第35話 私、世界の中心で男たちが戦うって、微笑ましいと思ってしまいますの。

 エメラス歴1704年1月。

 後の世で言われる一月戦争の開幕だった。

 まだ、国民感情ナショナリズムが曖昧な時代。明確な国境線も存在しない時代。

 勢力争いの国境地帯付近の領主は基本的には強大な武力と富を持つ。

 そして、時代によって主君が変わる。


「グリトスが最初に動きました。但し、パリーニには向かわず、西部の海沿いを。ベルトニカを反時計回りに占領するつもりのようです。」


 ジュリアがバロア宮に報告に来た。

 マリーはバロア宮に籠もったままだった。アリスも共にいるが、ここは直ぐには襲われないという読みがあった。


(世界の中心。フィフスプリンスの主役がこっちにはいるのよ?)


 悪役の隣に主役がいる。そんな状況を魔女・マリーは一応警戒はしている。

 ただ、今の彼女は怖くない。亡国の姫と分かった今、寧ろ彼女は自分達と同じ存在である。

 お姫様同士、ここは仲良くいきたい。


「どうして……。どうして、戦うの?あれだけ仲良くやって来たのに。」


 ただ、亡国の姫は泣き続ける。

 一つの国の中の出来事とはいえ、今の情報は一日前、もしかしたら数日前の情報かもしれない。

 それでも、彼女は思うのだろう。マリーの記憶の中にある真理の記憶では、彼女は仮初の平和を謳歌していたのだ。

 本来、その平穏は神に愛されしベルトニカのお姫様に齎されるもの。

 そういう気持ちがないわけではないが、悪夢のせいで疲れてしまった。

 今は彼女に同情しても良いとさえ、思ってしまう。


「彼らのご両親は国を背負っているの。自給自足で生きている時代なら、手を取り合うことも出来たでしょうね。でも、私たちは富を手に入れてしまった。楽しく生きることを知ってしまったの。」


 今、飲んでいる紅茶もそうだ。遥か遠くの畑で栽培されて、遠路はるばる貴族の為にやって来た。

 アリスが飲んでいる甘めの紅茶は、もっと途方もない工程が齎す甘美の味がする。

 いや、それは背徳の味である。背徳とは甘美そのものだ。


「マリー様‼ロッケン帝国の旗を見たと父から報告がありました。」


 オレンジに近い茶色い髪の同級生。アネットが駆け込んでくる。

 彼女の言葉に、一番驚いたのはやはりアリス。


「なんで……、なんでジークフリート君の家まで。」

「今、ベルトニカであっても、過去にシャール王に膝をついたとしても、それはベルトニカ王に永遠の忠誠を誓ったわけではないのよ。それどころか、前の王時代や今王の時代に不満を溜め込んだ諸侯は多い。皆、虎視眈々と狙っているものよ。」

「……そっか。私が全然触れなかっただけで、そういうことが——」

「パリーニの大学では決して学べなかったのね。あそこで学べるのはベルトニカの歴史と神学と……。うん、この国の傲慢な歴史は学ばなかったわ。」


 項垂れるアリス。ただ、その後の当たり前の彼女の疑問に、マリーは瞬間的に両肩を浮かせた。


「そうですよね。マリー様は本当に聡明な方ですね。学校では手を抜いていらしたんですね。私、そういうところも見抜けませんでした。」


 パン!と、眉間を撃ち抜かれた感覚があった。

 それは真理の記憶があったからで、と咄嗟に口にしかけた。

 だが、マリーはかぶりを横に振った。真理の記憶に断片的に残るマリーの成績は、お世辞にも良いとは言えなかった。

 但し、未来を知っての行動はした。限られた時間で情報を搔き集めた。

 その中で魔女である自分は——


「そ、そうよ。私は頑張って、自分の未来を切り開く為に勉強をしてたんだから‼」


 でも、何かが引っかかる。何か、重大な見落としをいているようにも。


(何?何だって言うの?これは私が私の為に努力して掴んだもの。だって、そうでしょ?あんな悪夢を見せられて、何もしないなんてありえないし─)


     ◇


 一月戦争で一番最初に動いたのは、いやそれを戦争の一部と見做せばの話だが、ベルトニカ王位継承予定の彼、ロイに決まっている。

 そして彼の動きを察知して、ある人物が即座に反応した。


「アーケイン先生。そこをどいてください。」


 カルロスの側近のアンリ同様に、枢機卿を多く出したマルチス家は教皇に近い存在だ。

 ベルトニカは原初派であり、現在原初派の司祭が集まっているのはアルテナス宮殿だった。

 王が呼んだのだから、アルテナス宮殿は原初派司祭で溢れかえっている。

 そして、アーケインは教皇に混乱するベルトニカを収拾させると宣誓していた。


「それは出来ませんね。この先には救いを求める者が居ます。今のロイ君からはどうしてかは知りませんが、狂気を感じます。まさか、ご自分の家族を地獄に落とすつもりですか?」

「そんなことはしない!私は陛下に過ちを正して欲しいだけ。そうですよ、これは祖父を救う手助けです!」


 アーケイン・マルチスの狙いはロイにも分かっている。

 あの法律のせいで、彼は追い詰められているのだ。あの法律のせいで、ベルトニカは平和を継続できなくなっている。


「だから、私は聖油の儀式を終わらせた。聖典によれば、私は既にベルトニカの王です。小国の王子の出る幕ではありません。」

「うーん、どうでしょうか。前王朝までは王子は王と共に聖油の儀を行い、共同統治の形で国を治めていました。成績の優秀なロイ君ならご存じの筈です。……ですが、私は司祭時代にそれは行われなかったような。」


 そう、中世時代のベルトニカの慣習はアーケインの言っている通り。だが、それはいつ死ぬかも分からない時代の話。

 いや、今でもそれが理想だっただろうが、先王や今王は男児が何人か生まれた後は、宰相や寵姫に任せて、自分は王たる姿を演じることに重きを置いていた。

 勿論、彼らは圧倒的な国力で中央集権制を盤石にしてもいたが。ただ、子供に帝王学を教えるよりは、女と過ごすの時間の方を大切にした。 


「古い話ですよ。それに私はちゃんと勉強をしていました。王としての必要な知識は持っています。」

「さて。歴史上、子が暴走して国が滅びたことが、どれだけあったでしょうか。」

「私を愚弄するつもりか‼私はただ、陛下に誤った法があると進言するだけです!」


 さて、この戦いはどうして起きたものだったか。

 フィフスプリンスの世界だったから?アリスというヒロインがいたから?


 いやいや、あの法律があったからだろう。フィフスプリンスの世界でなかったとしても、この法はベルトニカを追い詰めるものだったに違いない。

 あの学校に皆が揃っていたことも、必然ではないかと思えてくるほどだ。

 ただし、アーケインはこんなことを言う。


「あれが誤っている、と?子供たちに学ぶ時間を増やし、男女問わず社会人として認める。なんと素晴らしい法律ではないですか。……だから、ロイ君。子供は帰って大人しくしておきなさい。後は私が上手くやっておきますから。」


 だから、悪法ではないか。この国はそれを理由に辺境伯が次々に離反。近世から中世に逆戻りだ。

 グリトスも中世代の領地を次々に併呑しているという。


「あの男。よく喋る。……まだか、ベルザック」

「もうすぐです。子爵たちが兵を連れてやってきます。それにこう言っては殿下に、いえ陛下に申し訳ないのですが、時期が良かった。」


 そう、宰相ベルザックはロイの味方についた。

 彼は胃に穴が空くほど、国の安定に東奔西走してきた。

 その努力を無駄にする蛮行に、彼も激昂していた。勿論、今後の宰相の立場をロイに約束させている。

 そして彼が加わったことで、ロイは圧倒的に優位に進められるのだ。


「アーケイン!退け!曲がりなりにも、私の教師をしてくれたんだ。傷つけたくはない!」

「その言葉、そっくり返しましょう。私は貴方を祖父殺しに育てた記憶はありません。それはここに集まった司祭全員が思っていることです。敬虔なロイ!下がりなさい」


 アーケインは引けない。万が一、アルテナス宮殿に入られたら、王の生死に関係なく、彼は遺言を賜ったと宣言するだろう。

 そうなれば、巨大国家は益々増長する。既に一度、教皇を拉致したような国だ。

 周辺国から針の筵にされているくらいが丁度いい。


 いや、果たしてそれだけか。やはり、今しかないからだ。教皇のお膝元で、教皇に従う生活。

 それがイマリカ半島の小国の使命。銀山を持っていた時代ではないのだ。

 全ては、大航海時代から変わってしまったのだ。


 だから、彼は宮殿を守護する。だが。


「到着しました。殿下、いや王!」

「ってか、このバカでかい宮殿の包囲も完璧です、陛下。」


 王のお膝元は、王の臣下が領地を下賜されたところ。直轄領となっても、伯のような制度は結局残っている。

 監察役は、今も古代の伯が如き甘い汁を吸えているのだ。

 つまり、ここに集まったのはこれから先も甘い汁を吸い続けていたい者たち。

 そして、今は真冬である。つまり作物は収穫を終えて、民は仕事を失っている。

 だからこそ、大量の兵士を用意できる。これはロイの特権だろう。


「王、ロイの名に於いて命じる‼アルテナス宮殿にいる古き王を引き摺り出せ!そこの異端者は殺しても良い‼」


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