き、首をかしげた。
……“四半世紀”の間違えかな? 普通に親子ぐらいの年齢差に見えるけど……。
その隣でアドリアンがハラハラした面持ちで畏まっていたのは言うまでもない。
……先生っ! “四世紀”って! 変に思われますって!
深夜。
既に日はまたいでおり、病室内をヴァン・ヘルシングのサイドテーブルのオイルランタンが淡く照らし出していた。
ヘラルトはとっくに眠っており、小さないびきをかいている。そんなヘラルトをヴァン・ヘルシングがベッドの上で、心配そうな面持ちで眺めていると、どこからともなくバサリと風を打つ音がした。上を見上げれば大きなコウモリがヴァン・ヘルシングに向かって飛んできていた。きっと伯爵だ。コウモリはヴァン・ヘルシングの足元の上に着地すると、伯爵の声で“一言”。
『眠れないのかね?』
「あ、ああ……。俺が眠っている間に何かが起きたら、と思うと……」
ヴァン・ヘルシングが心配そうに返すと、コウモリは、案ずるな、となだめてきた。
『あの女にはそこまでやれるような度胸はない』
コウモリはそう“言いながら”ヴァン・ヘルシングの脚の上を這っていくと彼のお腹の辺りまでやって来て彼を見上げた。キィと小さく鳴いては耳をヒョコヒョコと動かし、何かを待つ。そう、“いつも”ならここでヴァン・ヘルシングがコウモリを撫でたり持ち上げたりして抱き寄せてくれる――のだが、ヴァン・ヘルシングは一向にコウモリに触れようとせず、怪訝な顔でコウモリを見下ろしてはそっと両手を伸ばしてきた。コウモリはいよいよだ、と期待したのも束の間、ヴァン・ヘルシングはコウモリの両足を摘み、持ち上げたのだ。逆さに持ち上げられたコウモリは瞬きをしながら顔をヴァン・ヘルシングに向けた。ヴァン・ヘルシングは口をへの字に曲げる。
「お前、今日の朝の話、覚えてるか?」
コウモリは首をかしげた。
「その姿は“すっぽんぽん”なんだろ? だから金輪際動物姿のお前には無闇に触らない」
ヴァン・ヘルシングは今朝のお返しでもするようにそう言うと、コウモリを足元に、うつ伏せになるように静かに置いた。コウモリはぱっちりとした赤い両目でヴァン・ヘルシングを見つめるが、ヴァン・ヘルシングは首を横に振った。コウモリは納得がいかなかったのかゴロンと仰向けになるや否やギャーギャー! と鳴き喚き、両の翼を掛け布団越しのヴァン・ヘルシングの脚に、とてつもない速さで叩き付けた。決して痛くはなかったが、バババババンッ! と大きな音が病室内に木霊した。ヴァン・ヘルシングはギョッ! と目を丸くしながらコウモリ――伯爵の癇癪をどう止めようか思考を巡らせていると、斜め向かいのベッドで寝ていたヘラルトが眠気眼でムクリと身体を起こした。
「……うるさいんですけど……」
寝起きのか細い声で言ったかと思えば、ヘラルトは再度横になり、掛け布団を顔まで手繰り寄せ、すっぽりと覆った。
「す、すみませんっ……」
ヴァン・ヘルシングは小声で謝りつつ、コウモリの翼を慌てて両手で押さえ込んだが、コウモリの力の方が強く、手を弾かれそうになった。
「分かった、分かったっ。俺が悪かった……」
ヴァン・ヘルシングが謝るとコウモリはピタリと動きを止め、顔を彼の方に向けた。その表情は、本当に? といった具合に見えた。ヴァン・ヘルシングはコウモリを放し、力強く何度もうなずいた。するとコウモリは嬉しそうにキッキッ、と鳴きながらゴロンとうつ伏せになり、素早い動きで彼の首元までやって来て、その首にギュッと抱きついた。
ようやく機嫌を直したコウモリにヴァン・ヘルシングは、ため息をつきつつ、そのもふもふの背を撫でる始末。
……結局私は、こいつには敵わないんだなぁ……。
ヴァン・ヘルシングは降参したようにコウモリを撫でながらベッドに横になった。そして、普段の姿のコイツを怒らせてはいけない、と肝に銘じた。
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