わかれ道

境内から出ると、細い下りの道に出た。右手が開けており、大通りと線路を視界にとらえて進む。


山陽線の黄色い電車が自分のさらに先を行く。


数秒ほどでその道の先端へたどり着く。そこで左に視線を遣ると、天へ続くと見紛うほどの長い階段が現れた。


自分は、岡山行きの黄色い電車や往来する車が走る音を背にその階段を登っていく。その階段の両端には白い漆喰塗りの建物が林立している。まるで江戸時代にタイムスリップしたかと錯覚してしまう。


段々、電車と車の音が小さくなっていく。自分は、電車の音が完全に聞こえなくなった時に後ろを振り向く。そこにあったのは、自分が歩いてきた道。幼い時に見たアニメ映画のような路地であった。


そこを吹き抜けた風が自分の髪を揺らすと同時に、ポケットの中のスマホも揺れる。それを取りだして確かめると、父からの電話であった。


面倒くさいので切ろうと思った。しかし、そうしてしまうほうが後々面倒くさそうなので仕方なく出ることにした。


自分は道なりに沿って歩きながら、想像以上に重い右手親指を動かして電話に出た。


『何を考えているんだ。お母さんから聞いたけど、学校にも行かず。どこにいるか早く言いなさい。』


「無理。言いたくないから。」


自分がそう返すと、電話口から大きなため息が聞こえてきた。


『いつも言ってるじゃないか。行動を伴わせろと。将来にしたいことを言っていたが結局それに向かっているようにも見えない。更に最近は体調が悪いと言っていたのに遅くまで起きていたり。ちゃんと考えていないとしか思えない。』


ふざけるなと思う。一方的に自分が話したいことだけ話して。5か月前には「遅くまで起きるのは効率が悪い」と言ったら真剣さが伝わらないと言われた。


そうかと思ったらここ数か月で体調を崩して「体調が悪いなら体調が悪いなりに早く寝たりしろ」と。


矛盾しているのだ。何が言いたいのかわからない。真面目に話を聞いてきたから損した。真摯に歩み寄った結果が「やらせてみて失敗したのはあいつのせいだから説教してみる」じゃあ割に合わない。


『おい、聞いているのか!そもそもお前はお父さんの気持ちを考えたことがないだろう。今だって仕事中に時間を削って話してやっているんだぞ?』


押しつけがましい。別に話してほしいなんて誰も行っていない。もうこの電話のために言葉を浪費するのが勿体無く思う。いつもこいつは自分が言いたいことを言ってみるだけにしか見えない。


「もう疲れたよ。あんただって自分の気持ち考えたことないでしょ?」


『そんなわけがない。お前が辛いことも嬉しいことも全部わかってる。足音と息遣いでわかるんだよ。』


嘘を吐くな。ならなぜこれまでのような、さっきのような台詞を吐くことができるのか。


「あんたは何もわかってないよ。自分がそう感じてるんだから。3日前にあんたが言ったでしょ。『俺がなにも成長していないと感じたんだからそうなんだ』って。自己中心的な理論だよ。でもお前が言った理論がお前に適用されないのはおかしいでしょ?」


電話口から拳を何かに叩きつける大きな音が聞こえてきた。


『もういい。話を聞く態度じゃない。』


いつもこうだ。そっちが先に話を切ってくるくせに後からそのことをぐちぐちと言ってくるんだろうな。こんなしょうもない電話はさっさと切ってやろう。


電話を切ってもなぜかすっきりすることはなかった。寧ろ何らかの化学反応で、心に溜まっているわだかまりがさらに溶けにくい物質に変化してしまったように感じる。


そんな電話のせいで景色を見れていなかったが、進むうちにガラッと景色が変わっていたようだ。


これまでの白タイルや石畳ではなく、コンクリート造の道である。じめじめとした薄暗い路地だ。


個人経営の博物館、巻き癖がついてくるくるになったチラシ、穴だらけの状態で立てかけられているラーメン店の旗。


今の気分と合わせて、この路地はさらに不気味の巣窟と化す。こんなところはさっさと抜けてしまいたい。自分は気を紛らわすためにあえて手を大きく振ってスキップで進む。


あえて周囲を見ないように進んだため、余計なことばかり考えてしまい、時間と道のり以上に長い道だと感じる。

そんな道を抜けると少し広い場所に出た。ここは千光寺へと続くロープウェイ乗り場らしい。


平日だからか、順番待ちの列が短かったことが好都合だ。すぐに片道だけのチケットを買い、エレベーターに乗ってロープウェイ乗り場に辿り着いた。そこで数分待ってから、到着したロープウェイに乗り込む。


ロープウェイに乗り込んで2、3分ほどでロープウェイは、山頂に向けて動き出した。平日だから当然と言えば当然だが、中身はガラガラである。


ロープウェイの窓からは、尾道水道を走る船や寺院に住宅街。そんな情緒豊かで美しい街を見て気を紛らわそう。


『尾道の象徴的な寺、千光寺。左手に朱塗しゅぬりの本堂と、右手に竜宮づくりの鐘楼しょうろうがございます。』


そんなアナウンスが流れるが、景色に集中してしまった自分は断片的にしかとらえることができない。


景色に集中していると、すぐに山頂に到着した。


自分はすぐに乗り場から出て正面の階段を上った。すると、奥に銅像のある円形の広場が現れた。そして、その周りには蜷局を巻く白蛇のような螺旋階段が天に向けて聳える。


直ぐにその階段を上ってもよかったが、この旅中で手持ちの水分がなくなってしまっていることに気づく。そこで、奥にある売店で水分補給をすることにした。


円形広場を抜け、売店に入りメニューを確認する。


ここは瀬戸内海に面した街というだけあってレモンを使ったメニューが多い。レモンを前面に出しているということで、レモネードを頼んでみよう。


「レモネードを一つお願いします。」


「はい。少々お待ちください。」


そんな会話をした後、数秒でレモネードが出てくる。そのレモネードを持って売店を出る。自分はレモネードと共に白い螺旋階段を登り始める。


その白蛇の背を登る。登り切った先には、地平線の先まで山が広がっていた。その山々を目に、レモネードを飲みながらゆっくりとそこを進んでいく。その端まで行ったところで景色を背に、エレベーターに乗って地上へ降り立った。


景色はきれいなはずなのに、淡々と進んでしまう。電話のことも相まって不安感が大きくなる。自分はただ淡々と進むしかなかったのだ。ただ千光寺に向かうしかない。


ここから千光寺に向かうには文学の小道を通っていくらしい。そこには文豪たちの言葉が刻まれた立て札が林立していたが、それを見ながら進む気にもなれなかった。こんな自分の気持ちに対して、木々の間から照り付ける太陽はあまりにも皮肉なものであった。


でこぼこした道を抜けると、風光明媚ふうこうめいびな眺望と、朱塗りの本堂が現れた。


こんな思いで燻っていてもしょうがないのだからさっさと参拝を済ませよう。


自分は流れ作業のように賽銭箱に五円玉を入れ、合掌し、祈る。


寺院では来世の幸せのために祈り、神社では今世の幸せのために祈る。そんな簡単に言うが、実をいうと幸せという概念が分からない。


学校に行って学び、三大欲求が十分満たされているというのに幸せだと感じられない。


何かが、いや、何もかもが足りないように感じる。


決して希望がない訳では無い。でも、希望を持ってもすぐに突き落とされるなんてこともわかっている。


いつもそうだった。何度も、何度も、そしてまた、突き落とされて苦しむことになると分かっている。


何度も突き落とさないでくれ。するなら一度でトドメを刺してくれ。何度も苦しいのは嫌。一縷の望みが残されるからまた頑張りたくなる。


本当のどん底まで突き落とされたらもう頑張る気もわかないだろう。だからどん底に行きたい。痛みの数だけ強くなれるは実に虚構で、子供だましな言葉だ。


ならば、『死んだらどん底まで突き落としてよ』。こう祈るとしよう。


もう全てが分からなくなりそうだった。心の奥に沈殿する後暗さが吐き出せない。


こんなものは逃避行でもなんでもない。本当はわかっていたのかもしれない。


こんなもの、どうせすぐ終わる子供の悪戯でしかないと。でも逃避行のつもりでいたかった。


これからどうしようか。もう今日は終わろうとしている。ここから駅まで向かいネットカフェの住人にでもなってやろうか。いや、それはできない。高校生はきっと時間制限があるはずだ。


そうとなればもうどこでもいいからホームレスとして、愚かな高校生を演じて食いつなぐしかないのか。


でも家族が警察に捜索願を出したら?きっと、浅はかな自分では逃げ切れるはずがない。結局逃避行などできないのだ。そんなことに気づいてしまった。


こんなことをして、もう元いた場所には戻れなくなると自覚する。さらに突き落とされた気持ちになり、自然と歩幅が狭くなった。


取り敢えず尾道駅まで戻ろう。歩幅は狭く、ゆっくりと向かう。


行きはよいよい帰りは怖い。それを実感する。生きと違うように見える帰りの景色を実感する暇もなかった。


気づいたら行きと違う道を通っていた。行きの時には見なかった小さな銭湯に出会った事がその証明だ。


この旅で汗もかいたことだし、風呂に入って汗を流そう。そう思い湯煙のマークが描かれた黒い暖簾をくぐった。


靴と靴下を脱いで靴箱に入れ、そのまま受付へ向かう。そこで500円を払ってタオルを借りて浴場へ向かった。


ここは穴場なのだろう。ほとんど人がいない。いても片手で数えられるほど。全く気にならない人数だ。


そんなことを考えながら、暖簾をくぐった先の脱衣所で一番端の荷物入れを確保した。そして、すぐさま服を脱いで浴場に入った。


石畳の美しい床と白大理石の壁。そして、大浴場。すぐさま湯船につかりたい思いを抑えて自分はシャワーを浴びて汗を流す。


そして汗を流してから、水飛沫を上げないように慎重に湯船につかった。月並みだが、まさに天にも昇る心地だ。これまでの心身の疲れが取れていく。


このようにゆっくりと風呂につかるのは久しぶりだ。風呂とはただただ体を洗い流すだけの作業であったはずだからだ。だが、長風呂に慣れていない自分はすぐに湯船から出てしまうことにした。


脱衣所に戻ってから体を拭いた。春のこの時期は湿度が低いのですぐに体を乾かすことができた。そして、着替えをもってきていなかったので先程と同じ服を着た。その状態で脱衣所から出て、すぐ横にあるマッサージチェアに腰かけた。


先程の入浴と合わせて、これまでの疲れが取れていく。その状態で、意識がだんだんと遠のいていく。


目が覚めると、もともと少なかった人は、一人もいなくなっていた。眠ってしまっていたようだ。どうやらもう夜遅いのかもしれない。


誰もいないそこにはなぜか、心の中に一つの事を成し遂げた後のような虚しさだけが残っている自分がいた。


そんな中で


「もう、帰ろうかな。」


と、自分は呟いた。


完全に無意識から出た発言だった。なぜかはわからない。なぜなら自分は周囲が大嫌いでここまで逃げてきたのだから。ただ、無意識のうちにこれが出ることは深層心理ではこのような思いが渦巻いているということなのだろうか。


帰ってみようかな。もう他にすることがないなんて知っている。自分の気持ちの変化に驚きながらも、マッサージチェアから立ち上がって出口へと歩き始めた。


「ご利用ありがとうございました。」という受付の人からの声に軽く手を上げて答え、靴と靴下をはいて外に出た。自分はふと空を見上げる。そこには雲に覆われて見えない星の見えない空が広がっていた。そんな空模様のもと、自分は尾道駅に向けて歩き出した。


たくさんの人に迷惑をかけたのかもしれない。それは、気が向いたときにでも謝罪し、行動で取り返せばいい。そうしていこう。


周囲が大嫌いなことはなかなか変わらないだろう。でも、これまで誰かと向き合うことは少なかったかもしれない。なら向き合っていこう。そうしていこう。


ここまでの旅を終えて、やはり自分が思うのはこうだ。


綺麗事が嫌いだ。


ただ、それでも一つ、綺麗事を言うとすれば翼が欲しい。


その翼を得るために進んでいく過程こそが逃避行になるはずだから。


誰も自分を知らない場所へ行きたい。ただそれだけの逃避行は続く。


舞台を変えるだけ。それだけだ。


もう、帰ろう。


帰路(完)

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帰路 貴利々凛 @Kiriririnn

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