第2話 アリのすみか

外へ出るとそこら中燃えていた。この当たりは木造の住宅が多いせいだろう。

目に煙が染みた。

が、年のせいか涙はあまり出ず、代わりに視界が霞んだ。

後ろを振り返ると15名強の兵士が俺の後をついて来る。

こいつら、とんだ救助隊員だな。

中には子供や老人を背負っている者、けが人に肩を貸している者もいた。

川へ近づく。

が、川岸に生えている低木や雑草も白い煙をプスプスと上げて燃え始めていた。

耳の調子が戻ったらしく、自分や他の人の咳き込む声を聞く。


木材と違い水気を含んでいるせいで、ますます息が苦しい。

俺たちはできる限り屈んで進んだ。

川の近くは風の動きが読みやすい。風上へ行くと焦土になっていた。

火は自分で宿を食いつぶし、死にかける。


ワイパー!

けが人を二人も担いだ大柄な兵士が俺に呼びかけた。

「なぜこんな住宅地が狙われたんだ?」「戦争相手だからだよ」

ふたりとも声が掠れていく。水を飲まなければ。

「ここに兵舎はない」「家がある程度燃えれば、そんなことは誰にも確かめられない。在った、と主張できる。現にあんたらがいるとなれば…」

兵士はうなずいて、また質問した。

「ここはさらに空襲されるとおもうか?」

俺は首を傾げた。「爆弾が余っていれば。」

その時、兵士が右腕に抱えている方のけが人は、首をガックリと垂れているのに気がついた。明らかに死んでいる。もう片方の腕にいるやつは、男のくせにガタガタ震えていた。よく見ると肉屋のケントだった。こいつは昔からしぶといくせに臆病なのだ。

「例えば川沿いの街を焼き払ったあと、逃げた者たちをダメ押しで殺したいなら川に爆弾を落とすかもしれない。ただ…」


子供の頃、俺より3歳年上のケントが立派な蟻塚を見つけた。まさにこの川の河原のどこかで。

柳の木陰に子供の膝よりも高い砂の小山があって、てっぺんで出るアリと入るアリが渋滞し、白い砂が見えないほどだった。

俺は手で川の水を救って、こぼしながら蟻塚に登った。渋滞しているアリたちに、水爆弾を投下する遊びだ。ただし、何匹か頭の動きがおかしくなっただけで、すぐに巣穴の動きはもとに戻った。多分水が砂の間を流れていったのだろう。

ケントはもっと効果的な攻撃をしていた。川によくある平たい小石を集めては、それで穴を塞いだ。アリはその脇にまた穴を作る。その穴の貫通が終わると、ケントは両方の穴を塞ぐ。


そういうことを延々と繰り返して、ひたすら無駄な仕事を増やしていた。俺はあれを見て以来、アリを虐める遊びを卒業した。(もしかしてその夜自分の膝が腫れたせいかもしれない。そういえばすべてが燃えてしまったわけだが、俺はハーフパンツやビーチサンダルを持っていなかったっけ…)

あのときのケントの思考で行くと、空襲したものはアリ…住民が再建した町を再び壊すのではないだろうか。

兵士は既に亡骸とケントを地面に下ろしていた。生水を掬い取りながら、飲まないべきか考えを巡らせている。

俺は川で喉を潤すと、彼にケントがアリにさせた無為な仕事の話を聞かせた。兵士は救った生水を川へと戻し、口にしなかった。


全員気力を失っていた。俺たちは河原にへたり込んで、白い服を着ていたものは、それを脱いで飛行機へ降ってみせた。白旗だ。兵士たちはぎょっとしたが、手遅れと思ったのか咎めもしなかった。

怪我をしていない子どもたちがそれを真似した。

消火を行う気概を見せた者はいなかった。火勢が強く、殆どの家が新しく立て直すほうが早いと感じるほど焼かれていた。

俺は腹を下してぶっ倒れた。生水のせいだろう。

やがて飛行機が遠ざかっていく音がした。腹の痛いとき、遠くの音がやけに近くに感じられる。俺は痛みから気を紛らわせようと、飛行機に連れ立つようにその空気を裂く音へ耳を澄ませた。

遠くの空が薄暗く、星が光っているところを想像した。真上の空は燃え残りを映して赤い。

真夜中になって火はあらかた消えた。雑木林は丸裸になっている。街の生き残り全員で河原で野宿することになった。

焼け残った家屋の物陰で用を足すしかない。まだ気分が悪い上、立ち上がると焼けた木材の下敷きになっている室内犬の足に俺の糞尿がかかっていた。


兵士の中にも体の弱い者がいるらしく、常備薬を一回分分けてくれた。「わたしはシェル。先に行っておくけど、胃に問題を抱えていて、あんまり長くないと医者に言われた。つまり、子供が産めないから、軍隊へ志願した。」

それまで散々尋ねられたせいで、彼女は決まりきった答えを用意することが習慣化していた。

「あんまり詮索しないようにするさ。素晴らしい薬をありがとう」

兵士たちは手持ちの携行食料や毛布を女子供に提供して、自分たちは地面にうずくまって眠った。俺は腹の痛みが収まってウトウトしたが、おそらくこの隊の隊長が燃えていくところを、燃え尽きるまで見守る夢を見た。

隊長はシェルの兄貴だと気がついた。

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誰も助からないなら、みんなで地獄めぐりしませんか... Heater @heataeh

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