第4話 酒場「メイソンのライトハウス」
酒場の入り口の蝶番をギイイイィ、と開くと店内を優しく照らすろうそくの炎が風に揺られ、店内の喧騒がワッと一斉に耳の中に飛び込んできた。
むせかえるような酒とたばこと汗が入り混じった男くさい匂いが遠慮なく鼻を刺激した。中央に設置されている石造りの焚き火台の近くで、リュートを力強くかき鳴らす吟遊詩人に合わせ、野太い合唱をする男たちは漁師だろうか。浅黒い肌に、たくましい腕でがっちりと肩を組み、息ピッタリに床を踏み鳴らす様子がどことなく昔のアニメでみた、バイキング達の映像と被って見えたので何となくそう思った。
トマスは僕たち家族の先頭に立ち、入り口近くのカウンタ―でホールのチーズを豪快にカットしていた店主に挨拶を交わし、暖炉そばの6人掛けの席へと案内してくれた。
「さぁさ、座って座って」
とトマスは堂々と席に着く。
こういう騒がしい場所に縁がない僕は落ち着かず、なかなか座ることができなかったが、優奈はあっさりとトマスの向かい側に座った。それを見て後に続かざるを得なくなった僕は優奈の隣に座り、優子さんがさらに僕の隣、そして、明徳はトマスの隣に座ることになるわけだが、下を向いたまま、しばらく動かなかったので、見かねた優子さんが席を譲り、明徳が僕の隣に、優子さんがトマスの隣に座る形となった。フライはテーブルの下に潜り込んでお座りのポーズをしている。
しばらくして、快活そうな給仕の若い女性が余裕のない表情と小走りで水をお盆にのせてやってきた。
「ふぅー忙し、忙し。いらっしゃい、トマスさん!
今日は珍しい友達と一緒だね。街の人?」
コン、コン、コンと手際よく水をテーブルに並べながら物珍しそうに尋ねてくる。
「おう、この人たちは家族でロックベルから歩いて旅してきたんだそうだ。息子さんが最期に海を見てぇってんで、その願いをかなえるためにな」
感慨深そうに首を縦に振りながら事情を語るトマス。
後ろめたさから目を逸らす僕と優奈。そして、恥ずかしさに耐えるように下を向いてしまう優子さんと明徳。
「あらぁ、そうだったの。気落ちするような事聞いちゃってごめんなさい。私リアって言います。何か困ったことがあったら遠慮なくおっしゃってくださいね。
あ、そうだ。ご注文は?」
不幸のあまり失意に沈んでいる哀れな家族のように映ったのだろう。まじめに働いている明るい少女の表情を曇らせてしまったことに胸が痛む。
「そうだな、アキラ、あんたは飲むだろ?」
「いただきます!」
異世界だろうと染みついた社会人としての習性は消えない。顔を上げて即答する。
「奥さんは?」
「私は結構です。子供達の前ですし」
優子さんもまた現代人らしくにこやかに、丁寧に、角が立たないように断る。
「そうかい、なら飲み物はミルク3つにビールが2つ。肉は今日何があるんだ?」
「今日はいいシカ肉が入ってるよ。ドレさんがいいの仕留めたからって、持ってきてくれてね。魚はサケとニシンがちょっとあまっちゃっててさ、もったいないからちょっと食べてってよ、安くしとくから」
「そうかい、じゃあシカ肉とサケをもらおうか、味付けはお任せで。あと手っ取り早く食える干し肉とチーズを持ってきてくれ」
「あいよ!じゃごゆっくり~」
リアは手をヒラヒラさせながら笑顔を振りまいて、僕たちの席を後にした。
「ンハァ~……
この店のマスターのメイソンは愛想はねぇが、腕は確かなんだ。なんでも街のでっけぇレストランで長いこと働いてたらしいからな。だから、心配いらねぇ。珍しくてうまい料理を作ってくれるさ」
コップの水を一気飲みし、この店について語るトマス。
「そうなんですね。それは楽しみです。
にしても、トマスさん今日は何から何までお世話になってしまって、本当にありがとうございます」
今日一日について改めてお礼を言って頭を下げる。実際、この町に着いてトマスがいないとどうなっていたことか。食べ物にありつけず家族で路頭に迷うことになっていた可能性もあったと考えると、今のこの状況は天国と言ってもいいくらい恵まれている。
「いいってことよ!
それよりも、アキラ、これからが大変だぜ。なんせ、病気の息子抱えて住めるところを探さねぇといけねぇんだからよ。生憎だが、俺の家は町外れのボロ小屋でよ、俺一人で住んでるから狭いし、病人をゆっくり休ませてやれるような上等なベットはねぇ。
かと言って、他の住民に頼んで間借りさせてもらおうにも、先立つものがないときたら、話にもなんねぇぜ」
トマスは右腕をテーブルの上に乗せ、心配と懐疑が入り混じった真剣な表情で僕の顔を前のめりで覗き込んだ。
トマスの視線は「お前、これからどうするつもりだ?」と問い詰める進路指導の教師に似ていた。トマスの納得のいく答えが出るまで、この問いから逃げることはできないのだろう。自分の回答を確かめるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「そう、ですね……
ちょっと無謀だったかもしれません。
仕事があれば何か紹介いただけませんか?何でもやりますので!」
トマスは視線を外した。腕を組み、考えをまとめて、トマスなりの提案を口にする。
「うーん……そうだな~
働き口に関しては自分で探したこともないし、紹介したこともねぇからな~
広場に掲示板が置いてあるんで、そこを見てみるといいかもしれないぜ。
何か仕事を募集してるかもしれないし、すぐに金が入る調達依頼なんかが張り出してあるかもしれねぇからな」
「ハーイ!飲み物お待ち~
ビール2つとミルク3つ……
それと、干し肉とチーズね~」
「おう、ありがとよ」
「わ~ありがとうございます~」
「あ、どうも」
「ありがとうございます」
「ァ、アリガ……」
リアがいつの間にか飲み物とツマミを運んできていた。
配膳中のリアに声をかけるトマス。
「おう、リア!いいところに来た!
誰か人手が足らなくて困ってる奴を知らねぇか?
この人が仕事を探してるんだ」
待ってましたと言わんばかりに手をポン、と叩いて勢いよく返事をするリア。
「仕事?だったら、いいのがあるよ!
ベイブおじいちゃんが手伝いを欲しがってたから。
鍛冶屋をやってる人なんだけどね。ほら、今度冒険者が来るじゃない?
その時に注文が一気に増えるから、奥さんと二人じゃ手が回らなくなりそうだってぼやいてたんだ。きっと喜ぶよ!
どうする?来たら声かける?」
そんなキラキラした瞳とワンオクターブ高い声でグイグイ詰められると断れない。
本当のことを言うと、職務内容くらいは理解してから雇用主との面談に臨みたかったけど、今はそんな悠長なことは言ってられない。
下手くそな愛想笑いを浮かべながら返事をする。
「助かるよ、ぜひベイブさんによろしく伝えておいてください」
「分かった!おじいちゃん来たら声かけるね!
じゃあよろしくね~」
リアはヒラヒラと手を振りながら厨房の方へ戻っていった。
ふと店の中央に目をやると歌は止み、漁師たちは一気飲み大会で盛り上がっていた。酒を飲み干すたびに野太い歓声が上がる。
トマスも向こうのグループに対抗してか、一気にジョッキを空にした。そのまま、空ジョッキを豪快にテーブルへ叩きつけ、ねぎらいの言葉をくれる。
「プッハァーーー……
良かったな、アキラ!ベイブのじいさんは気難しいが、悪い人じゃねぇよ。少なくとも、働いた分はきちんと金を支払う人さ。職人ってのはそういう気質の人が多いし、ガキの頃俺もあのじいさんの手伝いをしたことがあるんだ。『いい仕事にはふさわしい金を』、ってのがあのじいさんの口癖でな、ガキだからって容赦なくこき使われたが、その分大人と変わらないくらいの小遣いをもらったもんだったぜ」
トマスに合わせてビールを一口、異世界のビールは苦みが強く、木のジョッキとビールの香りが強烈だった。しかも、ぬるいためのどに絡みつき、むせかえる。
「いやー気が合うといいんだけど――
ッゲッホ!ゴッホ!!ぅぇえ~……
ン゛ン゛ンゥ!どんな仕事をさせられるんだい?」
「おっとぉ、あんま無理すんなよ。
そうだなぁ~俺の時には朝早くに炉に炭をくべたり、水を大量に汲みに行かされたり……
あ~あとはあのふいごって奴がなにせしんどかったなぁ~
炉に風を送るための仕事でよ、火が弱まるからって休ませてもらえねぇ。
昼までぶっ通しでひたすら吹き続ける。手でこうやって、シュコシュコシュコシュコな……
何度倒れそうになったことか。
人間はやっぱり空気で生きてるんだなぁってよくわかる仕事だぜ。
ありゃあ周りの空気を袋にため込んで筒を通して火に送りこむだろ。だから、俺たちが吸い込むための空気が段々なくなってくるわけだ。
生きるために必要な燃料を火を燃やすための燃料にしちまう。
だから、ふいごを吹き続けると自分が動くための燃料が周りからなくなっちまって、ぶっ倒れちまうのさ。
じいさんからもういいぞ、と言われて仕事が終わった瞬間は水よりも先に、ふいごを自分にあてて思い切り空気を吸い込んだもんだったぜ」
思い出に浸るように目を瞑りながら当時を語るトマス。
想像以上にキツイ肉体労働が待っているらしい。なにせこのトマスが倒れそうになるというのだから。
自分の安請け合いを若干後悔しつつビールをまた一口すすった。
トマスの思い出話はさらに続く。
「まぁ、慣れてくると雑用以外も任せてくれるようになるから楽しいぜ。
俺の時には定期馬車の蹄鉄の替え時だったみてぇだったから、一日中蹄鉄ばっかり作ってたんだ。じいさんもいい加減飽きちまったのか、ある日ハンマー渡されてお前がやれって作らされたのを覚えてる。筋がいいってよくほめられたもんだよ」
よっぽどうれしい思い出なのだろう、目を輝かせながら少年のように熱っぽく語る。
「そういやぁ、病気のアキノリ君はともかく奥さんと娘さんはどうするね?
一緒に働くのかい?」
唐突に話が及んでびっくりしたように顔を上げ、自己紹介だけする二人。
「!あ、優奈です」
「優子です」
指さしで確認しながら話を進めるトマス。
「ユウナちゃんにユウコさん!
二人はアキラが働いている間どうするんだい?」
「そうだなぁーどうせ暇だし、パパと一緒に働こうかな」
真横にいる僕に向かって嬉しそうにはにかみながら答える優奈。
「ダメよ!未成年が働くなんて!
私が働きに出るから優奈が明徳と一緒にいてちょうだい」
ターゲットをロックオンしたロボットのように素早く首を振り、優奈を厳しく咎める優子さん。
「なんで私がこいつの子守りなんか!?絶対無理なんだけど!」
机をバン!と叩き立ち上がりながら猛抗議する優奈。
背筋をピン!と張ったまま動じない優子さん。
周りの喧騒が遠ざかったように感じ、暖炉の中でパチパチと薪がはじけて燃える音がクリアに聞こえ始める。
「まぁまぁ、落ち着いて。まだ僕がそこで働けると決まったわけじゃないから……」
「そうだぜ、アキラの仕事が決まって、住むところも落ち着いてから、また話し合えばいいじゃねぇか」
男二人で冷や汗をかきながら必死にその場を収めようとする。
「……フン!」
不本意そうに席に着く優奈。
勝負はお預けとなったようだ。ぜひとも後ほど二人っきりで決着をつけておいてもらいたいものだ。レフェリーは遠慮させていただこう。
「アキラさーん!おじいちゃん来たよ!」
僕はリアの声に縋るように返事をした。
「助かったよ、リア!今どちらに?」
リアはカウンターを指差して、僕とカウンターを交互に見ながら話す。
「カウンターで今店長と話してるひげ生やしたおじいちゃんがベイブおじいちゃんだよ。ちょっと耳遠いから大きい声で話しかけてね」
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