平和か戦争か〈7〉

 この場の視線全てがアデライザへと注がれる。たった今、酒や水を注いだ従者でさえ、動きを止めてしまう。


 ただでさえ、天幕に入った直後から浮いていたのである。

 これから舞踏会にでも行くかのような白を基調としたドレス。

 紅玉ルビーにも優って煌びやかな真紅の瞳。

 それでいて極端に真っ白な肌と髪は、ベッドで日々を寝たきりで過ごす病人のよう。

 そして周りの者より齢のために背丈の小さい兄より、更に一回り小さい身体。


 そんな「病床に伏せた見目麗しい令嬢」が、今まさに会話の主導権を握らんとしている事は、カールマンを初めとしてこの場の半数以上は自ずから気付いた。

「伯爵殿、如何やら我が兄上は酒精にやられて酔っておられます。此処からは私が代わりましょう」

「…そうですか、いいでしょう」


 酔った、というのは嘘である。

 酒精を苦手とするのはアデライザ嬢の方ではないか。誰もが会議の冒頭を思い浮かべていた。

 ラグナルス自身酔っている自覚は全くない。薄めた酒というのは味を感じ難いという意味で苦手であるし、寧ろ酒精の強い蒸留酒をそのまま喉奥へ流し込む方が好みであった。

 ここグイスガルドはあと1ヶ月もすれば雪が降る。そのような地域柄、身体の芯から暖まる酒精の強いものを嗜むというのはある種当然の話であると言える。


 「してカールマン伯爵。先程は慈悲ある提案などと仰られましたが…私の聞き間違いでしょうか?」

「いえいえとんでもない!確かに私はそのように言いましたとも!」

 カールマンは差し詰め新人の舞台役者のように声を張り上げて、大袈裟に手振りをする。

 それまでとは打って変わって変化させた振る舞いは、楽しんでいるようにも誤魔化しているようにも取れる。


「生き物の頭とは手足を動かすためにある、そうですね?」

「…古代の聖人は魔導の力を以て海を割っては民を導き、礫をパンに変えては物乞いに振る舞いました。ですが彼らとて頭を失えば、如何に手足があろうと満足に動かせないでしょう。それが何か?」

 イマイチ要領を得ない、と言ったように伯爵は首を軽く傾げる。

「先程の伯爵殿の提案。もし私だけがそう思うのならば幸いですが…短刀が首を切るよりも、ただ喉笛を掻っ切った程度の違いにしか思えないのです」

「それは中々独創的な発想ではありませんかな?」

「そうでしょうか?頭が無くなれば手足は動かせません。そして喉笛を切られて絶命しても、手足に血は行き渡ると申しますか?」

 

 此処まで聞けば、ラグナルスにも先の提案にどのような意図があったか分かるというもの。

 何と不甲斐ないことか。

 己の未熟さを激しく心中で謗るしかなかった。


「…少し解釈に食い違いがあるようですね。私はただ手負の狼を館にて治療しようと思っただけなのですよ」

「まあ何と恐ろしい!喉元を掻っ切るだけでなく、傷口に塩を塗ると仰いますか!」

「……大層口が回るようで。中々賢明でいらっしゃるようだ。だが口だけで世の中は渡り歩けない、そうは思いませんか?」

「ええそう思いますわ。ですから私たちは保護を求めて市壁の内へと落ち延びましょう。其処までは追ってこれないでしょう?」


 都市の空気は自由にする。

 確かに領主自体が街を管轄する城下町でない限りは、館から逃亡した隷属民を捕える事は出来ない。


「ですが宜しいのですかな?市壁の内は人間のみが生を亨けると相場が決まっていますが?」

「心弱き者に漬け入る悪魔でさえ、山羊の角や蛇の尾を修道士の如く厚いローブの内に隠せば街へと入れるでしょう。それを狼が出来ないとは思えません」

「…………人は生まれ、結ばれ、そして生を終えるもの。果たして市壁の内に同族がいるのでしょうか?」


 段々とカールマンの返答が遅れていく。

 それを見たアデライザは自身の兄よりも丈の大きい男に向かって、更に言葉を畳み掛ける。


「異類婚姻のお話だって良いではありませんか。御伽噺に違いありませんが、人の創造力とはかく素晴らしいものであると感じられますから。伯爵殿も是非ご覧になっては如何でしょう?」

「……………遠慮しておきましょう。私はあまり寿命の差がある者同士、幸せな結末へと辿り着けるとは思えない性質たちでして」

「もし同族が居なくとも、アリアならば幸福に生を終えることでしょう。夫の存在こそ求めますが、自身の生き様を心に描くだけならば一人で十分なのですから」

「………………そうですか!ならば何故アリアは夫を求めるのでしょうか?そしてその夫とは如何なる存在なのでしょうか?」


 遂にカールマンは適切に返すことが叶わなかった。

 しかし言葉を翻す事無く、嬉々とした表情と声に溢れていたのは、寧ろラグナルスにはチグハグなように感じ取れる。




「夫の名はレチタティーヴォ。そうです。二人いて初めて世界が描かれ、其処に互いの生き様が映し出されるのです」


 アデライザは舌戦の優勢を誇る事無く、教師が学生に応えるようにただ淡々とした様子で正答を発表する。

 だがすぐ側のラグナルスには机の下で、そっと拳を握るのが確認できた。

 

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