第2話 噂とはすなわち

 噂とはすなわち、無責任なものである。何らの意味もない流言飛語りゅうげんひごだ。


「お前が死んだとか、結婚したとか、貴族になったとか、意味不明な噂ばっかりだったから、気になって見に来た」

フェルナンの言葉に、テオドールが微笑む。

「噂を気にしてわざわざ来てくれたんだ。ありがとう」

「まぁな」

テオドールの言葉にフェルナンが得意気に笑う。


 テオドールの手は、ゆっくりと膝の上で眠る子猫たちを撫でている。シュザンヌとテオドールの間に生まれた子供たちだ。フェルナンが口にした噂は全て、シュザンヌとテオドールが結婚する前後のことだ。


 噂を確かめに来たにしては、あまりにも遅いが、相手は魔法使いだ。魔法が使えるだけの私とは、異なる世界に生きている。それが魔法使いだ。


「しっかしまぁ、流石お前の子供だよな。変化の術を使いこなすなんて」

フェルナンの言葉にテオドールは首を傾げた。

「僕の影響ではないと思うけれど。僕はほら、君たち魔法使いにははるかに及ばないし。神様の御加護は、神様にお返ししたから」

フェルナンが苦笑した。

「本当にお前は、自覚がねぇよなぁ。舐められっぞ」

「あぁそのとおりだ。もっと言ってやってくれ」

リシャールがフェルナンに賛同する。

「まぁ、テオドールの価値がわからねぇなんて、頭も魔力もアレな証拠だから、便利っちゃ便利なんじゃないっすか」

明け透けなフェルナンに、リシャールが人の悪い笑みを浮かべる。次代の宰相だ。はかりごとが得意なのは良いが、人にそれを悟らせるようではまだまだだ。


 魔法使いは稀有な存在となりつつある。魔法使いになるには、魔法の才能は必須だ。多くの貴族は、自らを上回る魔法の才を持つ魔法使いの希少性を理解し、突飛が過ぎる魔法使いたちであっても丁重に扱う。基本的にはだが。


 テオドールは魔法は使えるが、魔法使いには及ばない。だが、テオドールは唯一無二の存在だ。聖剣と共に魔王を斃した勇者であるのに、存在意義をわからないものがいる。それも貴族に多い。穿うがったものの見方が知的だと勘違いしている愚か者たちは、本当に厄介で面倒だ。フェルナンの言い方を借りるのであれば、頭がアレだということだろう。


 他人をおとしめたところで、己が愚かである事実は変わらない。愚か者の悪あがきは厄介だ。


 テオドールは物静かで控え目な性格の若者だ。魔王討伐という業績を誇ることも驕ることもない。テオドールは自分一人では成し遂げられなかった業績だと繰り返す。テオドールは、彼と旅をした人々を讃え、還らなかった仲間を悼み、聖剣への感謝、神への祈りを忘れない。


 謙虚なテオドールを、用済みだとか、聖剣のおまけだとか、口さがなくあざけののしる声は、魔王討伐直後からあった。


 二度目の魔王討伐、あの忌々しい偽りの魔王の復活のあと、口さがない者たちは消した。だが、また新たな愚か者たちの陰口が大きくなってきた。堪忍袋の緒が切れたリシャールと魔法使いたちが何やら物騒な魔法の術式を組み始めた時、国王である兄は、かつて王領であった土地をテオドールに与えた。テオドールが育った町、兄と私が子供だった頃に夏をすごした町があった土地だ。


 その頃には、兄も私もテオドールの性格を理解していた。


 君の大切な故郷を心無い他人の手に委ねるよりは君に任せたいとか、領地を持つには爵位が必要だとか、功績があった人間に褒美を与えるのが国王の責務だとか、他の者の功績に報いるためには魔王を斃した勇者に十分過ぎるくらいの褒美を与えておかないと釣り合いが取れないとか、褒美を受け取ってくれないと勇者を讃えなかった愚か者という不名誉な称号を後世の歴史家が私につけるだろうとか、兄と私にあれこれと言いくるめられたテオドールは伯爵に叙爵されることに承知した。


 魔王が復活し、虚無に呑み込まれた町や村は、瘴気に沈み魔物を吐き出す森となった。テオドールが魔王を討伐したあと、瘴気は晴れ、森は消えた。だが、人々が暮らしていた土地は、瓦礫の一つもない荒涼とした荒れ地となり、草木の一本も育たず、虫の一匹すらいない土地となっていた。


「旅は本来楽しむものだ。楽しんできなさい」

私の言葉に、テオドールは微笑み、シュザンヌと幼い子供たちを連れてテオドールの故郷があった場所へと旅立った。


 兄と私を含めたテオドールの一家と親しい者は皆、騒がしい王都から離れた土地で、家族水入らずで過ごさせてやりたかった。変わってしまった故郷への帰郷は辛いだろう。だが、変わっていないものもあるはずだ。


 親しい者たちの願いとは別に、何の実りも期待できない荒れ地が褒美かと嘲笑う声が、彼らの背を追いかけた。


「私は私が見たものが信じられないが、本当に見たのだ」

テオドールの一行が旅立った後だ。兄は繰り返し見た不思議な夢の内容を私に語ってくれた。

「テオドールが植えた木が、森になる夢だ。夢に見る度に、森が広く大きくなって荒れ地に命が蘇る。私とお前が慣れ親しんだあの森が蘇る夢だ。テオドールをあの森に遣わせるようにという神の御意志だと私は思う」

兄は国王だ。神官ではない。兄も迷ったが、己の見た夢を信じることにした。


 テオドールは、何の命の欠片もない荒涼とした大地が広がる故郷に、一本の若木を植えた。


 兄の夢は現実になった。


 若木は根付いた。それまでは、何をどうやっても、雑草の一本も育たなかった土地で、若木は根を張り新たな枝を天へと伸ばし、葉を茂らせた。テオドールだけが虚無に呑まれた土地に命を蘇らせることが出来た。テオドールが唯一無二の存在であることが、国中に知れ渡った。


 今、テオドールは年の半分以上を、家族と一緒に国のあちこちを旅して生きている。テオドールは、若木を植え、球根を植え、種を蒔き、荒れ地を次々再生させている。虚無に呑まれ、命が育たなくなった土地を、命あふれる土地へと変えている。


 大地を耕す民はテオドールに感謝し、大地の実りを享受する者はテオドールを讃えた。


 兄はテオドールを伯爵から侯爵に陞爵した。反対する者はいなかった。虚無に呑み込まれた荒れ地は次々と息を吹き返している。その功績は疑いようもない。


「多くの仲間に支えられ、聖剣と共に魔王を斃して、神様から頂いた私のお役目は終えたと思っていました。魔王を斃すだけでなく、虚無に呑まれた土地に命を蘇らせることも、私のお役目なのでしょう。死んだ者は還りません。新たな生命が生まれる実り豊かな大地を取り戻すことはできます。私は神様から頂いたお役目を、これからも精一杯務めさせていただきます」

テオドールの言葉を、神殿の者や信仰厚い者が各地へ伝えた。


 

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