第三話 現;レオンハルト・ワーグナー

夢を見ていた。


でも今回は、根拠もないのになぜかこれは夢だと確信し、薄気味悪さすら覚えた。


そこには道があり、それを囲むように灼熱の炎が燦々と燃えている。


俺は妙に足が重く、進むことすらままならなかった。そして進む先は暗く、たどり着く場所はすぐ近くとも、遥か遠くとも思える。


身体が熱い。俺は疲れ果て、膝に手を当てて目線を下に向けた。そして目に入った光景に思わず目を見張った。赤黒く焼け爛れた無数の腕が俺の足首を離さまいと掴んでいたのだ。


その光景は俺が死を望まれる存在であることを嫌でも実感させ、深い絶望を与えた。それに気づくと、もう抵抗することも気が重く、ただ深く、沈み込む。


まだまだ深く、深く……


次第に灼熱感が増していく。


これは夢だとわかっていても、ここで死ねば現世でも死ぬのだと確信する。正に呪いの夢である。


しかしそうであっても俺は、自らを呪いから解き放とうとはしなかった。


呪いを抱えて生き存えるよりもいっそ……


『……少佐、ワーグナー少佐。』


その言葉で俺はようやく目が覚めた。


明晰夢から覚めると、傍にはグレルマンが立っていた。


見慣れない天井だ。そうか、俺は次の作戦のため、前線都市で夜を明かしたのだった。


俺はすぐに布団を勢いよく捲り、足首に目を遣る。そこには火傷の痕などはなかった。


「ワーグナー少佐、昨日の件ですが……」


俺は右手で右足首を握って体温を確かめるが、どうやら平熱のようだ。


そんな俺の様子を見て、グレルマンが言葉を切る。


「なんだか様子が変ですよ。やけに穏やかに眠っていましたから。」


「いや、なんでもないよ。」


俺は彼に背中を向け、青いラインの入った耐Gスーツ(注1)に着替えながらその話を聞いていた。


「体調が優れないようならそう元帥に伝えます。ですから無理はしない方が……」


「いや構わない。」


俺はグレルマンの言葉を遮って言った。


「俺たちは今から戦争を終わらせに行くんだ。ではなぜこの戦争が終わるのだと思うか。」


俺の問いに、グレルマンは少し憚るような口調で言った。


「それは……審判のためでしょうか。」


やはり、彼はそう言うと思っていた。期待通りの回答だ。


「ああそうだ。審判だ!」


俺が声を荒らげてそういうと、グレルマンは少し怯んだようなそぶりをみせた。


しかし、俺はそんなことはお構い無しに続けた。


「この作戦が成功すれば必ずやこの戦争は我らの勝利に終わる。我らが正しかったことが示されるのだ!」


ここで言う審判とは、鋼の帝国初代皇帝が提唱した概念である。戦の勝敗は神によってのみ定められ、正義を執行する方に勝利が与えられるという説だ。


「そして我らの勝利の先にある世界で、世界で……」


-何をするんだ-


俺がこの勝利の先の世界で生きるビジョンが、何一つとして見えてこない。


俺の背中は震えていた。


「あの……ワーグナー少佐?」


俺は早歩きで部屋の扉の正面を目指した。


「さあ早く行こう。そんなことはどうでもいいんだ。バイエルン元帥に呼ばれていただろう。場所はアンフィテアトルム(注2)だ。」


扉を開けて、殊更に早い歩みでアンフィテアトルムに向かった。


石造りの廊下を、周囲に目もくれず進んだ。


途中、料理を運ぶ女中や教科書を抱えて歩く士官候補生とすれ違うが、その度に道を譲ることはなくど真ん中を食い破るように進んだ。その度にグレルマンがすみませんすみませんと頭を下げていた。


どれくらい歩いたか記憶は無いが、多分すぐにアンフィテアトルムにたどり着いたのだろう。到着時、第七戦闘航空隊員は1人残らず集合していた。


「君たちは優秀だな。30分前にも拘わらず全員が集合完了とは。ワーグナー少佐の指導の賜物かな。」


「いえ。彼らが優秀なだけですよ。」


なぜこのアンフィテアトルムが集合場所に選ばれたかは皆分かっているはずだ。ここは鋼の帝国初代皇帝が建設した円形の劇場である。かつて現在の銀の王国領に遠征する際に皇帝自ら演説を行った場所として知られている。その縁に肖ろうということだろう。


バイエルン元帥と他愛のない会話をしたら、すぐに本題に入った。


「作戦について、基本的には昨日説明した通りだ。君たち第七戦闘航空団が先陣を切って山脈の防衛航空部隊とぶつかり、その後に空挺部隊が合流し敵部隊を包囲、殲滅する。」


バイエルン元帥は劇場の階段を下りながら話を続ける。物理的な距離は離れていくが、劇場の形状のおかげで声はよく響いている。


「そして追加の作戦がある。この作戦により山脈を突破すれば北部戦線と南部戦線の間から山脈防衛のための部隊が引き抜かれることが予想される。そこで南部から海路を使って進軍し、南部戦線を殲滅後に王都を攻めるということだ。」


その話をしながらもバイエルン元帥は階段をゆっくりと下っていき、遂に最下部のステージへと足を踏み入れた。


そこでバイエルン元帥は更に声を張り上げて言う。


「つまりこの作戦の成功がこの戦争の勝利に対して大きな鍵を握るのだ。諸君らの健闘を祈っている。」


俺は間髪入れず、冷静に言葉を返す。


「はい。次にお会いするときには必ずや吉報を持ち帰って見せましょう。」


バイエルン元帥は、俺の言葉に目を閉じて頷く。


「やはり君は頼もしい。私は作戦中北部海洋の警備にあたるからしばらく会えなくなるが、これならば安心だろう。」


「ありがとうございます。でしたら次にお会いするのは帝都になるでしょう。其れかあるいは……」


「ああそうなるな。ではこれで解散としよう。諸君らの健闘を祈っている。」


その瞬間、俺を含む全隊員が一斉に敬礼した。


俺はそれからしばらくして、アンフィテアトルムの外へ出て飛行場へ向かった。


――――――――――――


レオンハルト・ワーグナーがアンフィテアトルムから出て行った後も、ハインリヒ・フォン・グレルマンとユストゥス・ヨアヒム・バイエルンは未だに留まっていた。


「どうしたんだ。世紀の大作戦の前だから緊張しているのかね。」


バイエルンがグレルマンに語りかけた。


「いえ。ただ、ワーグナー少佐のことが気になって。」


グレルマンは顔を曇らせて言葉を紡ぐ。


「なんだかワーグナー少佐は、死に場所を探して彷徨っているように見えるのです。」


「ふむ。それで、どうしろと?」


グレルマンは少し迷いの表情を見せたが、すぐに目に決意を込めた。


「今からでも、ワーグナー少佐に出撃停止命令を出してはいただけないでしょうか。俺はワーグナー少佐がいなくなることが怖い。」


バイエルンは、その言葉に対して、迷うことなく首を横に振った。


「これは皇帝陛下の勅命に反する行為であるぞ。これまでの功績に免じて今の発言はなかったことにしておく。誰が聞いているのかわからぬのだから、発言には気を付けるべきだ。」


グレルマンはバイエルンの圧倒的な剣幕に、ただ気圧されているばかりだった。しかしグレルマンがまたもや口を開く。


「しかしここでワーグナー少佐を殺すような作戦をとるなど……それにあんな純白の機体では目立つ。戦闘力の高いワーグナー少佐が駆る機体であることも容易に想像できるでしょう。」


バイエルンはその言葉に溜め息を吐く。


「正直なところ、私自身もこの作戦には疑問を抱いていたのだ。しかし帝国軍人たるもの、皇帝陛下の命に逆らうことは最低の行為である。」


「では私が代わりに死ぬことすら厭いません。私がワーグナー少佐のことを天国で待つこととするのです。」


バイエルンはその言葉にハハハと高笑いして見せた。


「死んでも天国ではワーグナー少佐には会えんよ。」


「そういえばバイエルン元帥は無神論者でリアリストでしたね。しょうもない話を聞いてくださりありがとうございました。ではまた、帝都でお会いしましょう。」


そういってグレルマンは、軽快に階段を駆け上がってアンフィテアトルムの外部へと向かった。


「さて、私は本当にリアリストかな。




いや、








あながち間違いとも言えぬやもしれんな。」


――――語注―――――――

(注1)戦闘機パイロットにかかるGを軽減するスーツ。また、高いGがかかると血液が下半身に集中して脳に血液が供給されなくなることで、視野を失うブラックアウトという現象が起こる。

(注2)イタリア、ローマのコロッセオのような円形の劇場。アンフィテアトルムという言葉は、ラテン語で円形劇場の意味。

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