第五話 狂気;レオンハルト・ワーグナー

ハインリヒ・フォン・グレルマンは狼狽した。敵兵の練度は高く、包囲人を破ることは絶望的と思われたからである。


『さあ、諦めろ。貴様らはこうなる運命だったのだ。』


『くっ、まだ死ねない。俺がこんなところで死ぬと、ワーグナー少佐が……』


もう生を捨て、奴隷化、或いは死を選ぶ方が救いであるとさえ思われた状況は覆る。それはある意味神のごとく、圧倒的な力を保持する白い悪魔である鋼鉄によって。


「運命、か。ならお前はこの世に産み落とした母を恨め。」


そうして俺は、挨拶だというように搭載されたすべての機関銃を一斉に放ち、三機を一気に撃墜した。


『なんだあの機体は……我が王国軍のイークウェスが手も足も出ないと言うのか。』


依然として数的有利を保つ王国軍であったが、グレンツェの衝撃は我々の想定した以上に大きなものであったようだ。


「ワーグナー少佐!」


グレルマンが感極まった声で言った。しかし感傷に浸っている場合ではない。


「待たせたな。俺が敵機を引き付ける。その間にお前らが雑魚を始末しろ。」


『しかし……それでは。』


グレルマンが遺憾の意を示す。


「気持ちはわかる。だがこれが最良の手であることは理解しているのだろう?」


遂にグレルマンは何も言わなかった。それを肯定であるととらえた俺はスピードを上げて敵に突撃する。


「王国軍よ、聞くが良い!俺の名はレオンハルト・ワーグナー。」


俺の言葉を聞くとともに奴らはすぐさま突進してくる。


狙い通りだ。奴らは教育されており練度が高い。帝国軍をよく恨むように言われているのだろう。それ故に功名心で暴走することがある。そこが王国軍の脆弱性である。


「俺の名を知らぬ者はいないだろう!俺は貴様らの同胞を殺戮した。次に後を追うものは誰かな?」


思いっきり口角を釣り上げて王国兵どもを挑発する。


『ここにいる我らだけでなく死んでいった同胞たちの事さえ愚弄するか!絶対に許すわけにはいかない!』


「そうかそうか!それはいい。許さないのであればそれなりの行動を見せて見ろ!」


俺はほぼ垂直に飛びながら高度を引き上げていく。それにつられて一機、また一機と俺に追随する。その光景はまるで狩られる獣と狩る獣。だがそれは狭い視点で見ればこそ。広い視点で見ればただの追い込み漁に過ぎないのだ。


俺による機関銃の後方射撃のみではなく、グレルマンをはじめとした部隊による正確な射撃で敵機は着実に数を減らしていた。


しかしこのまま戦闘が終わるほど単純に事は進まないらしい。敵の増援らしき影が次第にその姿を鮮明にしていく。


「なるほど。時間をかけすぎたようだ。」


『のようですね。しかし我が軍ももうじき到着します。それまで持ちこたえることは不可能ではないと言えます。』


「そうだな。では作戦はやめだ。一番効率よく敵を殺せる選択を取れ。」


これはグレルマンたちを最大限信頼しての指示だ。生か死は問わない。ただ敵を殺せということだ。


『了解です!一番効率よく、ですね。』


そうしてグレルマンが敵増援の大群へと向かっていった。


では俺は先程の作戦で殺し損ねた奴を始末するとしよう。


「さあ、寂しいだろう。自分だけ生きながらえるなどなあ。」


俺は容赦なく機関砲を放ち、残っていた三機のうちの二機を撃墜する。


「お前が最後だ。」


『黙れ!貴様に何がわかるというんだ!死んでいった同胞のことを愚弄するなど許されないことだ。』


そう高らかに言い放つ一機の機体が俺との距離を急激に詰める。


「死ねば同じことだ。死んだ奴のことを記憶しても脳のリソースが無駄に割かれるだけ。素人が透けて見える。」


このまま突撃されては撃墜されてしまうので身を翻す。


『黙れ黙れ黙れ!俺の覚悟をなめるなよ!』


まるで話が通じていない。彼は新兵なのだろう。口論にも戦闘にも慣れていないように感じる。


「貴様、名前は何という?冥途の土産に聞いておいてやる。」


俺の安っぽい挑発に奴は憤慨して答える。


『ジャック・ソワイエクール。階級は少尉。そして、貴様を殺す運命を背負う男だ!』


奴は機関銃を乱射するが、乱心状態の機関銃などこの俺に当たるはずがない。冷静に機体を駆り鉛の雨を躱す。


ジャック・ソワイエクール。密偵と話した時だったかに聞いた名だ。たしか実力主義の空軍学校を首席で卒業した平民とのことだったか。


「そうか。若手の有望株である貴様を潰して置けることは非常に喜ばしい。」


『な、なぜそれを!?』


やはりこいつは素人だ。自らが周知されていることすら想定していなかったのか。


しかし唯々芽を摘むのも芸がない。では少し建設的な”対話”をしてやるとしよう。


「さてソワイエクールよ。貴様はなんのために戦う?」


その問いに奴は期待通りの反応を見せる。憤慨して自らの理想論を語ったのである。


『かつての国境紛争で死んだ父の敵を討つためだ。』


そんな月並みな回答に俺は思わず高笑いを抑えられなかった。


「ハハハハハ!そうかそうか。」


俺は奴とドッグファイトを繰り返しながら心に潜み切れないほどに肥大化した狂気を滲ませる。


「なら貴様は俺が憎いだろうなぁ!なら俺を殺せ!殺して見せろ。」


俺の狂気に、奴は怖気づいて少し速度が落ちたように感じた。ガラスとヘルメットごしで顔ははっきりとは捉えられないが、奴の顔は青ざめていくのを感じる。


『俺は、俺は、父の敵を討つために軍学校に入り、今ここで鋼鉄の鳥と化しているのだ!』


ソワイエクールが空気を震わすほどの怒気を含む啖呵を切る。それと同時に、見違えたような速度で距離を詰めて機関砲を俺に向けて放った。


「残念、その軌道では当たらないな。」


その機関砲は、俺の翼すらも掠める事はできない。俺は身を翻すまでもなかった。


「どうやら俺は相当悪運が強かったようだな。」


俺は先程の奴以上のスピードを見せ、ソワイエクールの眼前で機関砲の航空魚雷を放った。


「さらばだ。遺言は忘れるなよ。」


奴は、慈悲なくスクラップと化した。


「窮鼠猫を噛む、か。侮れんな。」


狂気を受けたものは信じられぬほど急激に成長するという話を聞いたことこそあったものの実際に経験するのは初めてだった。


こちらも片付けたことだからグレルマンたちの救援に向かおうと旋回する。しかし、突如として死角から鉛玉が飛んでくる。その鉛玉は俺の機体、グレンツェをまともに捉えた。


『貴様!よくも我らの同胞を!』


この戦場においては異様に高い声。まさか敵は女か?


しかし奴が気配もなくグレンツェをまともに捉えた点においては侮れない、実力で言えばグレルマンにも劣らないと思った方がいい。


「何者だ。」


『私はマルグリット・ド・メーデン。中尉だ。』


「なるほど。貴様が世界初の女性パイロットか。俺はレオンハルト・ワーグナー。少佐だ。」


『貴様が帝国軍のエースパイロットか。ならば好都合!貴様を殺せば明らかに戦局は動く。』


これは久しぶりに骨のある奴が来た。俺は気を引き締めて敵機を見つめた。

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