〈第2話〉メイドとレイザー

 晴れた空のもと、黒い霧。それは一切の”光”の侵入を拒み、その間合いに真っ暗な森を作り出す。これが、木々が発する霧による、極夜きょくや結界。

 その内側で激しい戦いを繰り広げていたのは、れるメイドと人型のウサギ――。




 レイザは無数の針をエリスに投げ続けていた。

 服の中に収まるとは思えない量の針を、一本ずつふところから取り出し投げる動作は、まるで機械のようだった。

 だが、その表情は、先ほどよりも明らかに強張っている。


「――(虫クズみたいなメイドね……)」


 苛立ったレイザの目に映っているのは、飛んでくる数多の針を、軽い身のこなしでかわし続けるエリス。

 表情を一切変えず、飛んでくる針の軌道を瞬時に予想して身をひるがえす、一切無駄のない動き。

 そうして、いつまでもいつまでも走り回り、エリスを翻弄ほんろうし続けているのだ。


 しばらくは、そんな状況が続いていた。

 だが――


「――(もうほんと、イラついてきた……)」


 長い根比こんくらべの末、先に限界の来たレイザ。

 ついに、その手を止めて――


「あんた、つまんない」


 そう吐き捨てるように言うと、息一つ切らしていないメイドを改めてにらみつける。

 ”ゴミを見るような”――と言うよりは、ねたそねみが頭からハジけ溢れるような、キンッとした目である。


 闘いが始まってから終始無言のエリスだったが、ここでそっと口を開く。


「ごめんなさい」


 ――その瞬間、レイザの脳内を駆け巡った、銀河の星々よりも多様で多種類の感情たち。それは、レイザの心身に何かを刻み込んだ。


     *


 ――あの時、もし、みんなに出会っていなかったら。

 あの時の”優しい私”だったら、多分――


『”レイザック”。これが、お前の名前』


 ――そんな名前じゃ、ない。私は、つ……


『”レイザック”。お前は今から、うちの”魔物”だ』


 ――れいざ……? 私は、お母さんの、つ……


『”レイザ”。〈四極獣しきょくじゅう〉の一体、お前は今から、”うさぎだ”』


 ――なに、この耳……。コスプレ……


『レイザ、お前は、全て私の”言う通りにする”のだ』


 ――あなたの……、”言う通りに”……


『私が〈殺せ〉と言えば”殺す”。〈生かせ〉と言えば……』


 ――”生かす”


『”その通りだ、レイザ”』


――私、レイザは、貴方様に、忠誠を……


『……そうだ』


――……誓い、ます




『――見なさい。彼女らが、君の仲間だ』


――……仲間


『今から、君は、彼らと”友だちになる”んだ』


――……友だち




 それからは、天国みたいな日々だった。

 皆、私と”友だち”になってくれた。

 『ソーダ』、『ミラド』、『アイ』。

 みんな、私と”友だち”になってくれた。

 そう、”友だち”になってくれた。

 ”友だち”になってくれた。


 そんな”友だち”が崩れた、あの日。

 解けちゃったの。

 全部、解けちゃったの。

 その直後の、第一声だった。


『ごめんなさい』


    *


「ごめんなさい」 


 機械が喋っているような、何の感情もこもっていない音声。

 その言葉は、レイザの心を、この上なく――


「――イラつかせてくれた。あんた、マジ?」


 無感情音声にこたえるような、情緒と感情のちた声。

 互いに棒立ちのまま、色のない瞳を向け合う。――それが束の間の出来事だったということは、言うまでもない。




 光線は、メイド服のスカートをすり抜けた。

 同時に、言葉にならぬ、獣のような声が響き渡る。


「――(殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す…)」


 獰猛獣どうもうじゅうと化した”兎のレイザ”は、再度、針を投げたりはせっず、拳で地面を殴った。

 すると、拓けた土地に微かな揺れが起こり始める。


「……マジ――?」


 揺れはどんどん大きくなり、やがて立っていられないほどになる。

 次の瞬間、足裏に固いものが当たったかと思うと、地面が一気に上昇した。


 尻もちをついたエリスは、触れているものが”土”でないことに気がついていた。


「……巨大な、切り株の、上――!?」




 ――レイザとエリスの戦っていた場所は、木々が密集していない影響で、黒い霧の影響が他よりも少ない。

 したがって、『闇』を根源としたレイザの魔力は、微かに差し込む陽光に照らされて弱まる。魔力で形成された魔物の身体からだは、弱体化する――

 そんな不利な空間で、わざわざレイザが待ち構えていた理由。

 それは――


「――(油断させるため!?)」


 木々が円く空いた穴を埋めるように現れた切り株。

 その隙間からは、『闇』の魔力が溢れ出ていた。

 可視化された闇は、”黒い霧と”なって空へと向かっていく。


「……クソ」


 際限なく湧き出る霧に包まれ、もはや視界は”黒”のみ。

 針という飛び道具を投げるレイザにとっては、独壇場。

 更に、”闇”を操る”獣”のレイザには、黒い霧の目くらましなど無いようなものだろう。


「――(マズい、あれが来る!)」


 咄嗟とっさに身構えるものの、極限まで怒っているレイザの針を完璧に避ける自信はなかった。

 しばらくの沈黙の後、予想もしない物が飛んできた――


「は――?」


 巨大な発光体である。

 それはエリスを押し倒したかと思うと、鋼鉄のような前歯を、メイド服の上から右胸に食い込ませた。

 声にならないほどの甲高い悲鳴を上げ、そのメイドは黒い血反吐を吐き出した。


 図太い鳴き声を上げながら歯を食い込ませていく猛獣。


 確かにレイザだった。だが、それは『闇』とはほど遠い白色の光を発し、今、エリスの肉をむさぼろうとしている。


「――(……姫様)」


 痛みで朦朧もうろうとする意識に、徐々に『記憶』が混入していく。


「――(……姫様、……私、……エリスは、……エリスは――)」


     *


『逃げるわよ逃げるわよ! 世界のどこにでも! あんたとは二度と会わないわ!!』


 ――世界のどこにでも。


『……『二度と会わない』、か……』


 ――二度と会わない。


『……ええ、きっと、もう、 ’’会えない’’でしょう』

 

 ――もう、会えない。


 ――だから、会わなくていい?


 ――違う。


 ――会いたい。


 ――会いたい、もう一度。


 ――そして、いっぱい抱きしめてあげたい。


 ――『これからは、ずっと一緒です』って……!


     *


 エリスは微かに残った意識で、鉛のように重い両腕を広げる。

 そして、自分の上にのっているレイザに腕を回すと、そのまま抱きついた。


「――!」


 予想外の行動に一瞬硬直するレイザ。

 すると、エリスは腕に力を入れ、レイザの前歯をさらに食い込ませた。

 前歯と肉の隙間から噴水のような血が溢れ出し、エリスは完全に意識が飛ぶ。


 ――だが、力は一切緩めず、そのままぐんと起き上がる。

 足を地面につき、瞬時に立ち上がると、次の瞬間にはレイザを抱えたまま走り出していた。


 切り株の上で、強い闇の魔力を受けても、ふところのレイザが抵抗しても、足は止めず、腕も緩めない。

 レイザは食い込んだ歯が抜けず、思うように動けないようで、必死に手足をバタつかせるものの、背の高いエリスに抱え込まえれ、足は地面につかなかった。

 『針で刺す』ということも頭にない彼女は、網に捕らえられた獣のごとく、ただ暴れることしかできなかった。


走るうちに、すぐ切り株の端まで来た。

切り株の標高自体はそこまで高いわけでもなく、ちょうど、地面から映える木々の葉っぱが断面に振れるほどであった。


 それでも、飛び降りれば、ただでは済まない。

 だが、無意識下の状態であるエリスに、当然、そのようなことを考える能はない。

 踏み外すように切り株の端から落下し、勢いのまま地面にぶつかる。

 ――が、幸いにも、抱きかかえていたレイザが下敷きとなり、衝撃を直接受けることはなかった。


 それでも胸に刺さった前歯は食い込み、ついに背中を突き抜けた。

 もはや脳死に近いエリスは、その痛みを認識することもなく、再び立ち上がった。

 ふところのレイザは接地のダメージで気を失っており、それ以上抵抗することはなかった。


 そしてエリスは、また、走り出す――




 帰り道に魔力で作られた兎が出ることはなく、ただ木々をすり抜けて、ようやくエリスは、結界の外へと出た――




 ――森の前で倒れ込む二人の少女。

 晴れた空に浮かぶ太陽は、ただ、じっと照らすのみ。


 メイドのエリスと、兎のレイザ。

 二人の息は、少しずつ、少しずつ、小さくなっていた。

 そんな二人に近づく影があった。


「……うわ、ここにいた」


 二人を見つけたのは、森に出向いたと思わしき一人の少女だった。

 うつむくその頭には、黄金の立派なつのが二本、生えていた。


「……レイザ。まさか、”力”を、開放したのか……」


 少女はどこか哀れげな目で、エリスの下敷きとなっているレイザを見た。

 やがて、そのレイザに乗っかっているアリスにも目を向ける。


「……で、このメイドは――」




 ――次回、メイド、どうなる!?

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狂ったドラゴンとメイド様 イズラ @izura

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