10 パーティー

 翌日、朝。ヴァン・ヘルシングの家のキッチンにて。

 ヴァン・ヘルシングは作業台をテーブル代わりに椅子に座り、朝のココアを飲みながら新聞に目を通していた。その傍ら、伯爵が出来立てのパンを作業台に持って来た。

「昨日解剖したご遺体の事件か……」

 ヴァン・ヘルシングの呟きに、伯爵は横から新聞をのぞき見た。だが、新聞は全てオランダ語――当たり前だが――で、伯爵にはまだ読むことが出来なかった。

 ヴァン・ヘルシングは見出しの文字を順番に指差しながら伯爵に説明した。

「『昨日の朝、市議会議員アッセル氏の娘、アメリア・アッセルさん19歳の遺体がアムステルダム市内の自宅の部屋で見つかった。司法解剖の結果、死因は頸動脈を切られたことによる失血死で、警察は殺人として捜査をしている。家族によると発見時、アメリアさんの部屋の金品、宝石類がほとんどなくなってしまっていたとのことだ。部屋には争った形跡はなく、強盗に見せかけた犯行と警察は見ている。被害者は婚約中であり、現時点で相手の婚約者との連絡はついておらず、警察は今回の事件との関連を調べている』だと。聞いたことがある名字だと思ったが、市議の娘さんだったのか……。若いのに……」

 ヴァン・ヘルシングはしみじみとした眼差しで新聞を見つめた。


 数日後の朝。アムステルダム市立大学のヴァン・ヘルシングの研究室にて。

 ヴァン・ヘルシングが次の講義の準備をしていると、研究室の扉がコンコンと鳴った。

「どう――」

 ヴァン・ヘルシングが言い掛けたところで扉が開いた。やって来たのは学部長だった。ヴァン・ヘルシングは嫌な予感を覚えたが、顔に出さないように努め、学部長を迎えた。

「学部長、どうされまし――」

「ヴァン・ヘルシング教授っ……」

 学部長はヴァン・ヘルシングの両肩に強く手をおいたかと思えば、満面の笑みを浮かべたのだ。それにヴァン・ヘルシングは目をパチクリさせた。因みに伯爵は今棺の中で眠っている。

「学部長……?」

 ヴァン・ヘルシングが恐る恐る尋ねると、学部長はパッと手を離し、上着のポケットから手紙を出してきた。

「今週からバース君を市立病院に行かせているだろう? ノース院長がバース君の仕事ぶりに感銘を受けたそうだ! 是非とも、来月にある院長のご子息の開業祝パーティーに来てほしいと招待状をもらったのだよ!」

 学部長はヴァン・ヘルシングにスッと手紙を差し出した。

「パ、パーティー……?」

 ヴァン・ヘルシングは目を丸くし、招待状の手紙を見下ろした。

「院長のご子息は一昨年ライデン大学の医学科をご卒業されて、今月まで市立病院の内科を勤めてたんだがね、来月に独立するんだと」

 “ライデン大学”と聞いたヴァン・ヘルシングは感心した。

 ライデン大学は、アムステルダム市立大学よりも古い、オランダ最古の大学である。

 感心したのもつかの間、ヴァン・ヘルシングは、あっ! と思い出したように言った。

「ですが、今巷では謎の集団貧血で医者不足――」

「ああ!」

 学部長は煩わしそうに手をヒラヒラと振った。

「ヴァン・ヘルシング教授はそういうところで真面目だなぁ……。ひと先ず、バース君のもある。バース君の付き添いみたいな感じで行ってきてくれ。顔は広げておいた方が良い。将来のためにも!」

 学部長は興奮気味に言うと、ヴァン・ヘルシングに招待状を無理矢理持たせ、弾んだ足取りで研究室を後にした。

 ヴァン・ヘルシングはじっと招待状を見下ろした。

「“顔は広げておいた方が良い”、か……。まあ、それには私も賛成だが――」

……医者不足の時に、のんきにパーティーか?

 ヴァン・ヘルシングは深いため息をついた。


 数週間後。2月はあっという間に終わり、3月に入っていた。

 ヴァン・ヘルシングは伯爵とともに、夜、ノース邸を訪れていた――伯爵はヴァン・ヘルシングに“お入り”と言ってもらった――。

 もちろんノース院長のご子息の独立開業祝パーティーだ。

 ノース邸の広間である会場は随分と賑やかで、10人くらいの小編成オーケストラまで呼んでおり、華やかな曲を演奏している。

 招かれた者の中にはアムステルダム市議会議員やアムステルダム市立大学、ライデン大学関係者もいた。本当は市議会議員のアッセル氏も来るはずだったのだが、先月娘のアメリアを亡くしてしまったこともあり欠席している。

 ヴァン・ヘルシングと伯爵は燕尾服に身を包んでおり、本日の主役であるノース院長のご子息に挨拶を終えたヴァン・ヘルシングはワイングラス片手に堅苦しい表情を浮かべ、伯爵は目の前の賑やかな光景を少しいそいそとした様子で眺めていた。

「この景色、見ているだけでも楽しい」

 伯爵がヴァン・ヘルシングに耳打ちした。

「それはようございましたな……」

 ヴァン・ヘルシングは表情を一切変えることなく伯爵に返すと、伯爵がふふっと笑った。

「緊張しているのかね?」

 伯爵がからかうように言ってきたので、ヴァン・ヘルシングはジトッとした目つきで伯爵を見上げた。

「違うからな?」

 そう言いつつヴァン・ヘルシングは目の前の、上流階級の社交場に視線を戻すと一つため息をついた。

……中流の私がこんな場所に呼ばれるとはな……。

 大学の一教授とはいえ、ヴァン・ヘルシングは中流階級の庶民。このような華やかな場所に呼ばれることなぞ、一生にあるかどうか……。

 ヴァン・ヘルシングはそっと、隣に立つワラキア公国元君主を見上げた。

……ヴラドにとっては当たり前の光景だったんだろうな。ならば私には……ヴラドを引き止める資格はない。平民なんかの私の隣に納まっている器では――。

「エイブラハム」

 伯爵に呼ばれ、ヴァン・ヘルシングは我に返った。

「……どうした?」

 ヴァン・ヘルシングは改めて伯爵を見上げると、伯爵がニタリと口角を上げて見下ろしてきていた。

「俺が恋をしたのは、商人の娘だ。俺にとって、身分の差など関係のないこと……」

 伯爵の言葉にヴァン・ヘルシングは目をパチクリさせ、呆気に取られた表情を浮かべていた。

「まさかと思うが、ブラム――」

 伯爵は身を屈めると、ヴァン・ヘルシングの耳元で囁いた。

「この場の雰囲気に気圧され、この俺を手放そうと思ってはいるまい?」

 ヴァン・ヘルシングは図星を突かれ、ヒュッと息をのんだ。恐る恐る伯爵を見れば、伯爵は含み笑いを浮かべてヴァン・ヘルシングを見つめていた。

 急にバツが悪くなったのか、ヴァン・ヘルシングはとっさに人混みに視線を逸らすと、先生! 先生っ! と叫ぶ青年の声が会場内に響き渡った。とっさにそちらを向くと、人混みの中、アドリアンが笑顔で大きく手を振ってヴァン・ヘルシングの方に向かって来ていた。そんなアドリアンにヴァン・ヘルシングは慌てた様子で口の前で人差し指を立て、静かにするよう促した。アドリアンはようやく気づいたらしく、あっ! と口を手で覆ったが、もう既に来賓者たちは好奇の目を向けていたのは言うまでもない。

 このパーティーはノース院長のご子息の開業祝パーティーなのだ。厳粛なパーティーというわけではないが、他の来賓者に不快な思いをさせてはいけない。

 アドリアンは顔を真っ赤にさせ、肩身狭そうに人混みの間を縫いながらヴァン・ヘルシングと伯爵の元にやって来た。アドリアンは燕尾服姿で、その後ろには立ち襟のワンピースドレス姿の、少々顔色の悪いクララもいた。

「おや、クララさんも来てたのか。こんばんは」

 ヴァン・ヘルシングは少し驚いた表情を浮かべながら会釈した。

「ミス・クララ、顔色が悪いみたいだが……?」

 伯爵がクララの顔をのぞき込んだ。

「こんばんは、ヴァン・ヘルシングさん、ドラキュラさん……」

 クララは顔面蒼白で目元にクマを浮かべ、今にもぶっ倒れそうな顔色でなんとか返事をしたかと思えば、急に頭を押さえてふらついた。

「クララッ……」

 とっさにアドリアンがクララを支えた。

「貧血かね?」

 伯爵がアドリアンに尋ねた。

「先月末辺りから、急にこんな状態に……」

「前に会った時は活き活きしてたのに……。何で連れてきたんだ?」

 ヴァン・ヘルシングは少々怒り気味でアドリアンに聞いた。アドリアンはしょぼくれた様子で答えた。

「両親が……クララに良い相手が出来るかも、と……。無理にでも連れてけ、って……」

 アドリアンの答えにヴァン・ヘルシングは呆れた顔でため息をついた。

……クララさんには結婚願望は無かったはずだが……?

「先ずはクララさんを座らせよう」

 ヴァン・ヘルシングはクララの手をそっと掴み、優しく引いていった。

 4人は会場の広間を出て、人気のない場所の壁際の長椅子に座り、ヴァン・ヘルシングは早速その場でクララの診察をした。

 クララの両の下まぶたを親指で軽くめくると、下まぶたの裏側を確認した。彼女のまぶたの裏側は血の気がなく、白っぽかった。

 次にヴァン・ヘルシングはクララの手を取り、燕尾服のポケットから懐中時計を取り出した。彼女の手首に指を押し当て、懐中時計を見ながら脈拍を測った。

「……脈が早い。貧血で間違いないな」

 ヴァン・ヘルシングはクララの手を優しく置き、懐中時計をポケットにしまうとアドリアンに尋ねた。

「何か思い当たる節はあるかい?」

 アドリアンは難しい顔を浮かべると、首をかしげながらブツブツと呟いた。

「ご飯は僕も同じもの食べてるし……瀉血なんてしたこともないし……。そういえば――」

 アドリアンは何かを思い出したのか、勢いよく顔を上げた。

「体調が悪くなる前日の夜、クララったら仕事の帰り道で、道端で寝ちゃってたらしいんです。警察官に見つけてもらったから良かったですが……」

「道端で? 夜に?」

 ヴァン・ヘルシングは目をパチクリさせ、横目にクララを見つめた。クララはしょんぼりとした表情で、小さな声で言った。

「……仕事の帰り道で、先月事件があったアッセルさんの邸宅の前を通ってたら――」

 そこでクララは舌を失ったかのように話すのを止めてしまった。ヴァン・ヘルシングと伯爵はクララに注目すると、どうやらクララはまだ何か話したげで、必死に口をパクパクさせていた。二人はクララが話し始めるのを待ったが、クララはどこかもどかしそうに口をへの字に曲げると次第に涙目になり、ポロポロと泣き出してしまった。

「クララッ?」

 アドリアンが慌ててクララの顔をのぞき込んだ。

「すまない! 辛い記憶を思い出させてしまい、申し訳ない……」

 ヴァン・ヘルシングはポケットからハンカチを取り出し、クララに差し出した。クララは鼻をすすりながらハンカチを受け取り、涙を拭った。

「違うんですっ……。話したいのにっ、“話せない”んですっ……」

 クララは涙声で、今にも過呼吸になりそうな様子で言った。

 クララの言葉に伯爵は、何か引っ掛かるものを感じ、立ち上がるとクララの前に立った。

「失礼」

 伯爵はそう言うと、両手をクララの首元に伸ばした。ヴァン・ヘルシングとアドリアンが伯爵の手を凝視した。

 伯爵はクララのドレスの襟のボタンに手を掛け――たところで、ヴァン・ヘルシングがガシッと伯爵の手を掴んだ。

「おい、女性に何する気だ」

 ヴァン・ヘルシングが伯爵を睨み上げると、伯爵は少々不満そうに見下ろしてきた。

「噛みつくわけではない。だが――」

 伯爵は一瞬口をつぐむと、クララに向き直った。

「もう“餌食”になってるのではないのかね?」

 クララは伯爵を、藁にもすがるような面持ちで見上げ、ようやくして首を、大きく縦に振った。

 クララの様子にヴァン・ヘルシングとアドリアンは目を見張り、クララに注目した。

 伯爵がそっとクララの襟を開き、首筋を露わにすると、右の頸動脈に二つの小さな傷痕――吸血痕――があったのだ。

 ヴァン・ヘルシングとアドリアンは驚愕せざるを得なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る