26 崇拝者

 昼間、伯爵はダム広場の市場に買い物に来ていた。

 ヴァン・ヘルシングは大学に出勤中で、今日も伯爵一人だった。

 4月に入って数週間が経った。昼間の時間が大分伸びたので、伯爵がもし眠ってしまったら目覚めるのが午後の9時近くとなってしまう。午後9時となればヴァン・ヘルシングはとっくに家に帰宅している時間だ。大学で眠ってしまったらヴァン・ヘルシングに迷惑を掛けかねない。それに最近、数日前より、ダム広場に来ると何者かの視線や存在を伯爵は感じ始めていた。今もその真っ只中である。ヴァン・ヘルシングにはそのことを言っていないが――。

 伯爵は今日もその存在を撒こうと手短に買い物を済ませ、急いで家路につこうとした。だが突然目の前に、見知らぬ金髪の髪をボサボサにし、汚れた服を着たみすぼらしい格好の、中年ぐらいの男が現れたのだ。

「“ヴラド・ツェペシュ”様!!」

 男の言葉に伯爵は目を見開くと、一瞬眉間にシワを寄せて男を高圧的に見下ろした。

……余に付きまとっていたのはコイツか。

「余のことを知っておるのかね?」

 そう尋ねると男は不気味に青色の目を輝かせ、ドイツ語で返してきた。

「やはりヴラド・ツェペシュ様だ! もちろんですとも! わたくしはミハイと申します。あなた様の崇拝者であり、“末裔”であり“子孫”にございます。あなた様を探しに遥々ルーマニアから参りました」

 ミハイと名乗った男は周りの人たちの視線を気にもせず、恭しくひざまずくと伯爵の手を取り、両手でギュッと握ってきた。伯爵はミハイの行動に気味の悪さを覚え、すっと手を引き、マントの端を手繰り寄せた。

「“余の末裔”と言ったな? どこの出身だ?」

 伯爵は疑わしそうにミハイを上から下まで眺めた。ミハイはルーマニア人とのことだが、どうもドイツ人のような金髪に、ヴァン・ヘルシングと同じような青い瞳を持っていた。

……まさか。

 伯爵は一瞬懐かしく愛おしいカタリーナの姿を思い浮かべた。

 伯爵の問いにミハイは立ち上がると、力強く言った。

「ブラショフにございます」

 ブラショフは確かにトランシルヴァニアの都市であり、伯爵――ヴラド三世の恋人であったカタリーナ・シーゲルの住んでいたところでもあった。

 当時のブラショフは主にドイツ系の人々が暮らしており、ギルドを発展させていた。

 もしかしたら、眼の前に立つ男、ミハイはカタリーナと自分の――。

 伯爵は考えるのを止めた。

……もう、余の子孫など……。

 フン、と鼻を鳴らすと、少々億劫そうにミハイに聞く。

「余に何の用だ……?」

 ミハイは伯爵に歩み寄ると背伸びをし、伯爵の耳元で囁くように言った。

「……あなた様とわたくしで、“ワラキア公国”を復活させませんか?」

 伯爵はギロッとミハイを横目に見た。ミハイは続ける。

「そしてドラクレシュティ家を復活させ、“不死者の国”を造りましょう! あなた様とわたくしで! あなた様の力があれば可能です!」

 ミハイは興奮気味に、声高らかに言うと一歩下がり、伯爵に手を差し伸べた。そんなミハイに伯爵は呆れ返ったのか、淡々と返す。

「ドラクレシュティ家は3世紀前に、既に滅亡したのだ。家元の繁栄などにもう興味はない。それに――」

 伯爵は鋭くミハイを見下ろすと、彼の耳元で言った。

「“ワラキア公国”は“滅んではおらんぞ”」

 そう言い残すと伯爵は颯爽ときびすを返し、優雅な足取りで家路へとついた。

 ミハイは伯爵の最後の言葉の意味が理解出来なかったのか、口元を歪めて考える素振りをする。そして、慌て伯爵を呼び止めようと振り向いたが、既に伯爵の姿は見えなくなっていた。


 ヴァン・ヘルシングの家に帰ってきた伯爵は買ってきた食材を冷蔵庫へとしまっていた。

……既に遺物となってしまった余など……。もう余の出る幕はないのだ……。

 少し悲しげにため息をつくと、伯爵はキッチンを後にし、眠るために自室へと向かった。


 夜。キッチンにてヴァン・ヘルシングの夕食の最中。

 伯爵はヴァン・ヘルシングの向かいに座っていた。その表情は珍しく、どこか浮かない面持ちだった。それがどうも気になってしまったヴァン・ヘルシングは、口の中のものをごっくんすると不思議そうに伯爵に尋ねた。

「どうした? また何かあったのか?」

 すると伯爵が、呟くように返してきた。

「……“ツァラ・ロムネアスカ”。君は知っているかね?」

 伯爵の問いにヴァン・ヘルシングは目をパチクリさせ、答えた。

「“ツァラ・ロムネアスカ”……。“ワラキア公国”のことか? それがどうかしたのか?」

 ヴァン・ヘルシングは料理を頬張った。そんな彼を他所に、伯爵は思い悩んだように目を伏せ、ヴァン・ヘルシングを上目遣いで見つめた。

「俺の記憶違いで、実はワラキアは滅んで――」

「は? 何言ってんだ?」

 ヴァン・ヘルシングは呆れたように伯爵の言葉を遮った。

「“ワラキア公国”――“ルーマニア”は、モルダヴィア公国と合併して今も続いてるだろ。何だ? ホームシックか? ははっ!」

 ヴァン・ヘルシングは可笑しそうに笑うと、心配して損したと言わんばかりにパクパクと料理を口に運び、その美味しさを堪能するのであった。

 伯爵が呆然として彼を見つめていると、ヴァン・ヘルシングは話を続けた。

「それにワラキア――ルーマニア王国は20年くらい前にオスマン帝国からちゃんと独立しただろ? もしかしたらオスマン帝国の方が滅亡するかもしれないぞ?」

 伯爵にとって夢みたいな話がヴァン・ヘルシングの口から出たものだから、伯爵は思わず失笑してしまった。

「ふふっ。どうだろうね。……もう俺の子孫など……。どこにいるのやら……」

 伯爵が少し悲しげに呟くと、ヴァン・ヘルシングが、子孫? と首をかしげ、これまた可笑しそうに言った。

「もしかしたら、“お前の代わりに”お前の子孫がイギリスに住んでるかもな?」

 ヴァン・ヘルシングの嘘なのか本当なのか分からないような、8年前の自分への“お返し”のような話に伯爵は苦笑いを浮かべることしか出来なかった。

「俺はもう、のんびりとここで暮らしたい……」

「そうか」

 ヴァン・ヘルシングは顔を綻ばせると、料理を頬張るのであった。






※ワラキア公国の“ワラキア【英語:Wallachia】”は諸外国からの呼び名であり、ルーマニア語では“Tara Românească(“ツァラ・ロムネアスカ”。ただしTaraの“T”にはコンマビローが付く)”と、ちゃんと昔から“ルーマニア国”と呼ばれている。


 1859年、ワラキア公国(ルーマニア公国)とモルダヴィア公国が合併され、ルーマニア公国が統一された。ただし、この時はまだオスマン帝国の支配下だった。

 1877年、ルーマニア公国がオスマン帝国から独立する。

 1920年、トランシルヴァニア公国(ハンガリー領)がルーマニア王国(カロル一世が1881年に国王に即位したので“王国”)と合併する。

 1922年、トルコ革命にてオスマン帝国は滅亡する。

 

 因みに。

 1893年、メアリー・オブ・テックはジョージ・フレデリック(後のイギリス国王、ジョージ五世。ヴィクトリア女王の孫)と結婚し、イギリス王室に入る。ジョージ五世夫妻はエリザベス二世の祖父母である。

 メアリー・オブ・テックはミフネア一世――要するにヴラド三世の子と、ヴラド三世の異母弟であるヴラド四世の子孫である。

 今のイギリス王室はヴラド三世の子孫でもある、ということになる。感慨深い……。








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