第3話 最初の街『ベッヘレム』
丘を下って町の近くの街道を歩くころには、日は高く昇り、風は止み、明は額にうっすらと汗をかき、しっかりとひざ下まで覆うブーツの中は熱い汗の蒸気で満たされていた。
優奈が言っていた通り、本当にブーツはしんどい。
そして、出発前でこそ、そういった類の文句タラタラだった当の優奈はと言うと、町を見つけた途端、
「テンション上がってきた⤴」
らしく、そのままフライを引き連れて道中を先頭で歩き切ってしまった。その少し後ろに僕、明徳、優子さんの順番で微妙な距離感を保ったまま、縦一列でここまでたどり着いたのだった。
馬車での移動が一般的なのか、草を切り拓いて作られた凸凹した街道の端には細い車輪の後のようなものがうっすらと見える。
街道を歩き始めたとき、道の両端はうっそうとした草原が広がるばかりだったが、段々と畑が見え始め、町の入り口が遠くに見えるくらいの距離まで来ると、白い柵で仕切られていた。
「こんにちはーー!」
少し離れたところに誰か農家の方がいたのだろうか、ここからは見えないが、大きな声で手をブンブン振りながら、誰かに元気よく挨拶をする優奈の元へ慌てて駆け寄ろうとする。
よく言葉が通じるか分からず、友好的かどうかもわからない他人によく話しかけられるものだ。ある程度やりとりのシミュレーションをしないと他人に話しかけられない父親とはえらい違いだ。
「ぁあーい!こんにちはー!」
良く通る低い声が返ってきた。手に持っていた鍬を地面に突き刺し、首にかけたタオルで汗を拭きながら、わざわざこちらにゆっくりと手を振ってくれるのを見て一安心。この世界で言葉が通じることを確認できた。
顔はあまり見えないが、毎日外に出てこんがり焼けた小麦色の健康的な肌に白い歯が際立ってより白く見える。
「どこから来たのーー?」
「さいたまーーーー!!」
農家の男性は小首をかしげたので、優奈は息を吸い込んでもう一度、一文字ずつ大声で叫ぶ。
「さ・い・た・ま・け・ん!!!」
「やめなさい!ここの人に埼玉県なんてわかるわけがないだろ」
埒が明かないと思われたのか、農家の男性がこちらに歩み寄ってきてくれた。
近くで見ると、僕よりかなり若い。30代前半くらいだろうか。
たくましい健康的な体つきに、人のよさそうな笑顔で走る姿は実年齢よりさらに若見えし、どこか青年じみていた。
「すまんねぇ、よく聞こえなくて。しかし、歩いてこの町に来る旅人は珍しい。最寄り街の【ロックベル】から馬車を使ってでも2日はかかるってのに」
息を切らしながらも笑顔を絶やさず、あまりにも愛嬌たっぷりに大きな声で話してくれるので、さっきまでほんの少しでもこの人に警戒心を抱き、疑いの目を向けていたのが申し訳なく感じてしまう。
「いやぁ~そうなんですねぇ!
家族そろって初めての旅だったので、色々大変でしたが、ここまでたどり着けて良かったです!
ちなみに、ここは何という町なんですか?」
お詫びにこちらも最大限の愛想笑いで対応する。
「ここは【ベッヘレム】の町だ。
自分で言うのもなんだが、こんなシケたところに嫁子供を連れてくるとは相当な変わり者だ、旅芸者だとしたら商才がねぇ。まさか夜逃げかい?」
腕を組みながら、ただでさえ低い声色をさらに低くして問い詰めてきた。
つい浮足立って、迂闊なやりとりをしてしまった。警戒を解かなければ。
「実はうちの弟がね…
あ、ほら、後ろの方でお母さんと一緒に歩いてる男の子が弟の明徳なんだけどね、その弟がもう長くなくて……
ほら、なんか足取り重たくて陰気そうに下ばっか向いてて、今にも死にそうな顔してるでしょ?
だから、せめて最後くらいはきれいな海が見えるところで看取ってあげようってことになってここまで来たんだ。
病気になってからあんまり外を歩いたり、自然に触れるとかも長い間できなくなっちゃってたから、思い出作りの意味も込めて歩いてきたの。
いやぁいい旅だったなぁ~
あの子も久々にいい顔してたし」
優奈の嘘は、弟を哀れに思う姉の表情でコーティングされ、瞳を潤ませた涙のベールで包まれて完璧に固められていた。
「そうだったか……
いやぁ、すまないねぇ。そんな辛い境遇の中、せっかく来て下すった旅の方を疑っちまって。
何もないところだが、うーん、だからこそ静かで、最後の時間を家族水入らずで過ごすにはいいところだと思う。ゆっくりしていってくれ。
そうだ、お詫びに町を案内させてもらえねぇか?
何せ、生まれ育った町だ。ここのことならなんでも分かるぜ」
農夫の男性も腕をおろし、同情と憐みの視線を向けながら、申し訳なさそうに弁明し始めてしまう。
しかも、実にありがたい提案をしてくれた。
初めて異世界を家族で渡り歩く鈴木一家にとってはまさに渡りに船だ。
「よろしいのですか?とてもありがたい申し入れです。あの子もきっと喜ぶと思います。失礼ですが、お名前は何というのですか?」
優奈師匠を見習い、子供が諦めていたおもちゃを買ってもらえるとなったときの「ほんとにぃ!?」の表情をイメージしながらパァッと顔を上げる。
「トマスだ、あんたは?」
武骨で分厚い皮膚の手が、がっしりと握手を交わしてれた。
「アキラといいます。どうぞよろしく」
この瞬間から、明徳は肺結核を患う気の毒な少年となった。
トマスはかいつまみながらも日が暮れるまで家族に町の案内をしてくれた。
「ここは市場だ。新鮮な魚が食いたきゃ早起きすることだな」
「最後の晩ご飯は明徳の好きなものたくさん作って食べようね!」
「……」
「ここは酒場。ここに来る旅人は大抵ここに入り浸っちまう」
「明徳まだ未成年だけど、最後にお酒の味を知っておくのもありだよね。神様も許してくれるよ、だって最後だもん」
「…………ッチ」
「ここは教会だ。神父様はもうだいぶご老体で、俺が生まれる前からずっとこの町の教会を守り続けた立派な人だ。だから、多少ボケちまってるのはご愛嬌だな」
「立派な神父様にお葬式してもらえそうでよかったね!いつ死んでも大丈……ぶッ
痛ッ!!」
(やめなさい、明徳)
小石を投げつけた明徳を優子さんが小声で注意する。
「ここが港だ、基本地元の小っせぇ漁船しか停泊してねぇが、たまにでっけぇ軍艦が寄港することもあるぜ」
「骨を海にばらまく見送り方もあるって聞いたことあるな、ロマンチックでいいよね!」
「…クッソいい加減に…………ングッ!」
掴みかかろうとする明徳を優子さんとともに必死で抑える。
(耐えろ、明徳ッ!耐えるんだ!)
「どうした?体にでもさわっちまったかい?」
トマスが心配そうにこちらを見つめる。
「大丈夫です、大丈夫です。初めて見る景色に興奮しちゃって。軍艦まで見れたらいい思い出になっただろうな~明徳ぃ」
トマスの表情が元の明るいものに戻り、ほっとする。
「おうよ!まさにお祭り騒ぎよ!入り江に入ったときには灯台の鐘を景気よく鳴らしてよ、それを聞いた時には住民総出で係留やら荷降ろしやらを手伝って、宴をやるのさ。
そうやって町で金を落としてもらわねぇとこの町は小麦が買えなくなって一瞬で干上がっちまうからな。
だから、船が来るのを楽しみにしててくれよ、坊主。
そしたら、坊主のために盛大な旅立ちの宴をやろう、俺がみんなにかけあってやるからよ!」
トマスは心底祭りが好きらしい、他の場所と違いおしゃべりに熱が入っていてジェスチャーも大きかった。
「んで、ここが町長の家だ。今は留守で都に行ってる。何でも近々、勇者の一行がここに冒険に来るらしくてな。その旅についていく冒険者を大々的にこの町で募集するらしいから、それについて話し合いに行っているんだそうな」
トマスは本格的にガイドらしく「右手に見えますのが~」のポーズをとりながら、意外なワードを交えて町長の家を紹介してきた。
明徳の話ではRPGの主人公・いわゆる勇者として転生し、特別な力で世界を救うのが転生者としての使命ではなかっただろうか。この世界に勇者が既にいるとなると私達家族はこの世界で何をなせばよいのだろう。
「勇者とはどのような人なのでしょうか?」
疑問を解消すべく質問を投げる。
「俺も詳しくは知らねぇんだよ。なんか魔法みたいな特別な力を持ってるってことくらいしか」
魔法……
やはり存在しているのか、この世界では。ただ、一般の人間には普及していないらしい。特別な力という言い方から察するに特定の一族や部族などだけが使える限定的なものなのだろうか。
明徳も少し興味が出てきたのか、先ほどまで不機嫌そうだった表情が明るくなった。
優奈と優子さんは興味なさそうに押し黙っている。
「なるほどですね。その勇者が行う冒険とは?」
「それについても、あまり詳しくは知らねぇ。俺はこの町を出たことがねぇからな。
ただ、冒険者として勇者の手伝いをして冒険を成功させれば、結構な額の報酬金がもらえるって話はしってるぜ。なんでも、一回の冒険で家が一軒建つっていわれてるくらいだからな。だから、冒険者ってぇ仕事は人気があってよ、全国各地からツワモノやらゴロツキやらが集まってくるらしい。この町ももうじきそういったやつらでにぎわうだろうぜ」
今日来たばかりのよそ者にとってはあまりうれしい話ではないが、田舎暮らしで刺激と娯楽に飢えているトマスの目は輝いていた。
「トマスさんも参加されるおつもりで?」
「いや、命が惜しいし、時期的に畑を空けるわけにもいかねぇから遠慮するつもりだ。滅多に来ない、よそ者どもとただ酒をあおりたいだけさ。なんせここに住んでたらそれくらいしか楽しみがねぇからな」
自虐的な笑みを浮かべつつ、鼻をかくしぐさをするトマスはどこか初々しい少年のように見えた。
「おっとぉ、忘れるとこだったぜ。ここがラ・メゾン・ウンディーネだ。
ここを建てたボンクラメガネ曰く『海を愛でる者たちが募る楽園をイメージしました』らしいぜ。
まぁ要するに、どこぞの貴族が自分たちのために建てさせた、ここに不釣り合いな高級宿屋だ。高すぎて住民は誰も泊まれやしねぇ。おまけにこいつをおったてるために必要な土地を住民から奪って賄ったんだから、質が悪い話よ」
異世界住人の社会事情は割と現実でもよくある話だった。田舎町のリゾート開発と地上げの横行、それに対する地元住民の不満が募っていっている、といった感じだろうか。
『ラ・メゾン・ウンディーネ』なる建物の柱に唾を吐きながら紹介するトマス。
確かに名前負けしていない立派な門構えで夕焼けの光を真っ白な大理石が反射し、建物は黄金色に輝いていた。きっと中はこれでもかというほど豪華な装飾が施されていて、芸術に富んだインテリアにあふれているのだろう。
すぐ隣に風化してボロボロになってしまっているレンガ造りの一階建て平屋が並んでいるのを見るに、あまりこの町には馴染んでいない感じがする。
「さて、一通り回ってみたが、他にどこか行きたいところはあるかい?」
トマスは立ち止まり、クルッと家族の方に向き、尋ねてくる。
「いや、大丈夫だ、助かったよトマス。みんなは?」
「いえ、トマスさん遅くまでありがとうございました」
「トマスさーん、ありがとね」
「…ァリガトゴザイマシタ」
「ワン!」
家族全員の合意が奇跡的に取れた。
「ハッハッハッ、ワン公までありがとな。また困ったことがあったらいつでも声かけてくれ。それじゃ、俺は飲みに行ってくるわ。
そうだ、アキラ!あんたも来るかい?」
豪快に笑いながら、自然に酒の席へ誘うトマス。
もう今日一日歩き回ってクタクタだが、食事にありつくには越えなければいけない最大のハードルがあった。
「行きたいのはやまやまなんだけど、実は……」
目を合わせていられず下を向いてしまう。ただでさえ、息子が病気だと偽って親切心に付け込んで今日一日、案内をさせてしまった上に、こんなことをお願いするのは本来なら気が引けるどころの騒ぎではなかった。
だが、どうしても言わなければならない。それが欲しい、と言わなければならない、それがなくては食事も宿もどうにもならない。自分と家族の生活のためにもプライドやら良心を捨てて懇願しなくてはならない。
目を瞑りながら、一息で吐き出すように言葉を紡ぐ。
「実はお金が全くないんだ!
申し訳ないがいくらか、貸して欲しい!
今晩の食事代だけでも恵んではもらえないだろうか!」
目を開けることはできなかった。そのまま、祈るように返事を待つ。
「なんだ、そんなことか。だったら、今日みんなで一緒に酒場へ食いに行けばいいじゃねぇか。おごってやるよ」
あまりにあっさりと承諾されてしまったので、ガクッと崩れそうになってしまった。
夕日を受けて伸びる、トマスの大柄な影が家族を優しく包む。
今はその影の中だけが安寧の地なのだ――
そう思わせるくらい分厚くて、濃い、大きな、頼れる漢の影だった。
そこからはみ出ないように僕たち家族はベッヘレムの町を酒場目指して歩き始めた。
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