第七話 追憶;ハインリヒ・フォン・グレルマン

少年は、夢を見ていた。


そこは石煉瓦造りの道を、薔薇とジギタリス(注1)のアーチが囲む自然美が豊かな庭園で、少年はそこを走り抜ける。


そのアーチを走り抜けると、白い光が束となって現れる。彼らは少年の目を貫かんと飛び込んで来て、少年は思わず目を瞑った。


そして光の束を掻い潜った末に目に飛び込んできたのは、外周をラベンダーやチューリップに囲まれた石造りの巨大な噴水だった。


その先には赤煉瓦造りの邸宅。さらにその先には、天を貫かんとばかりに堂々と聳える大山脈。


少年は、憧憬と羨望で、その光景の前に立ち尽くしていた。


「お前はあそこに行きたいか。」


頭の奥に響くような重くて低い声の男性が語りかけてくる。


「うん。僕もあそこに行きたい!」


「そうかそうか。」


男は一瞬愉しげな顔を見せるが、すぐに表情を変え、物哀しい眼差しを向けてくる。


「父さんはな、あそこの大きな山へ行くんだよ。」


少年は目を輝かせながら男の話を聞いている。


「うわぁーすごーぃ!あの山の先には何があるの?」


「さっぱりだ。でも、恐ろしい化け物が住んでいて、彼らに飲み込まれてしまうかもしれない。」


男は淡々とその話をしていたが、この少年ほどの年齢では恐ろしくて仕方が無いはずだ。そうであるにも拘らず、少年が、希望と羨望に目を輝かせているのは何故なのであろうか。


「そして、美しいリコリス(注2)が咲き誇っているとの事だ。」


少年は前のめりになり、遥か遠くを指差す。


「僕もあそこに行きたい!」


「ああ。いつか行けるといいな。」


――――――――――――


俺は夢から覚めると同時に、あれはただ、走馬灯を見ていたのだと気が付く。


そして特筆すべきは、天蓋の外にはリコリスが群をなして咲き誇っていたことである。


ここは間違いなく、山脈を越えた先だった。幼い頃に憧れていたあの光景が目の前に広がっているのだ。


俺はその光景を間近で、瞼のどこかに焼き付けたくて天蓋の外に出た。


地上に衝突した時点で内臓は大きく損傷しており、これが最後の力となることは確定的である。そうだとしても、あの光景の神秘は、俺を天へと誘いたいようだ。


天蓋の外で、ゆっくりと歩みを進め、一輪のリコリスの前に跪いて花の匂いを嗅ぐ。


俺はこの光景を見るためにパイロットになったのだ。


俺は貴族の生まれだが、父はパイロットであった。貴族社会の軍隊で、それ故に偏見による差別も受けたそうだが、それを努力と実力で跳ね除けてきた父の姿がとても強く、美しく映った。


いつの日か父は、山脈へ行くんだと言って、二度と帰ってこなくなった。


数日後に大人たちが空の棺を運びながら、泪を流していたが俺は何をしているのか理解できなかった。それどころか、あの山を越えれば父に会えるんだと思って、パイロットになることを決めた。


母は泣いた。当時は意味が分からなかったが、今になっては分かる。あの時に父さんは死んだんだ。母は俺にも同じ目にあって欲しくなかったんだな。


俺は最悪の親不孝者だった。


それから母は、リコリスを買ってきたり、物理化学の家庭教師をつけたり、文学に触れさせたりした。これはきっと、俺の興味をパイロット、いや、あの山脈から遠ざけるためだったんだろう。でも俺の興味はそんなものでは消えなかった。


ただ肥大化していく思いだけで軍学校に入って、授業を受け、卒業し、ワーグナー少佐、当時は中尉だったが、に出会った。


彼と一緒なら、どこにでも行ける気がした。もちろん山脈の先にだって。


俺はリコリスの独特な匂いと共にそんなことを想起していた。


そんなこと分かっていたのに、ここに来ると父にはもう会えないのだと実感して泪が出てきた。


俺は結局、ここに来て死ぬ運命だったのだ。もう俺に残されたものは少なく、ただ多くの虚しさだけが心の奥底に溜まっている。


俺は行くあてもなく、ただ血で足跡を作りながら進んだ。


「おい、貴様は帝国軍の奴だな!」


正面に立ち塞がる王国軍の兵士に怒鳴りつけられた。彼の声には聞き覚えがあった。先程の戦いで俺が撃墜した機体に乗っていたパイロットだった。


俺よりも損傷が激しい。手足顔は焼け爛れ、話す度に激しく血を吐いていた。


立っているのが不思議なくらいだ。ただ強い思いだけが彼を動かしているのだろうか。しかし、その裏は脆弱なようにも思える。


「貴様らが……!」


そう言って奴は俺に拳銃を向けた。


俺はその状況下でさえ、落ち着き払って、深呼吸をした。


「お前は……なぜ俺に銃を……向ける。」


満身創痍の掠れ声で、ワーグナー少佐のするように言ってみる。


「復讐のためだ!家族を殺し、同胞を殺し、俺たちから平和を奪った貴様らを許すわけにはいかない。」


そうか。これが俺たちの業だったわけか。


「そうか……化け物にはお似合いの……最後だな。」


腕が震えて拳銃の引鉄を引けない奴に向けて、1歩ずつ、1歩ずつ着実に歩み寄る。


その度に奴は拳銃を構えたまま腕を震わせ、俺の動きに比例するように後退る。


そして奴は、後退り過ぎて後ろにある木の存在に気が付かず、衝突する。


「頑張った方……じゃないか?」


そう言って俺は奴の額に冷たい鉄塊を押し当て、引鉄を引き、脳髄を撃ち抜いた。


奴は目を見開いたまま死んだ。俺は、死んでもなお奴がその撤回を握りしめる姿が目から離れなかった。


その直後、俺も力なく木に背中を当て、滑るように座り込む。そんな俺の前に姿を現したのは、3人の王国兵だった。


「貴様は帝国兵だな!」


1人がそう言う。


そしてまた1人が俺の傍らに転がる王国兵の死体を見て言う。


「ムッ!貴様の隣のものは……」


その言葉に呼応して、もう1人が俺に小銃を向けた。条件反射的で、完璧と言える連携だった。


もう確定的な死が迫ってきているというのに、俺は抗おうとして拳銃を奴らに向けて放った。


しかしそんな苦し紛れが通用するわけが無い。鉛玉は見当外れな所をただ通り過ぎ、後ろの木に吸い込まれた。


ただ拳銃を乱射する。だが当たるわけがなく、遂には引鉄は固く、動かなくなった。


「ハハ。こいつ面白いぞ。」


「けどもう飽きてきた。」


すると1人が小銃の照準を俺が拳銃を持つ右手に合わせ、鉛玉を放つ。


3発の鉛玉が俺の右手に当たり、拳銃のみならず右手の肘より下が吹き飛んだ。


もう俺には抵抗する力はなく、左手で右手だったものを抑えていた。


「ハハハ。哀れな最後だなぁ!」


ひとりがそう言うと全員が高らかに、見下すように笑う。


そして1人が俺に向けて歩み寄り、銃口を額に押し当てた。


「もう飽きたから、死んでもらおう。」


奴が引鉄に指をかける。


「これでは……どちらが化け物か……分からんな。」


俺は今から



















地獄へ行くんだ。


――――語注――――――――

(注1)釣鐘のような形の花。洋風庭園作りで人気の植物。

(注2)日本語で言う彼岸花。

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鋼鉄の朱き翼 貴利々凛 @Kiriririnn

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