第33話 私、とても良いことをしたと思っているのですが。
世界で最も輝く街、パリーニ。
そこから馬で十分の距離にマリー・ラングドシャが住むバロア宮殿がある。
そして、そこから更に十分走らせるとアルテナス宮殿、即ちベルトニカ王とその家族、愛人が暮らしている筈の宮殿。
「お嬢様。他の王子も撤退したようです。」
最後に空いた大穴から、ルミラが外の様子を伺っているが、少し前から音は遠くで聞こえる馬のいななきくらい。
焦げ臭いが、ただそれだけ。マリーの侍従が消火活動に動き始める。
あの緊急事態の宮殿の中、結局、マリーは最後の最後までお菓子を摘まんでいた。
「さっきのって。陛下が何かを仰ったのでしょうか。」
アリスは亡国の姫、だけどその立場を自覚できていない。
やはり、マリーは目上の人、いや本当に人なのかと疑ってしまう。
「アリスちゃん。先王がお亡くなりになった時、何があったか——」
「それじゃ……、陛下は崩御なされたのですか⁉」
被せるように少女が聞く、その言葉にややイラついたマリーだが、ついに始まったという喜びで、目の前の少女を赦す。
「まだよ。まだご存命。でも、ここに美女が集まると噂で流しても、音沙汰がなかった。スラリーの姿もここ最近見えないと宰相ベルザックが言っていたのよね、ルミラ?」
「はい。あの男も疎ましく思っていたので、事細かく教えてくれましたよ。」
「そう。私の命令で酷いことをさせてしまったわね。」
「いえ、夜伽にもならない奉仕で簡単に教えてくれましたので。それにその為に私はいるのです。心を痛めてくださって、有難う存じます。」
王の一番近くにいるのは寵姫。そして、寵姫が王の異変に気付いて最初にやることは、王の直轄地からの脱出である。更に王の女たちはそれを察知すると、脱出競争が始まる。
そして、突然独白されるルミラの本当の仕事。
いや、この程度はどの国も間違いなくやっている。
つまり、五人全員がやってきた時点で決まりだった。
あそこでアリスを連れ帰れなければ、彼女の確保は延期される。大切なのはこっち。アリスは解放されたわけではない。
今、あの五人は忙しくてそれどころではなくなった、という話。
「アリス。話の途中だったわね。陛下はまだ今のところは生きているわ。聖戦による殉死だったらどれだけ良かったでしょうね。今頃陛下は何をお考えかしら。アリスのよな敬虔な信徒であれば想像に難くないわよね?免罪符だけでは到底足りない背徳の数々……」
「マリー様が仰られた通り、皇帝も王も教皇も人間、あくまで神の僕。王も人間、聖典に従えば、懺悔は一言や二言では到底足りない。今、外から聞こえる馬車の音は、パリーニ市へ……。ううん、そうじゃなくてアルテナス宮殿に向かっている。多くの司祭が王の所へ向かっている。これが王の死に方……」
「大正解!流石、敬虔な信徒アリスちゃん。そう、王ほど死を恐れる者はいない。特にこのベルトニカでは、ね。それこそ、何かに縋って不死さえ願うほどに。」
アリスは間違いなく褒められているのに、寒気が止まらない。
彼女が言っていることは正しいのに、何かが引っかかる。
「はい。元々、エメラス教は貧民に信じられていました。威張り散らかしている人間と、虐げられている人間、どちらが死後幸せになれると思うか。エメラスが再降臨された時、告げたとされる聖典の言葉です。レテン語で書かれた原本も存在し、何よりも古い記録の一つ……です。今の王は残念ながら救われません。」
「素晴らしいです、アリス様。神エメラスは生まれの差別をせず、悔い改める者全てを救うと約束された。それを根拠に後に付け加えられたのが、金持ちも救われるという教えね。」
「……財産を差し出せば、徳を積んだと見做されます。免罪符もその一つ。これは単に私の考えではなく、高名な神学の教授が指摘されたことで、当然王様の耳にも入っている。」
神の裁きを免れる為、今も王は高名な司祭を、言い換えれば弁護士を呼びまくっている。
アルテナス宮殿はベルトニカ中の司教や司祭、いや教皇領からも多くの枢機卿を呼んでいるかもしれない。
ロイであれば、早くに気付ける。アーケインもカルロスも、もしかしたら枢機卿の動きを見て察したのかもしれない。
いや、マリーの部下。ルミラの発言を考えると、ランスロットとジークフリートも情報を手に入れていた可能性が高い。
だが、やはり疑問に感じるのはマリーの言動、いやタイミングか。ここでこうなることが分かっていたかのように、彼女はバロアで王子たちを待ち構えていた。
「……真理が始まる前の私を舐めないでください?それって——」
「聖女様、そこから先は秘密です。……今まで八つ当たりしてしまってゴメンね、アリス」
マリーの愛らしい笑顔を見て、アリスは寒さを感じつつ、その先を考えるのは止めた。
どのみち国王は平均寿命を大きく越えている。息子や娘にも先立たれている。
それに、多分。
——真理という存在を、自分は分からない。
ただ、実は真理の記憶にも王の死は描かれない。マリーの言う通り王はまだ死んでいないのだから、今も描かれていないのだけれど。
そして、悪夢の中にもヒントはない。
だって、それはこの時代のマリーの本性だから。
フィフスプリンスの記憶がなかった頃、マリーがアリスを虐めていたのは、この国にある理不尽な法律のせい、それは何度も言った。
その法律がなくなれば、彼女は直ぐにでもプリンセスになれた。
更に、彼女は異端審問にかけられる直前だった。
もしも、その異端審問に真っ当な理由があったとしたら。
——素行の悪さだけで、悪役令嬢を処刑できるものか。
しかも彼女は王子の許嫁である。
フィフスプリンスのマリーはそこで終わりの筈だった。だが、彼女は生き延びた。
そんな彼女が、逃れて最初に向かった先はどこだったか。
あの時だけではなく、真理がいる以前から、マリーは王宮に出入りしていた。出入りする権限を持っていた。
だから告げ口にいったと同時に、自身が送った魔法具の所在を確認をした。
大した魔法具ではない。生命力を精力に変える絶倫王の為の些細なお守りである。
つまりマリーは、ロイの様子がおかしくなった二年半以上前から、元々保険を掛けていた。
追い詰められなければ、婚姻が危ぶまなければ、魔法具を解呪すればよいだけ。
因みに、フィフスプリンスの世界で、マリーは魔女もしくは罪人と認定される。そこで王はその悪戯に気が付く。
だから、無事にフィフスプリンスの物語は平和にエンディングを迎えられる。
「でも、他の四人はどうして?ロイ君は分かるけど、申し訳ないけど王とみんなは関係ないんじゃ……」
「関係、大ありよ。さっきも言ったでしょう?互いに爆弾を仕掛けているって。18歳になるまで子供っていう、馬鹿みたいな法律を作っちゃったのよ。……狙われるに決まってる。」
ロイはマリーを妻として扱わなければならなかった。
愛人欲求と、聖人欲求が邪魔をしてしまったのだろうけれど。
男たちに触れて、最悪の男たちだと知って、彼女は世界が嫌になった。
それが飽きたという言葉に繋がった。
「それって」
「王の直轄地の外で作戦を練っているでしょうね。きっと先の馬の中に伝達役も居た筈よ。ね、カミラ。」
「はい。私たちもトルリアに伝達馬を走らせています。魔法具はこちらに残したかったので、最低限しか持たせていませんが。……私たちが伝えなくとも、陛下なら間違えずに行動する筈です。」
何も無くとも、いちゃもんがつくのが王位の継承である。
平和に解決するには、許嫁を大切にしなければならなかった。
出来れば子供を、理想は男児を作っておくべきだった。そんな意気地のない男だから、他国につけいられる。
更に、自国の法でまだ子供扱いの男が、簡単に戴冠できる訳がない。
「ベルトニカは建国して五百年だっけ。当時の王まで遡って王の血はどこまで広がっているのかしら。」
「え……、ランスロット君のグリトスは間違いなくそうだし、カルロス君も遠い親戚。アーケイン先生のマルチス家とも王妃を招く間柄だったことも。ううん、建国時代まで遡っちゃったら、殆どの国に初期のベルトニカ王の血が広がっている。でも……」
その為に王は継承者を法で縛る。だが、それでも「俺も」「俺も」と手を挙げるものだ。
もしかすると、一部の領地を貰えるかもしれない。そうやって大カテジナは次々に領地を奪われた。
「フィフスプリンスのせいで、ベルトニカの法に亀裂が入っている。いえ、今のままでは穴が空いている、が正しいわね。もうすぐ卒業して、ロイは成人になる。そして穴は塞がってしまう。でも、今ならまだ間に合うの。歪んだ法律が生んだ穴はまだ塞がっていない。」
ベルトニカ王の死。
これが魔女マリー・ラングドシャが仕掛けていた着火剤である。
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