Re:私の戦う理由

しらす丼

第壱話 再び、戦地へ

 ああ、またか。


 そんなことを思いながらも、ミカは的に狙いを定め、トリガーに人差し指を掛ける。


 これを引けば一網打尽。私の役目は終わる。


 生唾をのみ、ミカはついにその駆逐の一手を放つ――。



 ***



 ミカがそれを見つけたのは、よく晴れた日の朝のことだった。


「本日は晴天なり! ベランダでの日光浴はいいねぇ」


 両手を空に突き上げ、身体を伸ばす。休日になると、ミカは決まって家のベランダで日光浴と読書をしているのだ。


「さてと。今日はカズオ・イシグロ氏の……」


 よっこいしょっと、腰を下ろして足元に置いていた本を手に取り、栞が挟まるページを開こうとすると――


 ブーン、とどこかで羽音がした。

 思わず首を竦め、ミカは立ち上がる。


 キョロキョロと周囲を見渡すと、黄色と黒色の縞模様をした奴が威嚇するかのように羽ばたいていた。


「今日の日光浴は中止! 緊急退避〜!!」


 ミカは大急ぎで室内へ入る。


「そうか。もうそんな季節か」


 未だに羽音をばたつかせながら飛び回る奴を見ながら、ミカは小さくため息をついたのだった。




 翌日。ミカは昨日同様、ベランダに出た。


「本日も晴天なり! よぉし、洗濯物を干しちゃうぞー!!」


 雲ひとつない空は、見ていてとても清々しい。白い絵の具があったなら、この空に自分好みの可愛い雲でも描いてみたいかも!


 などと思いながら、洗濯物の入ったカゴをベランダの床に置く。


 それからふと、ミカは昨日見た縞模様の生命体が羽ばたいていたあたりを見遣る。


 まさかまさかだとは思ったけれど、その予感は当たっていた。


「あいつ、城を築いてやがる……!!」


 怖い。どうしよう――そんな不安に駆られ、身動きがとれない。


「ま、まずはお父さんに状況報告を」


 普段なら口頭で伝えるところだが、同居している父は現在、春の大型連休を利用し、昨日夕方から祖母の住む千葉県に行っている。


 緊急事態時にいてくれない父に少し憤慨しつつ、しかしこれは自分に与えられた試練なのかもしれないとミカは思った。


 スマートフォンを手に取ると、ミカは素早く入力を済ませて父に送信した。


 父からの返答は、『とりあえず頑張れ』というものだった。


「なんだよー。やだよー。やりたくないよー」


 しかし、放置をしていればもっと酷いことになることくらいミカ自身もわかっている。


「仕方ない。これはやるしかないよね」


 ミカは部屋に戻ると、家を出る支度をした。


「まずは武器を揃えなくちゃ。それから防具。女王との闘いは、おそらく命懸けになると思うし」


 それからミカは愛車に乗って、闘いに必要な武器を揃えていった。


 昨年闘った奴らよりも、もっと凶暴で野蛮な相手。しくじれば、死。


 絶対に負けられない闘いだと、ミカは思った。


 そして武器を買い揃えたのち、ミカは景気づけにMドナルドでダブチのセットを購入。


 最後かもしれないダブチをしっかりと噛み締め、決戦の時を待つことにした。




 そして、午後八時。


 肌の露出がないように長袖長ズボンを着用し、さらにフード付きのモコモコジャンパーとマスクを二枚を装備した。両手はもちろん軍手を二枚重ね。


「ここまでやっても毒針を受ければひとたまりもないんだろうな……」


 窓ガラスに映る完全武装された自分を見つめつつ、ミカは呟く。


「ああ……やっぱやりたくないー。誰か代わってよぉ! なんで、こんなところに城なんて築くんだよー!!」


 ミカは頭を抱え、クネクネと身体を動かしながら言った。


 それから小さくため息をつき、その場に座り込む。


「でも、ここでやんなきゃ、明日はもっとやりたくなくなる。だったらやっぱり今しかないんだよね。頑張るよ、私。ダブチ食べたし。


 だからもう、心残りは……ああ、でもしらす丼も食べとけば良かったな。好物を最後に食べられないってきっと後悔するよね……そうだよね、うん。


 私はまた、しらす丼が食べたい」


 ミカは意を決して頷くと、床に置いていた黄色の缶を手に取った。


 触れた部分はキリリと冷たく、冷水を頭からぶっかけられたかのように目が冴える。


 マグナムタイプのこのスプレー缶は、上部の折れているプラスチックの部分を伸ばすとどうやら持ち手になるらしい。なんという優れものだ。


 ミカは伸ばしたプラスチック部分を持ち、トリガーにそっと指をかけた。


 狙うは女王が棲む城。


 照準を合わせると、ミカはそっとトリガーを引いた。


 シューっという音を立てながら、白い粉末が的に向かって噴き出される。


 女王からの反撃が来るかもしれない。

 そんな恐怖心と戦いながら、ミカはトリガーを引き続けた。


 そして――すべての粉末を噴射し終えると、手にしていた黄色の缶は冷たくなり、トリガーをいくら引いても何も出てこなくなった。


 ミカは一度部屋で待機し、三分後に再びベランダに出、女王の城を見遣る。


「女王は、いない……殺ったのか?」


 ミカはスマートフォンのライトを使い、粉を噴射したあたりを見てまわる。


 静寂に包まれた空間。初めて嗅ぐ異様な臭い。

 壁についた水分は、おそらく噴射された粉の成分の一部だろう。


 室外機の裏を覗くと、そこに奴はいた。

 黄色と黒色の縞模様はピクリとも動かない。


「殺った……殺ったぞぉ!!」


 思わずミカはガッツポーズ。


 それから視線を上へ向ける。イラストなどでよく見かけるシャワーヘッドタイプの女王の城がそこにはあった。


「さすがに素手は嫌だなあ」


 ミカは室内にあった棒状のものでつつき、その城を落とす。用意していた割り箸で小さなその城を拾い上げると、ビニール袋に突っ込んだ。


 ついでに女王の死骸も拾い上げ、同じ袋に突っ込む。


「やっと……終わった。私の勝ち」


 袋をしっかりと縛り上げ、ミカはゴミ袋にそれを突っ込む。明日はゴミの日。さっさと出してしまおう。




 昨年の雨季から十ヶ月。


 ヤスデたちとの戦いを終え、もうこんな戦いに巻き込まれることはないだろうとミカは思っていた。


 けれど、こうしてまたアシナガバチとの戦いに巻き込まれている。


 ミカと害虫との戦いは、この先もずっと続いていくのかもしれない――。



(了)

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Re:私の戦う理由 しらす丼 @sirasuDON20201220

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