開戦前夜〈5〉
侯子の発言を聞いても一団の表情は晴れない。その様子を見て、続けて説明を行う。
「都市の主人たる領主や都市・聖堂参事会は外部からの入来者に対して通行や滞在を認める証書を与えます。これは平時であれば都市内部での面倒ごとへの対処のために利用されます…。
「あぁ、成程。合点が行きました!つまりたった今の辺境伯領は…!」
「そういうことです。これから王国との戦争に突入すると知りながら、進路に王国を通過する馬車に対して何もしないのは可笑しいのです。普通こういった事態には人の流通を堰き止めるもの。恐らくその時は勅令が伝えられてなかったと考えられます。因ってこの仮定は辺境伯の外征準備期間が少なくとも一ヶ月未満しか無かったと取れるでしょう」
おおぉ、と感嘆の声が漏れ出す。ラグナルスが侯爵とエーギルの様子を見れば、二者ともその通りだと頷いている。
「そして準備期間がそれほど無かったということは、彼らの持つ物資も不十分なものと言えましょう。また
仮定に溢れた説明ではあるものの、そのどれもが置かれた状況から想定しうる、限りなく事実に近いであろう仮定であった。
矢継ぎ早に言葉を紡いで行ったせいか、少し呼吸が乱れた所、侯爵が声を挟む。
「――ラグナルス。未だ若人の身でありながらその優れた発想。帝国で得られるものもあっただろうことは容易に想像できる。見事であった、顛末は私が総括しよう」
ご配慮痛み入ります、とラグナルスはどっと疲れた表情を浮かべながらその場に座り込む。
そんな様子を従士達はよくぞやった、といった表情で見つめていた。
「さて、前提となる条件は全て息子の説明と相違ない。これから我々が採るべき行動を説明しよう。アバドラス平原にて陣を構え、正面から会敵。程々に出血を強いた後、講和へと踏み切る」
アバドラス平原はグイスガルド侯国とライネスブルク辺境伯領との境目に存在する。伏兵を用いるような環境は無く、寧ろ機動力を活かしやすい騎兵の独壇場になり得る場所である。
平原にて陣を構えるのでは無く、侯国にほど近い森林地帯にて待ち構えるべきではないか?
或いは侯子が記したように、城砦に立て篭もるべきではないか?
そうした意を伝えようと、体を震わせる従士も一定数存在した。
だが侯爵は機敏に感じ取り、続け様に「態々不利になるような条件」での戦闘を試みる意図を宣う。
「私が思うにこの戦は勝ち過ぎても、負け過ぎてもならない。もし我が方が圧倒すれば、帝国の主力は北部へも軍を参戦させるであろう。『帝国臣下として奮戦したものの、最早継戦は困難。然して一定の戦果を収めたり』と辺境伯に認識させる。これが肝要である」
フラスヴェールが諸侯をディジェーニュに集めたのも主戦場が国境の中部であると判断しているからであろう。
侯爵は(勿論同様の結論に至ったラグナルスもエーギルも)それを踏まえた上で、被害を最小限に抑えての講和の締結を最終目標として定めた。
「加えて
列席者たちはそれもそうかと得心のいった様子を見せる。
王国が
そして「帝国帰りの」ギデルベルト侯は治世の中で己の従士団を帝国流に改革していったのだ。
王国成立前の暗黒時代、白兵戦において一騎当千の活躍を見せた「尚武の民」たるノルデント人にとって、歩兵を中心とした戦術の採用は容易に導入を可能とした。
「さらにもう一つ付け加えておこう。昨日西南西の方角に一等星が赤く輝いた」
それを聞くや否や、従士達の脳裏にある情景が浮かぶ。
如何なる事情があったかは定かでないにせよ、遥々海を超えてやって来たノルデント人。
勇敢にして果敢たる開祖の姿であった。実際に見たわけではないにせよ、
「占星学に依れば、これは『ノルデント人に対する現在の逆境、後の栄華の約定』を指し示している。即ち我らには神がついている。それも正教でなく…」
少々心持ちが高揚し過ぎたのだろう。
侯爵は正教会より派遣された司祭の目の前で
「失礼。兎も角、我らの勝利は約束されたも同然である。出立の日時や人員は後程高官に伝えよう。では勝利を願う酒を以て本会議を終了とする!」
そして従士団の雑務担当者達が列席者に陶器の杯と一杯の葡萄酒を注ぎ込む。
平時ならば何度も使いまわせる磁器を使用するが、こちらの方が場に合っている。
「では諸君、我らに神のご加護が在らん事を!スケレール!」
「「「スケレール!」」」
王が杯に口をつけると、列席者たちも続くようにして酒を飲み干す。そして地面へと勢いよく叩きつける。
陶器が無数の破片となり、散乱する。
皆が高揚する戦意で湧き立つ中、ラグナルスはそこで何か得体の知れぬ不安を感じ取るのであった。
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