追われる青
夕暮れ時の大学構内は閑散としていて、「僕」以外の学生は見当たらない。回生が上がるにつれ、知り合いとすれ違うことも少なくなった。物悲しさと気楽さが共存の道を探ってもめている。足元の葉っぱの色は黄味がかり、学生生活も終幕が近づく。就活、卒研、卒業、引退。考えるべくは多くある。しかし最近の思い種は、もっぱら、僕の少し前を歩く、ある男のことだった。
僕の少し前を歩く彼は、僕と同じ姿かたちをしている。鏡や写真でしか得られぬ情報は、僕の「僕」に対する認識にバイアスをかけ、多少の誤差を生じさせる。しかし当人である僕から見ても、彼は僕とまったく瓜二つに見える。
そして、彼が僕の前に現れている間は、不思議なことに、僕の姿は誰にも認知されない。認識される客体としての「僕」は、常に一人しかいない、ということであり、冒頭「僕」しかいないと述べたのもそれに由来する。また、彼は僕が一〇メートルほどの範囲にいないと機能しないことも、何度かの検証によってわかっている。
突然現れた不気味な彼を、僕はむしろ、幸運の表れくらいに捉えて、楽観視している。というのも、彼は、僕が後ろにいるだけで、僕がやりたくないこと──たとえば飲みの付き合いや、大学の課題なんかを、代わりにやってくれるのだ。僕がただ後ろに突っ立って本を読んだり、携帯をいじったりしているだけで、彼は机に向かって課題を終わらせてくれるし、面倒くさい先輩の相手もしてくれる。
そして、認識される行動主体はあくまで「僕」なので、効果はすべて僕に帰属する。また、僕が僕である権利を取り戻したいと考えたときには、彼に近づき、姿を重ねることで、僕はいつでも僕になることができるのだ。
このような状態にあって、僕は彼を、多少の危うさを感じはすれども、当面、正体が明らかになるくらいまでは、利用してやろうと考えていた。僕は彼にアオと名前を付け、観察している。アオとは、「Another one(もう一人の僕)」の略である。
アオは、基本的に僕から自立して動く。しかし、ラジコンのように、僕の意思を反映させることもできた。彼が僕の意思にそぐわないような挙動をすれば、僕が少し頭の中でこれがしたいと考えることで、動きを変えることができた。しかし、そのようなことが起こるのも稀なことだった。なぜなら、彼はいつも、僕の頭の中の願望を実現するかのように、僕が取ろうとしている──正確を記すならば、僕が「僕」である権利を持っていたならばとっていたであろう行動を、いつも行っていたからだ。だから僕は、彼を見ている必要もほとんどなかった。僕はいつも通りに暮らし、そのうちの困難のみを、彼が代替してくれたのである。僕が彼に働きかけを行うのは、ほんのきまぐれが僕に作用した場合のみだ。
さらには、彼には学習機能があるらしく、一度ダメだと躾たことは、その後きちんと気をつけて振る舞うようになる。そうして、もう最近では、僕が彼に働きかけることすら少なくなってきた。彼は僕が思うところの「理想の自分」として、きちんと「僕」の役割を全うしてくれるのである。
彼があらわれてから、僕の人生は格段にイージィモードになった。願わくは、距離の問題がクリアになり、僕がたとえ家で寝っ転がっていたとしても、彼が社会内の僕の役割、位置づけを果たしてくれたらなおいいのだが、そこまで求めるのは傲慢が過ぎるというものだ。だから僕は、眠気と随するあくびを噛み殺しながら、彼の数歩後ろを歩いている。彼は今日もいつもどおりに、僕の役割を果たしてくれている。
しかし、アオも万能ではない。彼にいくら働きかけても、譲らないことがひとつだけある。それは、コンビニや、スーパー、書店など、レシートを手渡される場面で、決して受け取らず、半ば無理やり握らされたとしても、必ず脇の回収箱に放り込むことである。
僕はかねてより、きちんと家計簿をつけるために、レシートをきちんと保管していた。それは幼少期の母からの教えからくる惰性的な習慣なのだが、その刷り込みの力は強く、襲い来る違和感から逃れるために、必ずレシートを受け取っていたのである。しかし彼は、僕がいかに頭の中で念じようとも、レシートを受け取ることはしなかった。
別に、受け取らねば困るというものでもない。だからこれしきの命令違反は、許容範囲におさまるところだが、ただ一つ彼にとって不気味な点が、そこに収束している。制御不能なズレは、どうにも、僕の不安をかきたてる。しかし、得られる利点が多いことや、問題の先送り、思考の先送りのために、僕はその点を放置していた。僕が続けてきたレシートに関する記録は、そうしてパタと途絶えてしまった。
これは、アオが有するこだわりであり、それが、彼が僕の役割を代替することの報酬となるのならば。そう考えて僕は僕の感情をごまかした。何より、僕の生を代わりに全うしてくれる人があらわれたのは、僕にとって幸運だった。生きていくことに伴う重大な責任に、僕は辟易していた。その所在はいつだって僕に付き纏い、大人であることを強いる。
だから僕は、「僕」であることをやめて、何者でもない影になることにした。僕は、「僕」という人間の生涯を見届ける観察者になった。僕は、「僕」の期待される、果たさねばならない役割をアオに押し付けて、自分の自由な振る舞いをすることができるようになった。社会的な期待に応える必要がないというだけで、どれだけ人生が気楽になるか。僕はあらゆるしがらみについて気にすることなく、自分の思慮に思いを巡らせた。退屈になれば、気が向いたときにでも「僕」になればいい。しかし、「僕」である必要のない気楽さを知ってしまえばもう、後戻りは難しかった。賽の河原の小石のように、積み上げてきたものが、ふと崩れてしまった。ただ、それだけの話であるように思う。
最近の暇つぶしは、もっぱらアオの正体について考察することだ。姿かたちの同じ存在というのは、フィクションにも多く存在するものだ。ドッペルゲンガーだとか、生霊だとか、守護霊だとか、並行世界の存在だとか、さまざまに考察がされている。一方で、現実においても、珍しい話ではなくなるように思われる。この世には同じ姿かたちをした人間が三人はいるという。しかし、そんな眉唾話に頼らなくとも、クローン技術が一般化したら、同じ存在が複数あることに違和感は無くなるのだろう。常識が書き換わるのは時間の問題で、僕にはほかの人よりも早く、その日が来ただけなのだ。
いつかきっと、アオが本当の「僕」になる日が来るのだろう。責任から逃れ続けた僕に、それを咎める道理はない。ただ一つ心に決めているのは、アオを地獄へも、道連れにしてしまおうということ。
「僕」である権利は、アオに返すとしよう。僕の観察の日々は続く。何か発見であったり、アオに変化があれば、記し置こうと思う。今はもう少し、この安寧に浸っていたい。
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