25 ベッド

 朝、ヴァン・ヘルシングを見送った伯爵はキッチンの片付けを終えると、そろそろとホールを抜けてヴァン・ヘルシングの寝室へと向かった。何故か忍び足である。

 伯爵はヴァン・ヘルシングの寝室の扉の取っ手を掴んだかと思えば周囲をキョロキョロと見渡し、静かに入室した。

 ヴァン・ヘルシングの寝室のカーテンは開けられており、柔らかな日差しが入り込んでいた。窓の外をのぞいて見れば、他人の敷地である裏庭が見えた。雪は既にないものの春はまだ遠く――ただ、チューリップがところどころに咲いている――、閑散としていた。その向こう側には別の家が左右にずらりと並んでいる。

 伯爵はカーテンを閉めると、ベッドの方に振り返った。つい1時間程前までヴァン・ヘルシングが眠っていたベッドである。伯爵はそっと掛け布団を捲るとゆっくりと腰を下ろし、少し寂しそうな眼差しでベッドを見下ろしながら優しく手を滑らせた。小さくため息をつき、いそいそとスリッパを脱ぐとベッドに潜り込む。ベッドの中は既に冷たくなっていたが、伯爵には十分温かかった。爪先がベッドからはみ出てしまうので少し膝を折り、右肩を下にして目を閉じた。

 吸血鬼にとって、ベッドで眠ったところで何の意味もなさないが、伯爵は心地良さそうにそのまま“人間の眠り”に就くのであった。


 本日の講義を終えたヴァン・ヘルシングが帰宅した。時刻は午後の7時を回った頃。外はまだ昼間のように明るく、過ごしやすい気温だった。

 家に入り、自分の家である3階へと上がっていく。予想はしていたが家の中は静寂に包まれており、少し肌寒く感じた。

 きっとヴラドは眠っているに違いない。そう思ったヴァン・ヘルシングは、先ずキッチンに向かいキッチンストーブに火を起こした。火が安定してきたところで自分の部屋へと向かう。

 扉の前に着き、取っ手を握った時だった。

「ん……?」

 良く分からないが、奇妙な違和感を覚えた。

 ヴァン・ヘルシングはそっと自室の扉を開けた。

 室内は薄暗く、既にカーテンが閉められていた。奇妙な違和感はこれか? と、ヴァン・ヘルシングは部屋に入り、カーテンを開けようとした。が、ベッドの上に一瞬目が行った。ベッドの掛け布団が異様にこんもりと膨らんでおり、小さく上下している。耳を澄ませば、規則正しい寝息が聞こえてきた。

 まさかっ! とヴァン・ヘルシングは忍び足でベッドに近付き、枕元をのぞき込んだ。ヴァン・ヘルシングの予想通り、彼のベッドには伯爵が眠っていたのだ。

 しっかりと目を閉じて、生きている人間と同じように呼吸をし、気持ち良さそうに寝ていた。心地良さそうに、静かに眠っている伯爵を叩き起こすのにはどうも気が引けてしまったヴァン・ヘルシングは微苦笑を浮かべ、物音立てないように部屋着に着替えた。

 寒さの中、ヴァン・ヘルシングが着替えていると伯爵がむくりと起き上がった。

「ブラム……帰ってたのか……」

 伯爵が朧気な表情で目を細めては、ヴァン・ヘルシングをじっと見つめていた。

「あ、ああ……」

 ヴァン・ヘルシングは少し落ち着かない様子で急いで着替えを済ませ、ガウンを羽織った。

「すまない、これから夕食を作る……」

 伯爵はそう言うとゆっくりと起き上がり、何事もなかったかのように寝室を後にしてしまった。そんな伯爵をヴァン・ヘルシングは不思議に思いながら見送った。


 夕食の最中。

 ヴァン・ヘルシングは、向かいに座って、じっと静かに、晩ご飯を食べている自分を眺める伯爵に、少しからかうように言った。

「最近留守番続きで寂しかったのか?」

 伯爵がパチッと目を見開いた。少しふざけ過ぎたか? と、ヴァン・ヘルシングは改め、何でもない、と言おうとすると――。

「そうかも知れない……」

 伯爵が目を伏せ、静かに答えた。伯爵の様子にヴァン・ヘルシングは思わず目をパチクリさせてしまった。


 夜。

 規則正しい寝息を立てるヴァン・ヘルシングを、伯爵が部屋の隅に立ち尽くして眺めていた。

 ベッド脇のオイルランプの淡く小さな明かりだけが室内を照らしていた。

 伯爵は姿を歪ませコウモリに変身すると、ヴァン・ヘルシングの寝息で上下する掛け布団の上に静かに着地し、彼の寝顔を見つめる。するとヴァン・ヘルシングがゆっくりと薄目を開けた。自分の胸元にいたコウモリに気付き、目を見開く。

「……ヴラド……」

 コウモリは首をかしげ、耳をヒョコヒョコと動かしたかと思えばそろそろとヴァン・ヘルシングの首筋に近付いていき、ふわふわの頬で頬擦りしてきた。ヴァン・ヘルシングはくすぐったかったのか、クスリと一笑し、コウモリの背中をポンポンと撫でた。

「……何だ、何だ……? 甘えん坊か……?」

『……ここで……温まっても良いかね……?』

 コウモリはヴァン・ヘルシングの返事を待たずして彼の首元に収まった。

「全く……懲りない奴だなぁ……」

 口ではそう言ったものの、ヴァン・ヘルシングは満更でもなかったのか掛け布団を首元まで引っ張り上げ、コウモリをすっぽり覆った。

『ふむ……。温かい血も良いが、温かい寝床も良い……。“やみつき”になってしまいそうだ』

 コウモリがからかうように言ってきた。

「冗談はよしてくれ……」

 そう言いながらヴァン・ヘルシングはコウモリの方に首をかしげ、コウモリのもふもふを堪能するのであった。

……私も、お前が来てくれるまで、孤独で寂しかったよ……。

『Noapte bună, Abraham.』

「Goedenacht, Vlad.」






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