第一話
東京は渋谷。大都会の一角に、その神社はひっそりと妖しい雰囲気をかもしながら、建っていた。地元の人々もいつからここに建立されたのかすら、わからない。
その神社の鳥居は黒く焼け焦げたような色をしていた。
また、境内にある木々は
この木は、燃やすと死体が焼け焦げたような臭いがするためだ。赤い実は、食用になるが、時折、虫を含んでいる。
その薄暗さと相まって、誰一人として参拝者が訪れそうもない薄気味の悪い神社だった。
祀っている神もまた、おおよそこの世で出会いたくない、縁続きになりたくないような神ばかり祀っていた。
死神。
貧乏神。
疫病神。
この三神を祀る。近づくものすらいないと思われがちだが、時折、参拝者が来るし宮司や巫女も常駐していて、真新しい社殿と社務所がたてられるくらいは、賑わっているらしい。
境内を掃き掃除している人がいる。おそらくは、宮司であろう。
社務所でお札や御守りのやり取りをしている巫女が二人。
鬱蒼とした茱萸の木におおわれた境内にガランと鈴の音が響いた。
拝殿には誰もいない。
ただ、どす黒い不気味な絵馬が2つ賽銭箱の前におかれている。一方の絵馬には「柳笑美」という名前と、強く何かで引っ掻いたような所々に血が滲んだ文字で「北村亮」と名前が書いてあるだけだった。
どこからか、怨念が乗り移ったような、生暖かく湿気った風が宮司の背を撫でた。
よく見てみると、その宮司、自殺したはずの福有によく似ている、ふりふたつである。その宮司、福有本人であるが、すでに彼は人ではない。
死神なのだ。
「仕事かね」
誰にたずねるでもなく、福有は空を見上げる。
集めたばかりの落ち葉が、風に巻き上げられ、今の今まで青く澄みきった空が、まるでこの世の終わりの如く赤く、禍々しい色に変わるのと同じく、福有の服装も変わっていた。
鬱金染めの布をまとい、てに持っていたはずの竹箒は、あの死神老人が持っていた杖に変わっている。
少しため息をつきつつ、後ろにある拝殿に続く参道を振り返ると、参道の左右に提灯の行列が、だれもいないというのに、ゆらゆらと、支えるものもなく空に浮遊している。
福有は杖を持ったまま、提灯のひとつ、紅色の小田原提灯を片手にとり、拝殿へと歩いていく。
提灯の行列が福有が、拝殿へと向かう毎にぽつりぽつりと灯りがともり、参道を照らした。よく聞くと、何か呻き声のような、泣き叫ぶ声が聞こえる。
この提灯行列は、いわば結界であった。
行列の外には、餓鬼が群れをなし、生きている人間に躍りかかり、貪り喰っている。
悲鳴が響く、狂ったような笑い声がこだまする。
行列の外は地獄の有り様だ。否、現に地獄なのである。
針の山が遠くそびえたち、天を覆うように
のびた地獄の花が咲き、熱風と共に奇怪な笑い声と人々の恐怖に泣き叫ぶ声が永遠と聞こえてくる。
拝殿の階段をのぼり、地獄絵図の書かれた扉を開ける。拝殿の中は、変わらない。
そこにどこかの学生か、ブレザー仕様の制服に身を包み、床几に座った女がいた。
いきなり入ってきた福有に驚き振り返る。
「お前さんかい?地獄絵馬の願い主は?」
福有は、気だるげに床几に上座の
「あなたは?」
少女はきっと福有を睨みつける。福有はため息をつきながら。
「地獄絵馬を手にしたならわかりそうなもんだがな」
そういいながら、手にした杖を両手に持ち、床几に座り直すと何か謡のような、呪文のような事を口にする。
やがてソレは、文字となり、杖にとぐろまくように、巻き付いていく。やがて、杖は大鎌へと変化し福有りの鬱金染めの布は墨を染み込ませたように黒くなり、福有の顔の半分が、髑髏に変わる。
少女は小さく悲鳴をあげた。
「これでいいかい?見ての通りの死神様だ。」
少女はうなずくと、福有の姿は元の鬱金染めの布に戻り、顔ももとに戻った。
「とりあえず、、、」
ゆったりとした動作で竹の杖を少女の眼前に突き出す。
「地獄絵馬の約定、覚えてるかい?」
「自分の名前と、呪いたい相手の名前を書けば、地獄にその相手を、、、」
少女の眼は真剣だった。
「堕す事ができるって」
それを聞いて福有は肩を落として、ガックリとうなだれた。
「何で、最近の若いのは、メリットだけを見て簡単にてを出すかね」
少女はきょとんとした顔をしている。
「その続きがあるんだよ、続きが」
福有は拝殿にある窓に近づき、少女を手招きする。少女が首をかしげながら、窓に近づいてきた。
外には地獄が広がっている。
燃え盛る炎にまかれ、悲鳴をあげることもできない様になのか、喉笛がむしり取られ、舌を斬られ、歯すらない。
髪の毛は焼け落ち、片目は潰れ蛆がわき、肌は焼けただれ着物の袖のように垂れ下がり、体内から食い破られたのかそこかしこに穴が開き、赤黒い肉が見える。その穴を巣にしているのか、時おり蛇のようなものが、その穴を行き来していた。
叫ぶこともできず、死ぬこともできず、無限に回復しては、また壊され、永遠に苦痛を味わう人間がそこにいた。何人も、だ。
「これが、お前さんの末路になる、、、かもしれん」
少女は、震え、腰が抜けたのか、その場にへたりこむ。ただ、小さく。
「なんで」
という、震えつつも、理不尽な怒りのこもった声で福有を見た。
そう、怒りの視線を強くした。
「救いは、ないよ」
あの場所には、どんなに願って、祈った所で助けにゃ来ないさ、神も仏もな、、、笑いながら福有はいう。
「あすこは、ね、、、地獄で最も苛烈で、最も不浄な場所なのさ」
そう言い、福有は窓を閉めた。
「お前さん、柳と呼ぼうか、、、赤の他人様の命を、だ例え怨恨があろうとも手前勝手に奪うんだ、それなのにまさか、自分は極楽往生できるとでも思ってたのかい?」
柳は何も言わない。ただ、福有を睨み付けている。
「生きてるうち、あんたは極楽浄土にいるような気分だろうよ、そいつがいなくなるんだからな」
福有は地獄絵馬の片方を柳に返し、拝殿から出ていく。柳もそれについて出ていった。
「人を呪えば、大なり小なり自分にかえって来るものさ、それでもそいつを地獄に落としてぇってんなら」
提灯行列の参道を歩きながら、柳を振り返る。
「本殿裏の茱萸の木に絵馬を引っかけな、、、期限は一週間。やめたきゃ、なにもしないがいいさ、、、決めるのは」
ふう、とため息をつきながら福有は低い声で
「お前さん次第だ」
そういって、柳に道を譲る。
「さ、帰った帰った、おっと参道から外れちゃいけないぜ」
柳は駆け出していた。
福有はというと、渋い顔をしながら、杖でとんとんと、やっている。
「こんな所まで、お説教ですかい?地蔵菩薩の旦那」
そう、イライラしたように提灯行列に話しかける。その声は明らかに友好的なものではない。
提灯行列の間から、子供が一人、錫杖と宝珠を持って現れた。地蔵菩薩である。
「また、衆生を六道からはずそうと言うのですか?新しい死神」
地蔵の顔は笑ってはいるが、目だけは怒気をはらんでいる。
「あなたは、もとは人の子だったはずです、それを、みすみす仲間を無限の闇に落とすのですか」
「さぁて、それは、あの柳って子次第だね」
「あなたにも、あの子にも、いつかは仏の慈悲があるはずです、それを、、、」
福有が杖を地面に強く叩きつける。
「いつ、その救いがあったね?」
福有りの纏った布がゆらゆらと燃えるように揺れている。
「神様、仏様、どうぞお助けくださいと願って祈って、、、あんたら、俺が生きてるときにいつ、救おうとしてくれた?」
ぎろりと地蔵を睨む福有の眼には軽蔑と怨恨いりまじったどす黒い何かが光る。
「お前さんら祈られる側にはわかるまいよ、安月給で昼も夜もなく、働いて、四六時中文句を言われ続け、自ら死を選んだ人間が」
「たとえ!それでも、明日を望んで、果たせなかった者や、いまだに望んでいるものも」
地蔵は声をあげる。
「その日を生きたいと願っていた人間が」
ドン!と大きな音を立てて福有の杖が参道に突き刺さった。
「だから、どうした」
ゆっくりと地蔵に近づく福有。
「生きたいと願ってるやつがいる?明日を望んでるやつがいる?」
地蔵は、少し後ずさった。福有はゲラゲラと馬鹿しにたように笑いだす、そして再び地蔵を睨み付けた。
「さすが!地蔵様々」
「な、なに」
「死にたいと、生きていても死んでいるような地獄を生きてるやつぁ、そんな事、考えもしねぇよ、、、自分を貶めた奴の、自分をけなし続けたやつの苦しむ顔を思い浮かべて、決死の覚悟で、、、最期の頼みの綱でここに来るんだ」
地蔵は、何も言い返す事ができない。ただ、悲しそうな表情を浮かべて、消えていった。
地蔵には、見えたのかも知れない。福有の後ろに浮かぶ、天をも覆うような巨大な髑髏が。
地獄から這い出た所で地獄なのだ。
どんなに華美に、豪奢に自分を偽り着飾った所で、最期は醜く、腐って白い骨になるしかないのだ。
福有は天を見上げ、地獄花の先にあるであろう、蓮の咲き乱れる天界を思った。
すぐに顔を戻し、提灯行列の参道から黒い鳥居をくぐった。
「人の怨みと砂粒は消えてなくなることはねぇ」
いつの間にか、元の神社の前で箒を片手にぼうっとつったている福有。
すぐに調子を取り戻した様に、境内の掃き掃除を始めた。
いつの間にか東京を赤い夕日が照らし、何もかも諦めた亡者の様な人々が各々のねぐらへと帰っていく。中には、一杯ひっかけて、今日の憂さ晴らしをしようと、呑んだくれて、蛇でもあるまいにくだを巻いてる連中とそれに付き合わされてる人もいるのだろう。今や減ってはいるのだろうが。
作務衣に着物の長い羽織を羽織った福有はそんな連中を懐かしそうな、悲しそうな目を向け、カランコロンと下駄の音を響かせながら、繁華街の路地裏に消えていった。
路地裏の一角。人が全く寄り付かないであろう場所に福有はいた。
そこに、大きい二匹の猫が、塀の上で寝ている。
「仕事だ」
福有がそういうと、猫が一鳴きしたと思うと、二足歩行になり、毛の色も大きさも変わっている。
人間サイズの猫たちは、あくびをしながら塀に腰掛け、福有を見下すようにしている。
「最近、多くないかぇ?」
片方の紅蓮の炎を思わせるような毛並みの猫が首をならしながら、もう一匹をみる。
「まぁ、食うものに困らぬのは助かるが、な」
もう一匹のこちらは、真っ黒い毛並みの猫がいう。
「しかし、あぁも脂ぎった奴らばかりだったからのぅ」
「危うく、腹を下すところだったわな」
二匹の猫はカラカラと笑いながら、まるで福有がいないように話し、笑っている。
「柳という少女の情報がいる」
猫は火車と呼ばれる化け猫であり、悪人の死体を奪っては、喰らう。悪人や死人が出るとき、その家の屋根で小躍りし、喜んだりしている。
そのため、棺桶には守り刀が入っているのだ。火車は刃物を嫌うためである。
「フン、手ずからでやればよかろう?」
「左様、左様」
ため息をつきながら福有は、壁を竹杖でつつく。
「お前らに、そんな悠長な身分を与えた覚えは無いんだが、な」
福有は話している最中も壁をつつくのをやめない、つつく音がなにか音程を取っているようにも聞こえる。
「ほ、我ら火車を脅すのか?」
「実に愉快、滑稽」
そういって、火車達は毛を逆撫でに立てて、猫のように臨戦体制にはいる。
「お望みなら」
福有が、壁を強く、叩くようについた。福有りの背後から黒いもやが突然、上がりだす。
「地獄へ送り返して、やろうか」
その声と共に福有の背後の黒いもやから、巨大な髑髏の手が現れ、火車たちの首を絞めながら、ずずっと、靄の中に引きずり混もうとしている。
靄からは、生ぬるい嫌な臭いのする風が吹き付けてきた。
「けぇ」
火車がもがくが、どうせ、髑髏の腕は離れない。ゆっくり、ゆっくりと靄の中に引きずりこまれていくだけだ。
この靄は、そのまま、あの地獄へ繋がっている。あの地獄は、普通の、地獄とは訳が違う。
いくら、火の車の車夫といわれる火車でも、たとえ仏であろうが、引きずりこまれれば二度と陽の目を見ることはできない。
人には六道というものがある。
人は死後、その行いによって6つ世界「天道」、「人道」「修羅道」、「畜生道」、「餓鬼道」、「地獄道」に行くことになる。
この6つの世界に属さず、六道からも外れた狭間にあるのが、福有のいう「地獄」であり、輪廻転生からも外れるため、再び人としても、狐狸、妖怪の類いに生まれ変わる事はない。
柳が見たあの光景に永遠に閉じ込められるのだ。
「わ、わかったから、離せ、離してくれ」
「従う従う」
火車達は怯えながら、いう。
つまらなさそうに、福有は、竹杖で再び壁をつくと、靄は消え、ドサッと火車たちは地面に落ちた。
「では、頼んだぞ」
そういうと、福有は路地裏を後にした。
あれほど綺麗な夕日が出ていたにも関わらず空からポツリポツリと雨がふってきた。おや?と福有が思う間もなく、雨は大粒に変わり、バケツをひっくり返したような大雨になる。
福有はどこからともなくお椀を伏せたような形をした「托鉢笠」と呼ばれる大きなドーム型の笠をかぶる。
托鉢笠は深く作られており、福有の顔がすっぽりと隠れるほどだ。
人混みが、まるであのときの提灯行列の様に見える。この人混みの中にも何人か、あるいは何人も人には言えない怨みをひた隠しにしているのだろう。
向こうから、かなり泥酔した酔っ払いがうわ言を、わめき散らしながら、フラフラ歩いて来るのが見えた。傘もささず、顔を真っ赤にして福有はよけようとしたが、わざとなのか酔っ払いがドン!と肩をぶつけてきた。
「てめぇ!?どこにめぇつけ、、、」
酔っ払いが福有の笠を取り上げようと笠を引っ付かんだのだが、赤い顔がみるみるうちに青くなり、二、三歩後退りをして腰を抜かし、へたりこむ。
「ご無礼」
ニタリと笑う福有。酔っ払いは、いい歳をしているのに、股間がじんわりと生暖かくなるのを感じた。酔っ払いには見えたのだ。
あるいは、深酒のしすぎによる幻覚か。
托鉢笠の中に、この世のものでない、半面が髑髏になった福有の顔を真正面から。
通り過ぎながら、死神はニタニタと笑い人混みの中へと消えていった。
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