平和か戦争か〈6〉

「ヨアヒムスタルとは!旅馬車で2ヶ月以上もかかる程の遠方ではありませんか!こんな所で開けて宜しかったのですか?」

「良い酒とは蔵に仕舞い込むものでなく表に出し愉しむもの。其処まで喜んでいただけたのなら何よりです」

 ラグナルスの世辞に対しても、カールマンは浮かべた笑みを微々として崩さない。

 恐らくこういった社交辞令は慣れているのだろう、と推測する。

「ええ、十分に堪能しました。このような高価なものを振る舞って頂けるとは…景気の良い事があったのでしょうか?」

「最近魔導金属ミスリルの鉱脈が新たに発見されましてな。大分潤いましたよ」

「それは寡聞にして存じませんでした。してその調子ならば、何れは伯爵殿の城下町を数々の商会が贔屓にするでしょうね」

「何を仰いますか。ラグナルス殿の城下町も我が方と友誼を結び、栄えるのですから!」


 一瞬の沈黙。

 世間話はここ迄のようだ。


「…伯爵殿。友誼、とは具体的にどのような事を構想しているのでしょうか?」

「そうですな…。我々としては…」

 カールマンが既に空となった杯を覗き込む。

「ディメルシー鉱山にグイスガルド城、そして城下町も含めたグイスガルド北部の割譲、で如何でしょうか?」

「なっっ!?」

 その予想だにしなかった内容に、ラグナルスはギョッとして立ち上がる。

 "友誼"と言う手前、もしかしたら要求は軽いものではないかと一瞬安堵した自身を呪った。

「し、失礼した…。しかし伯爵殿。それはどう考えても無茶がすぎると言うもの…」

 ラグナルスは落ち着きを取り戻すようにしてゆるりと座り込む。


 グイスガルド侯国の税収入の内、規模を大きく占めるのが二つ存在する。

 一つはディメルシー鉱山の鉄鉱予測採掘量から得られる利益の一部を鉱脈所有者から取り立てる税収入。


 そして鉄鉱は鉱山都市ドルワからグイスガルド城下町のギョイエンヌへと運ばれる。東西南北の交通路に位置するギョイエンヌは鉄鉱を買い求める商人たちが集まってできた都市であり、ここから納められた税がもう一つの主要な収入源となる。


 この二つを失えば、グイスガルドの財政は危機に陥ることは間違いない。


「しかしながら侯子殿。我々はその気になれば、武を以て全てを奪うことも可能なのです。それを考えれば…慈悲ある提案であると、神に誓って言えますがね?」

 カールマンは両肘を机につけて、軽く重ね合わせた掌を顎の下へと持っていく。

 正に余裕綽綽といった様子を見せる。既に先の戦いで勝者となった立場であるから、それも当然といった所だろう。

「え、ええ。伯爵殿の寛大なお心遣いに因るご提案であることは重々承知しています。ですが伯爵殿。それは少々悋気が過ぎるのではないですか?」

 杯を傾ける。今は何か口でも手でも何処かを動かして焦る気持ちを抑えつけたい。

 ラグナルスとしては先の無茶な講和条件をより良いものとして纏められるか。それに傾倒していた。


「フム…。確かに神は吝嗇を罪と仰られました。私は余韻に浸り、少々自惚が過ぎたのかもしれません」

 カールマンは何の余韻かとは言わなかったが、この場にいる誰もがそれを明確に理解していた。

「ではこういうのは如何でしょうか?侯国はディメルシー鉱山を我々に譲渡する。そしてライネスブルクで産出された魔導金属ミスリルを、我が方が決定した関税に従って仕入れるというのは?」

 それならば悪くはないのではないか?

 先ほどと比べれば幾分か優しい提案であるように思える。

 勿論関税とやらの税率は詳細に煮詰める必要がある。

 だがそれさえ気をつければ問題ないだろう。

 そう考えてラグナルスは隣のアデライザと後方のエーギルへと視線をやる。

 アデライザは一瞬だけ目配せをして前へと立ち直る。

 エーギルは首を横に何度か振る。


 …この提案を呑んではならない、ということだろうか?

 だが此処で呑まねば、伯爵の心証を悪くしてしまう恐れもある。

 ――今が決断すべき刻だ。




 そう考えたラグナルスは神妙な面持ちで発言する。

「成程、それならば我々侯国にとっても幾らか――」

 不意に手元に一つの微かな熱を感じて言葉を止める。

 アデライザの手であった。

 一体何を?

 そう思った矢先、

「お話の途中申し訳ありませんが、少々喉が渇いてしまって。私の杯へ新たにお酒を注いで頂けませんか?」

 とラグナルスの言葉を遮った。

「そうですな、ほら誰か。其処のお嬢様にお酒を」

 カールマンは笑みこそ崩さないが、アデライザに対して非難するかのような鋭い視線を向ける。


 直ぐに従者が駆け寄り、杯に葡萄酒を注ごうとすると

「ああ、ごめんなさい。お酒は少々で構いませんわ。代わりに希釈の水をうんと入れてください」

 などと、従者でなくカールマンに目を合わせて放つ。

「少々火照ってしまって。お酒とは厄介なもの。強い酒精は冷え切った身体を温めるには最適ですが、同時に思考を鈍らせてしまいますわ」

「…何が仰りたいのですかな、アデライザ嬢は?」

 カールマンの組んでいた掌が腰元に解けていく。眼球に写る目前の三者から、たった一人。

 アデライザを中央に据えて、他の二人は外へと追いやる。

居酒屋タベルナで商人らが語らう時、商談を決着させることは稀だそうです。店の活気や酒精が、その場の判断を誤らせてしまう恐れがあるからです。だからもし彼らが大事ある時には必ず水を側に置きます。頭を冷やすのは大切…そうは思いませんか伯爵殿?」

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