第38話 私、私は……、とにかく生きたいのです。
三月に差し掛かる頃、教会の窓から見える景色はとんでもないものになっていた。
最初は遠方に見えるローヌ川の両端に人の群れが僅かに見える程度だった。
学生たちのやきもちから始まった第二次宗教戦争は、雪だるま式に巨大化していった。
今は人の群れというよりは化け物が蠢いているように見える。
「ただでさえ食糧が不足している中、端境期を迎えて飢えた者が戦に参加しているのですね。」
「早く決着をつけてしまえばいいのに。ベルトニカはどうして動かないのですかね。」
「確かに。陸戦はどう見てもベルトニカに利があるのに、それに雇い入れた兵の士気も高いのに。このままでは……」
マリーの親戚が窓の外を見ながら、何やら話し合っている。
流石にサミラ達からの情報には限界があり、今はそういう如何わしい情報収集はしていない。
理由は、海の上の情報は流石にここまで入ってこないからだ。
それぞれが勝った、勝ったと喧伝しているが、どれが正確な情報か分からない。
ただ、一つ言えるのは——
「リスガイア艦隊が勝つまで待っているのでしょうか。勝ったという報告が入っているのかしらね。そしてノイマール領を占領後にこちらにやってくる?……そう考えるべきかしら」
と、ジュリアが言う。するとアネットも彼女の発言に賛同する。
「きっとそうだよ。だってグリトス艦隊が優勢だったら、同じようにノイマール領から援軍が来ちゃうもん。そうしたら互角か負けちゃうかもじゃん。それでも、あぁやって、遠くから魔法の威嚇射撃しかしていないのって、海戦で勝ったリスガイア艦隊を待ってるんじゃないかなぁ。やっぱり不沈艦隊は強かったんだね。」
「そうよね。……これでグリトスも終わりね。……ん?マリー様、如何されました?」
そう、一つ言えるのはそもそも有利な陸戦なのに、ベルトニカ軍が動かないのは余りにもおかしい。
海の上で大人たちが勝っていようが、負けていようが、目の前の有利を放置する意味が分からない。
「あ、ううん。なんでもないの。私、もっとよく見える部屋がないか探してくる!みんなはここに居て!」
違和感しかない。ランスロットが何かを仕掛けているのか、それともジークフリートが新開発の兵器で威嚇しているのか。
その二人が時間稼ぎをしているなら分かる。
ランスロットの未来、カルロスの未来のどちらも知っているから、新教側が動かない理由は分かる。
海戦ではグリトスが勝利するのだ。ランスロットの未来はそのままだし、カルロス王は大海を諦めて、別ルートをエメラス海に求めるのだから、やはりグリトスが大海を支配している。
(考えられる理由は、彼らが大海の行方を知らないから?……でも、本当に?もしも……、ロイが躊躇っているだけだとしたら?——いえ、全員が示し合わせてロイの成人を待っているだけで、戦争なんて最初からなかったと言い出したら?)
マリーが王の死期を早めたことが無意味になる。
ロイが法的に王位継承権を持つ王子となり、そのまま王となる。
いや、王の死期は近いのだから、絶対的な権力を持つ王となる。
万が一、五つの国が共闘してしまったら、教皇さえもあちら側についてしまったら。
敢えて、行動を遅らせた兄が、トルリアが孤立してしまうかもしれない。
「……させない。そんなことは絶対に‼」
どれだけ嫌われているかは知っている。
確かに、そう思われる行為はしたかもしれない。だけど、そうしなければならなかったから。
世界の中心ではなかったのだから。
——だから、魔女は護身用に持っていた魔法具を構える。
真っ黒のキューブが音もたてずに形を変えていく。
本来の形、細長くて黒い三日月状の竪琴。
両端から黒光りする蔓が伸びて、互いに相手を求めて上下へと手を伸ばす。
「長弓はグリトスがベルトニカを苦しめた武器。だから、グリトス側は攻撃してはいけない……」
金色の髪が風に靡き、光を失った瞳がチラリと見える。
彼女が蔓に指をかけると、黒い竪琴はフィボナッチ数列を数え始めて、複雑な模様に変わっていく。
「ロイを狙うか……。いえ、彼は総大将。戦争が終わってしまう。」
彼女が三日月部分の中央を握りしめると、それは歓喜に震えた。
そして魔女の右手と左手を繋ぐように、一本の架け橋を作る。
「では、他の兵。……駄目、一発でインパクトのある攻撃をしなきゃ。」
魔女の緑色の瞳がまだらの文様を描き、それを架け橋の一端は嬉しそうに記憶した。
「カルロス?……リスガイアは大国。撤退されたら困る。」
そして、元はキューブだった魔法具は、彼女に使われるという嬉しさから彼女の欲しい形に歪んでいく。
「それなら、貴方しかいないわね。もっと
【
その瞬間、架け橋は己が体から弾き出される。矢の形になり、何もない方向に飛んでいく。
「さようなら、先生。この中で貴方だけ、格が下でしたので。」
グリトスの神話の黒魔法。これも魔女マリーの計算である。
その矢のような何かは、一旦ランスロットの方に向かい、そこから加速して——
「ぐ……はぁ……」
アーケインの心臓を鎧もろとも見事に貫いた。
彼は誰に撃たれたか、直ぐに気が付いた。この禍々しい魔力は心当たりがありすぎる。
「殿下!殿下ぁぁぁぁ‼」
「長弓魔法⁉これはグリトスの戦術だぞ‼」
「くそぉぉぉ‼あいつら‼殿下を狙ってやがった!俺は殿下を守れ——」
側近が殿下と自分のことを呼ぶ。自分は元々王子になるつもりはなかった。
だが、突然。当時の噂通り、自分が王子になった。
あの噂が立ち始めたのは、この魔力を持つ女が住まう宮殿。
「マ……、チ……、かはぁ……」
アーケインはこのまま静観も悪くないと思っていた。
ここに合流して、ロイとカルロスと何度か話をした。
アリスの正体にロイもカルロスも気が付いていたと分かった。
枢機卿家系の彼は、バレた時点でアリスと共に歩むのは不可能だと悟った。
そして、それはカルロスもロイも同じであった。
あとはどうやって、この軍を退かせるか。あちらにどのように伝えるか。
だが、あの魔女はそれを看破していたらしい。だから、伝えなければならない。
でも、喋ることが出来ない。
心臓を穿った魔法の矢は肺を圧し潰し、大量の血液を口腔へと運ぶ。
だから、彼は側近に手で伝えようとした。
けれど、部下たちの目は憤怒に燃えさかり、その意味を汲み取りはしない。
「異端者どもめ……。黒魔法を使うとは……」
「アーケイン先生をよくも‼」
子供たちが、生徒たちがローヌ川を越えていく。全ては自分の罪。
司祭という立場を忘れ、少女に好意を抱き、還俗して人の上に立つ存在となった。
そして、そのせいで。
存在を赦してはいけない悪魔を見過ごしてしまった。
——神エメラス、どうか私をお許しください
そしてついに一月戦争、ローヌ川の戦いが始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます