第二話 決意;レオンハルト・ワーグナー

謁見の間は俺が暮らす宮殿の最上部に存在している。赤と白を基調とした宮殿で、鋼の帝国第三代皇帝により建造された。十二代皇帝の時代に海外の異民族の侵攻で破壊されたが、第十五代皇帝の時代に再建された歴史がある。


再建された宮殿は戦勝ムードに湧いた当時の情勢を反映した豪華絢爛な建築物である。だが実際には、大理石の柱が無数に林立するクロイスターに、正直うんざりしている。


無限の長さとも思える宮殿を歩き続けていると、ある人物とすれ違った。


「ああごきげんよう、ワーグナー少佐。南部戦線での『清掃活動』お疲れさまでした。」


皇帝親衛隊長官、フレデリック=ボイムラ―だ。


「ボイムラー長官、労いのお言葉、誠に感謝申し上げます。」


彼は皇帝親衛隊の長官で、まさに虎狼たる心を持つ人物である。此奴は常に純白の仮面を被っているような無表情で正直苦手だ。しかし上司なので適当にそれらしいことを言って誤魔化しておいた。


「我らはどれだけの犠牲を払ってでも山を越えた先の野蛮たる怪物の殲滅という大義を果たさなければなりません。この大義の達成が我が国の最重要項目です。」


「はい。存じ上げております。」


するとボイムラーはにやりと笑って言葉を紡いだ。


「貴方はライオンの共食いについて知っていますか?」


何故、ここでライオンの話をしだすのかわからなかった。底知れない闇の気配を感じたが、またもや適当に返しておく。


「いえ。」


そう返すとボイムラーは少し不服そうに眉を歪めて応答した。


「ライオンは体の弱い子供を殺して食べてしまうそうなんですよ。この傾向は虎や豹にも見られます。それに一部の魚は孵化する前の卵を食べてしまうそうですね。まあ栄養価も高いわけですし、貴重な食料となるわけですね。」


嬉々として獣の共食いについて語るボイムラーの狂気を肌で感じながらただ聞き流そうとだけして、でもそれが余計に話の内容を意識させる。


「それが、どうかしたのですか?」


ボイムラーは合点がいったとでも言わんばかりに右手の平に左拳を叩きつけて返した。


「ああすみません。どうやら例と論が逆転していたようです。」


俺はここまで言われても、ただ只管ひたすらに意味が分からなかった。怖いもの見たさで聞いてみたいと思ったが、やはり恐怖のほうが勝ってしまい口を噤んだまま立ち尽くしていた。


「まだわからないようですね。つまるところ、食糧問題の解決案です。」


そのとき、正午を告げる鐘が鳴った。


俺は此奴が何を言いたかったのかようやくわかったとともに、悪寒と冷や汗が止まらなくなった。簡単に言えば此奴は、人間間の共食いについて話していたのだ。


「ああ、分かったのですね。民衆は食糧が不足していると嘆いているというのは我々を悩ます問題です。しかしどうでしょう、戦場に行けば!無数の栄養食品が散乱しているではないか!弱小たる化け物共を捕らえて加工し、肉として提供するのです。これが食糧問題の、永久的で、根本的な解決につながるでしょう。」


ああ、分かった。これは冗談だ。俺をびびらせようとしているのだ。そうに違いない。そうでなければ気が狂ってしまうに違いない。


「最終的には妊婦から赤子を取り出すことが一番効率的なやり方でしょうね。生ませれば母体にストレスがたまるので腹を裂けばより多くの食糧が効率的に……」


「ボイムラー長官、私は急ぎの用があるのでまた。」


俺はもうこれ以上聞いていると腹の中の物を全てぶちまけてしまうと確信して、奴の話を遮って先を急いだ。


「冗談は程々にしてくださいね、ボイムラー長官。」


俺は奴の真横で立ち止まって呟く。しかし奴は不敵な笑みを浮かべた。


「私がいつ冗談を言いました?」


俺はこの時、恐ろしいのは此奴だけではない。俺もまた狂人なのだと気が付いた。


なぜならこの言葉に少しだけ救われた自分がいるのだから。


――――――――――――


謁見の間に入ると、長年の使用で色褪せたカーペットの先の玉座に、皇帝陛下が座して居られた。俺は牛のような速度で玉座に歩み寄って跪いた。


「レオンハルト・ワーグナーよ、先の南部戦線での戦果は見事であった。」


この濁った太い声。これが玉音である。この声をお聞きするのは初めてだ。


「労いのお言葉、誠に感謝申し上げます。」


俺が顔を上げ、御天顔を目に入れる。伸ばした口髭を蝋で固めて釣り上げ、キリッとした鋭い目で俺を見下ろす。そしてカイザーカット(注1)の白髪がより威圧感を醸成している。


「ワーグナーよ、我々の大義とはなんであるか答えよ。」


「はい。それは勿論、山脈を隔てた先に棲息する、劣等たる怪物共を殲滅、奴隷化することに相違ございません。」


「その通りだ。貴様は貧民街の生まれで、実力のみで貴族社会とも言える空軍内で、エースパイロットの地位を確立した。そんな貴様ならばその大義に一役、いや何役でも買ってくれると確信している。」


「身に余るお言葉恐縮です。」


このようなことを宣っては居るが、彼は戦場の真実を知らないだろう。山脈の先に暮らす者の性質は我々と同じなのだ。美食を探求し、愛する者と子を成し、繊細な布団にくるまって夢を見たい。そんな人間たちが住んでいるのだ。別にこれは批判でもなく、皇帝という役職上仕方ない部分があり、ある種の諦観である。


「そこで早速、貴様にその責務を果たしてもらう。停滞する南北の両戦線の間隙を縫うように山脈を超えるのだ。貴様にその作戦の先陣を切ってもらう。」


この時、俺は我が耳を疑った。正直言ってこの作戦は無謀という他ない。王国軍の錬度は我ら帝国軍と殆ど変わらない。そんな王国軍の守る山脈に突っ込んでいくのだから。


「陛下、その……お言葉ですが、この作戦は兵站の軽視ゆえに多くの犠牲が出るリスクが高く、実行するべきではないかと。」


俺は震える声を絞り出して反論する。俺の部隊は勿論、帝国軍全体で大きな損害が出ること間違いなしの作戦が実行されるよりはましだ。


しかしそんな俺の期待とは裏腹に、皇帝陛下は怒髪天を突いた。さそりの毒針の如き鋭い剣幕で俺を怒鳴りつけた。


「山脈を超えることこそ、王国軍に圧勝するための必要十分条件である。神の賜物たる帝国軍が敗れるなど有り得ぬ。仮に敗れたとして、多くの犠牲を出してでも遂行すべき正義なのである。」


話が通じないことを悟ると、もう生きた心地がしなかった。顔を上げることができず陛下がどのような顔をして座しておられるのかは分からないが、火の粉が降りかかるような灼熱感を覚えたのは確かだった。


「失礼致しました。我が第七戦闘航空隊、必ずや大義を果たして見せます。」


俺が声を震わせてそう言うと、陛下がうむと息を吐いたのが分かった。


「それでよいのだ。では、期待しているぞ、ワーグナーよ。」


俺は小さくはい、と返してから立ち上がった。そして踵を返して謁見の間から出ていった。


俺は敢えて、心の暗さを悟られぬよう、胸を張って大きな歩幅で歩いていた。


――――――――――――


俺は皇帝陛下との謁見を終えた後、帝都の端にある航空演習場へと向かった。そこで俺を待っていたのがユストゥス・ヨアヒム・バイエルン空軍元帥である。


「お待たせして申し訳ありません、バイエルン元帥。」


「いや構わぬよ、ワーグナー少佐。では早速見てもらいたいものがあるのだ。」


そう言って彼は俺を中へと案内した。


中には試作段階の哨戒機、メンテナンス中の爆撃機、など多くの機体がまるで鳥のように群れを成しているが、その中でも異色を放つ攻撃機があった。


「やはり君はこれに目が行くか。」


「はい。これは何か、神秘的で、畏怖を覚えます。」


主翼は従来の楕円形テーパー翼(注2)とは異なり円筒形。また、先端のプロペラは無くなっている。まさに鋼鉄の鶴と思しき純白の機体である。


「これは最新型戦闘機、グレンツェ(注3)だ。巨大な山脈を超えるための機体にふさわしい名であろう。」


そしてバイエルン元帥は、一息ついて再び語り始めた。


「この機体には最新鋭のジェットエンジンを搭載しているため、プロペラを必要としない。また、円筒形の翼全体に機関銃を搭載しており、機関砲からは航空魚雷を垂直発射することができる。つまり攻撃力は世界一高い。」


俺はその説明も耳に入らぬほど、その白い機体に目を奪われていた。


「そして、君にはこのグレンツェに搭乗してもらおうと考えている。だがこの機体は世界初のジェット攻撃機であり、危険があることも見込まれる。それでも良いというのであれば頼みたい。」


俺は耳を疑った。この美しい機体と最期を共にする事ができるというのか。俺の答えは勿論決まっている。


「はい、私を指名していただき光栄です。必ずや山脈を越え、この戦争を終わらせて見せましょう。」


「君は頼もしいな。この機体であれば君の力を最大まで発揮できるに違いない。」


こうして、俺はこの戦争は正義であるに違いないと思い込んで再び戦場へ向かうこととなった。


――――語注――――――――

(注1)シーザーカットの事を表す造語。鋼の帝国はナチスドイツがモチーフになっているので、ドイツ語風の言い方に変えました。


(注2)翼の端に行くにつれて翼弦の長さが線形に変化(多くの場合は減少)する翼の形。誤解を恐れずに大雑把に言うと、多くの人がイメージするような形の飛行機と思っとけば大体あってる。


(注3)ドイツ語で境界とか国境を意味する言葉。ちなみにこの機体の形状は、新海誠監督作品の『雲の向こう、約束の場所』に登場するヴェラシーラと同じような感じになっています。

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