第六話 喪失;レオンハルト・ワーグナー

まだやつの実力は底がしれない。無謀に突撃して命を散らすほど無様なことは無いだろう。


まず俺は奴の実力を確実に計りたいと思い、距離を取ることとした。


奴に背を向け、急激に高度を上げる。奴は当然のように追随する。


見た目からして恐らく、奴の機体は旧式。ならば相当近づかなければ俺の機体を射程に捕えることは出来ないだろう。ならば実力を測るのには好都合だ。


『くっ!あの機体、速い。』


「そうか。では少し手加減してやろう。」


俺はそう言ってスピードを落とす。


『この時を待っていた!終わりだ!』


奴は一気にギアを上げ、距離を詰める。それは明らかに機関砲の射程範囲であった。


なるほど、遅く見えたのは出力を抑えていたからか。しかしそれは、追いつけずとも見逃さない究極の出力調整であった。


この実力だけでなく、虎視眈々と好機を狙う冷静さ。やはり奴は強いのだろう。


「ならこれはどうかな。」


俺は再び機体のハンドルを大きく動かし、円弧を描く。


『なんだと!?』


「さあ、着いてこられるかな。」


直ぐに形成が逆転し、俺が奴を追う形となる。


「やはりこれには着いて来られないか。」


さらに上がるスピード。容赦なく叩きつけられる航空魚雷。


「さらばだ。」


しかしここで奴は、俺の想定を上回る超反応を見せる。


『こんなところでは!』


急激に左回転して機関砲を躱して見せたのだ。


「ハハハ。ハハハハハハハハ!」


『何がおかしい。』


「戦闘はこうじゃなくちゃなぁ!」


一気に気持ちが昂るのを感じる。これこそが戦闘のあるべき姿なのだ!


俺は再び奴を追い越し、再びドッグファイトの幕開けだ。


しかしここで一度自分を諌める。おそらく彼女は俺が戦ってきた奴等の中で最強。実力は俺よりも上だろう。冷静さを失えば負ける。


ただ逆に、やつの冷静さを失わせることが出来れば、機体性能で凌駕する俺が勝つだろう。


ならばやることは唯ひとつだ。


「貴様は中尉と言ったな。」


『それがどうした!』


「それ程の実力がありながら、なぜ中尉程度で燻っているのか。王国の女性差別はここまで酷いのだな。」


『同情などいらない!』


ほうら。奴さんの声色が明らかに怒りの様相を帯びてきたじゃないか。


「可哀想になぁ。男にさえ生まれていれば良かったものを。」


ついに奴は何も言わず、ただギアを上げ続けた。機体の性能差故にスピードで追いつくことは無いのに。


「それに男の方が体力があって丈夫。優れたパイロットの必要十分条件じゃないか!」


『黙れ!黙って聞いていれば!そのようなこと、私がいちばん分かっている!』


奴はついに機関銃を乱射し始めた。これは好機だと見た俺は鉛玉の雨を掻い潜りながら距離を詰める。そのうち何発かは翼を掠めたりしたが、そんな玉がまともに当たるはずがない。


「我が強すぎる。」


機関砲の照準を奴に合わせる。


「久しぶりに楽しかったよ。天国に行けるといいな。」


超至近距離の狙い澄ました航空魚雷。奴は機体とともに跡形も無く粉砕される、と思われた。だがそうなるに至らない。再び奴は超反応を見せ、航空魚雷を躱して見せたのだ。


『そこで撃ってくると思ったんだよ!』


「なるほど。やはり君は俺より強い。」


ではまだ機会を伺おう。いくらでも心に沈澱する闇を抉り出して、その傷口に塩酸でも硫酸でも浴びせてやろう。正義を否定することは逆鱗に触れることと同義であるが、戦場で逆鱗を見せることは自殺行為なのだ。


「君の名はマルグリット・ド・メーデンと言ったな。」


奴は何も返さない。距離を詰めようと、最高出力に近い速度で追い縋る。



だが別に構わない。無視しようとしている時に限って、それゆえ強く意識してしまうことなどざらにあるのだから。


「名からして貴族の出身だろう。」


俺は奴に向けて鼻で笑い、さらに言葉を続ける。


「そうかそうか。ようやく合点がいった。貴族の女だからパイロットになれたのだな!いいなあ貴族は!権力があって。」


奴はまたもや機関銃を乱射し始める。


『クソ野郎が!私の気も知らないで!』


しかしそんなものは当たらない。さらに機関銃は無限に撃てるわけではない。装填可能な弾数には限度がありいつかは撃てなくなる。


『弾切れ……?』


「残念だったな。女王サマ。」


次は外さない。俺は確実に奴を仕留められるように最短距離を取るてめ、もう一段階スピードを上げる。


『何個ギアが付いていると言うんだこの機体は!』


見事に先程と立場が逆転していた。俺がマルグリットを追い、マルグリットが俺から逃げる。だが奴は追い込まれているだけなのだから、結局のところ本質は変わっていない。


「楽しいな!鬼ごっこは貧民街で暮らしていた時以来だ!ただ少しフィールドが単調なところがネックか。」


『狂人め……だが私は!己の正義を執行するため、負けられないのだ!』


“正義”か。敵の正義を撃ち倒すことがまた正義となるにも拘らずなんとも無駄なことを言っている。正義というのは史上最大級の虚構だ。そんなものに拘泥すると軍隊は弱小となる。故に、正義を過度に意識する点が王国軍の脆弱性である。


そんなこと分かりきった上でまた奴を煽動する。


「そうかそうか!ではその正義とは何だ?それを潰してやろう!」


『言う必要などない!』


奴は俺と口論を繰り返しながらも、反転して攻勢に出る機会を窺っているようだ。


『正義を捨てた貴様にわかるはずがないのだ!』


俺は奴の決意表明とも取れる思いを、脊髄反射で笑い飛ばす。


「ハハハ!正義など意味がない。貴様は戦場で何を得たのだ!」


『そうか!貧民を苦しめても敵を討つことをよしとする軍隊には正義など必要なく、邪魔なだけと言うことか!』


くだらない挑発だ。しかし奴は身を翻してこちらに向き、攻勢に出ようとした。


やはり奴は冷静さを失っている。こちらがカウンターを入れて了えば撃墜できるはずだ。


そう確信した俺は機関砲を発射しようと備えた。敵の照準が徐々にこちらへ向く。


『ただひとつ言えば、自らを正しいと信じることは正義であり、アイデンティティだ!』


アイデンティティ、だと?


そうか、俺は正義を捨てる過程でアイデンティティなどとっくに捨てた、意志を持たぬ怪物とかしていたのか。


化け物を駆逐する過程で自らが化け物になるとは。まさにアイロニーである。


そう思うと俺は、一瞬だけ意識が遥か遠くに飛んだ。


その一瞬の隙が命取りとなるとも知らずに。


『さらばだ!もう貴様と会うことなどない!』


ああ、俺はここで死ぬのかと自覚するが、何かを感じる訳では無い。俺を包み込む呪縛は、消えることがないのだから。


「ここが、俺の死に場所か。」


俺が抵抗することをやめたと同時に、奴は容赦なく航空魚雷を放つ。


なるほど、奥の手を隠していたということか。この点では奥の手を二回外された俺よりも上手だった。


直後、航空魚雷は俺の目の前で轟音を立てて爆ぜる。ただ、俺にとっては少し暑い夏の日と変わらない感覚であるはずだ。


しかし、俺がその焔に巻かれることは終になかった。


目を見開き、俺を殺す炎を見届けようとしていた時に飛び込んだのは、翠緑の昇降舵。見まごうはずが無い。グレルマンの機体だった。


『良かった、間に合い……ました。』


彼の駆る機体は平衡感覚を失い、フラフラと落下していた。


『ワーグナー少佐……生きてください。それが……我々のとって効率の良い選択です。』


声が出なかった。捨てようとして、捨てきれなかった感情が群れを成して復元されて来る。


初めてであった時に疎ましく感じた生意気も、いつも自信家なところも。全てを俺は求めていた。


『また、天国で会いましょう。』


俺の頬を流れる湧き水。それは泪だった。


「やめてくれ、グレルマン。俺は……」


その時、感傷に浸る暇などないと言わんばかりに無線の通信が入る。


『第七戦闘航空団に告ぐ。撤退せよ。空挺部隊が着陸作戦を開始した。想定していたよりも早い到着である。』


作戦目的が達成された。ではもうこの戦いは終わりだ。


『これは君たちが死力を尽くした結果である。直ちに南部戦線との合流を図る手筈だ。』


「さらばだ、マルグリット・ド・メーデン。命が惜しくば疾く去れ。」


そう言って俺も後方へと舵を取った。


しかしそうはさせまいと、奴も追い縋る。俺はもう構ってられないと思い、威嚇代わりに機関銃を乱射した。


「冗談では済まないぞ。」


『くっ……』


こうして俺は、落ち葉のように力なく、落下していくグレルマンを横目に見ながら、戦場を去ることとなったのだ。


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