第一話 呪縛;レオンハルト・ワーグナー
夢を見ていた。戦場の夢だ。
俺は鋼鉄の鳥に跨り、空を飛んでいる。そこは銀の王国の主要都市上空で、地上からはけたたましい警報音が鳴り響いている。
そこで俺は、驚くほど簡単に機内のスイッチを押し、爆弾を投下した。その爆弾は当たり前のように地上に墜落し、当たり前のように爆発する。その爆弾による炎は、ありえないくらいの速さで燃え広がり、街を覆いつくす。
そして、街はあっという間に崩れ落ちて灰になり、そこには俺が跨る鳥の影だけが残るだけとなった。
その影が瞬く間に大きな人型になりながら拡大し、大きく手を広げながら浮かび上がる。結局その影は、鋼鉄の鳥を溶かして俺を包み込んだ。
火が服に燃え移り、ガラスの破片が
『ねえ、お母さん。熱いよ。』
戦場に行ってしまった恋人をただ待っている女性。
『いやだ、いやだいやだ。死にたくない。あの人に会えたのに。』
既に延焼が激しく、半壊した教会でさえも祈りをささげる
『ああ、神よ。なぜこのような試練をお与えになるのです。』
ただ懸命に日々を送っていた何の罪もない労働者。
『クソッタレが!帝国のやつらなんて全員死ねばいいんだ!』
呪詛、罵詈雑言、諦念の声。全てが明確なる悪意をもって俺を包み込む。明確なる悪意の代償として。
それに肉体を蝕まれ、心までも。天への道は閉ざされ、ただ無下に、地獄への逃走経路を進む。
ああ、そうか。これが……俺の業なのか。
――――――――――――
だんだんと闇に吞まれていく中俺は、見慣れた白い天井を見上げながら目を覚ました。
あの悪夢から覚めた直後にもかかわらず、俺はやけに冷静で汗もかいていないし熱もない。どうやら俺はこの三年間で殺し合いに慣れすぎたようだ。
思えばこの三年間は激動の日々だった。鋼の帝国第三十八代皇帝、パウル・ヴェルガー陛下は銀の王国に対して「聖戦」を開始した。最初こそ帝国軍は快進撃を続けたが、一年後に王国軍による北部地域の大攻勢により大きな犠牲を出し、戦線は停滞した。
そんな戦場で気づいたことは、敵兵も各々の正義を抱えた体温を持つ人間であるということだ。戦場に行って三年間命を賭し、得たことがこんなものだとは。恥ずかしささえ覚える。
俺は重い腰を上げてベットからのそりと立ち上がって黒革のブーツを履き、クローゼットに向かって歩き出した。クローゼットの木製の扉を開けて、ハンガーに掛けてあるフィールドグレーのユーバーロック(注1)を取り出して前合わせで羽織る。そして一つずつ丁寧にボタンを付け、
着替えが終わると、クローゼットすぐ隣に立てかけてある横幅50㎝ほどの鏡で自分の姿を見る。内側に倒れてしまった襟を外側に出してしっかり立たせる。
「よし。」
俺はそう言って一息ついてからドアの前に立ち、出口ドア横のアンティークチェストの上に置いてある制帽を取って両手でしっかりと被る。それから少しだけ間を置いて金属製のドアノブに手をかけて回し、部屋の外に出て食堂へ向かった。
――――――――――――
木造の通路を抜けた先の、何台も長机と椅子が並ぶだだっ広い食堂に入ると、軍服をだらっと着崩した長身の男に声をかけられた。
「おはようございます、ワーグナー少佐。」
ハインリヒ・フォン・グレルマン中尉だ。彼は俺が指揮する第7戦闘航空団の副長である。戦闘力はさることながら頭もキレる優秀な人物で、俺も頼りにしている。まあ貴族出身ゆえにプライドが高いという一面も併せ持つのだが。
「ああ、おはよう。」
そう言って二人で食堂のカウンターに向かい、じゃがいもとニンジンをふんだんに使った温かいシチューと二切れのパンをもらって席に着く。
「わーうまそー!いただきまーす!」
そう言ってグレルマンは、木製のスプーンでシチューを口に運ぶ。しかしどうやらじゃがいもが熱いようで、舌の上で転がしている様子だ。
俺もその様子を横目にパンを千切り、シチューにたっぷりしみこませてから口に運んだ。
「少佐、これめちゃくちゃおいしいですね!俺みたいに舌が肥えてるやつにとっても絶品ですよ。」
その言葉に俺はびくりとして、少し動きが止まった。
「うん、そうだね。」
俺はそういったものの、食事とは死なないためのエネルギーを補給するための時間に過ぎない。美味いか不味いかなど関係ない。硬いか柔らかいか、固体か液体か。ただそれだけの違いだ。
もともと帝都の貧民街出身の俺は、入隊当初こそ、その飯の美味さに舌鼓を打ち喜んだが、戦争が始まってからはそうはいかなくなった。地獄の北部戦線に赴いてからのことだ。濃密な血と、炭の臭いと共に乾いた冷たい乾パンで栄養を補給する。パイロットとして人を殺す片手間で食事を済ます。
そんな生活を続けて北部戦線から帰ってきたとき、これまであまりの美味さに毎日感動していた帝都の飯でさえ血と炭の臭いに染まっていた。それでも軍人の俺は、貧民街時代の仲間たちと比べて栄養価の高い飯を食っている自覚はあったからこそ、余計に食事の時間がつらかった。
南部戦線から帰還した最近では、血と炭の匂いはより濃密なものになり、
「このじゃがいも熱すぎますよ。少佐は平気なんですか?」
「うん。俺は猫舌じゃないからね。」
俺は微笑みながらそう言うが、小さなパンのかけらを親指と人差し指で摘み、浸かるくらい深いところまで指を入れて、食事の効率を上げている。熱いか冷たいかなど気にする必要がない、というのが俺の本心なわけなのだから。
「そうだグレルマン、今日の事務的な業務は任せてもいいかな。皇帝陛下とバイエルン元帥にお会いする用事があるんだ。」
バイエルン元帥とは、帝国空軍元帥ユストゥス・ヨアヒム・バイエルン殿のことだ。彼は75歳の老体ゆえに既にパイロットは引退しているものの、亀の甲より年の功とはよく言ったもので経験に基づく堅実な作戦立案を行う人物である。それゆえに信頼も厚い。
「了解です!任せてくださいね。」
いつものようにこんな軽口を叩くが、このスタンスでいつも失敗しないので今回も頼りになるよ、とだけ返した。
「じゃあ俺はもう部屋に戻って時間まで休むよ。」
そう言って席を立つと、グレルマンは驚いて言った。
「え!?今日はいつもに増して食べるの早いですね。」
俺は冷たく、そうだねとだけ返し、カウンターに食器を戻して食堂を出て部屋に戻った。
――――――――――――
『戦場では情など捨て去るのだ。いちいち死者に構っていては限がない。』
膝から先をベッドの外に出して折り曲げ、ベッドを上下に分断するように寝転がってある言葉を思い出していた。
軍学校時代の教官の教えだ。当時はやはり、正気の沙汰では無いと思った。ただの肉の塊に成り下がったとしても、かつての仲間であったのだ。
今思い返してみると教官は、今の俺と同じだったのかもしれない。彼は現役時代、平民の星として輝いていたそうだ。危険を冒してでも出世して、裕福な暮らしをするための道のりとして軍に入った。だが、結局は死に場所を探す過程へと変化し、死にきれずに目的を失いなんの過程でも無くなる。
俺の勝手な妄想かもしれないが、結局平民上がりのものはそうなる運命なのかもしれない。俺も例外なくその道へと向かっている、あるいはもう到達してしまっているような気がするんだ。
俺は情を捨ててしまったんだろうな。だとしたら今の俺は正気の沙汰では無い。実際こういってみたものの本当は、今となってはあの言葉に共感してしまっているのだ。
そう気づいた俺は大きくため息をついた。
「俺は、貧民街の一番星だったはずなのにな。」
そして俺は、誰に向けるでもなく言葉を発する。
「なあ、みんな。今俺にあったら、俺だとわかってくれるか。」
けど今となってはそんなこと考えても仕方がない。気づいた時にはもう謁見の時間だったのだから。
俺は重い腰を上げ、皇帝陛下の待つ謁見の間へ向かうことにした。
――――語注――――――――
(注1)プロイセン王国やドイツ帝国の軍隊の制服として使われた。市民の上着から発展したもの。
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