第19話 私、得体の知れない存在には近づきたくありませんの。
夕暮れが来る前にマリーはバロア宮殿に戻っていた。
直前までジュリアとアネットが居たが、新しく来た侍女に悪いと言って、彼女達は本来の家に帰っていった。
と言っても、かなり近くの邸宅には違いないが。
「先王ロイ十五世が築き上げた文化。寵姫政治は彼の子供たちには不評だった。実の母をないがしろにされるのだから、それは当然よね。」
「大王は戦と女の為に生きていたと、聞いたことがございます。それよりお嬢様……」
カミラが出したコーヒーを、マリーが口をつけた。
それだけで、彼女は驚いている。コーヒーが飲みたいと言ったのはマリーなのだが。
「コーヒーなんて、慣れてくれば飲めるものよ。私だって成長してるの。」
「そうでしたね。……苦難はお嬢様を成長させるのかもしれません。」
「苦難なんてない方がいいわよ。はぁ……、そんなことより、よ。ベルトニカ王国は王位継承の順序が法律で決まっているのよね。大王の息子は早世して、長男の息子が次の王、つまりシャール13世になった。そして大王を見倣って寵姫政治を行っている。その王の子は既に他界っと。」
実はどちらの王も長命であり、息子に先立たれている。まるで生命力と性欲とが結びついているように思える。
そして。
「お嬢様、何を仰りたいのですか?それではまるで……」
「その通りよ、カミラ。長命な絶倫、短命な真面目、長命な絶倫、短命な真面目って続いてるのよ?ロイはもしかしたら……」
今王の息子たちも父親のことが大嫌いだった。だから、マリーの許嫁のロイも王のようになるなと言われて育っている。
だから、彼は愛人など作らないと言った。
「って、カミラ!なんで笑っているのよ。私は危うく殺されかけたのよ?」
「それはそうです。本当に許せません。……ですが、あれだけ歴史学を嫌っていたお嬢様が、と。少しだけ嬉しかったのです。それにまだ殿下が犯人とは決まっていないのでしょう?」
「そうよ。だから、関係性を見つけなきゃいけないのよ!私は絶対に生きてやるんだから‼」
ロイが愛人を作らないという意地の為に許嫁を殺そうとした。その線は確かにあるが、今も姿を見せないアーケインも容疑者には違いない。
真理の記憶では全員のルートで、マリーは処刑されるのだ。
「彼が別の犯人の計画に便乗した可能性だってあるの。あの様子じゃ、暫くは行動を控えるでしょうけど。」
諸侯の子供たちの前で、原初派であることと、愛人を作らないことを宣言した。
大王の力で中央集権制の形が決まったとはいえ、眠っている獅子は相当数いる。
ただでさえ評判の悪い寵姫政治だ。調整役の宰相ベルザックの胃は既にボロボロだろう。
そんな彼は間違いなく、ロイに釘を刺す筈だ。
「あの……。畏れながら失礼します。その、お嬢様……」
今までジュリアが座っていた椅子にいるのは、カミラの妹サミラだ。アネットの場所にはルミラが居る。
「何?怒らないからはっきり言いなさい、サミラ」
「すみません!すみません!」
鳶色の髪が慣性でフワリと浮かぶ。いや、飛び跳ねると言った方が良いほど、何度も頭を下げる少女。
(はぁ……。兄上には私ってどう見られているのかしら)
マリーがいつも手紙を書いている相手は兄ヨーゼフである。
トルリア王国、いや彼は皇帝と名乗っているから、身内ならあの国をトルリア帝国と呼んであげた方が良いかもしれない。
「私はそんなに怒りっぽくないわよ。愚痴ばかり書いていたから、そう思われているのかしら。」
愚痴、慰めおよび助言、愚痴、慰めおよび助言、愚痴、慰めおよび助言。
成程、マリーは愚痴しか言っていない。
因みに、大カテジナが生きていた頃は。
愚痴、慰めおよび教訓、愚痴、慰めおよびお叱り、愚痴、お叱りおよびお叱りだった。
(確かに文句しか言っていないけれど‼でも、しょうがないじゃない。突然変わった法律とスラリーが悪いんだから‼)
助言を受けても、お叱りを受けても、マリーは意固地になって文句を言い続けた。
彼女が自覚しているかはさておき、真理の記憶が一番の教えになったのは間違いない。
もしくは、『フィフスプリンス』の世界という理不尽が、彼女に火をつけたのだ。
「えと……、それでは進言させて頂きます。私はロイ殿下の線はないのではないかと思います。」
「ん。その根拠を教えてくれる?」
再び、鳶色の髪が飛び跳ねる。ただ、今回は泣きそうな顔ではなかったが。
「法律と慣習です!ベルトニカ王の正妃は財産を持つ者、その中でも上位の貴族から選ばれています。そもそも平民との子供は平民扱いになってしまいますから、周りが絶対に止めると思うんです。王朝が終わってしまうんですよ!」
鳶色少女は息継ぎなしに最後まで言い切った。
こんなに一生懸命の彼女なら、ベルトニカ王国の大貴族に嫁げるかもしれない。
ただ、残念ながらマリーは彼女のキラキラと輝く瞳に、肩を竦めて応えた。
「サミラ姉、それは違う。常識の話をしているんじゃないと思う。お嬢様がそれに気付かないと思う?」
「う……」
立ちっぱなしだった一番下のルミラが、マリーの代わりに返事をした。
「ルミラ、ありがと。でもサミラも落ち込まないでね。私が見過ごしていることもあると思うから、これからも間違いを恐れず発言して欲しいの。」
「‼」
「は、はい‼」
元気な返事、そして何故か妙な空気が漂い始める。一番付き合いの長いカミラは、メデューサに睨まれたかのように動きが止まっている。
いや、一番驚いているのはマリー自身だった。そんな言葉、人生で一度も使ったことがない。
彼女が求めていたのは、いつも暇つぶしであり、つまらない話をする人間は皆遠ざけていた。
そして、この瞬間こそ語られるべきだろう。
「それにサミラの言っていることは間違っていないわ。王が気に入れば、身分を問わず妃になれた古代とは違う。小国の王であれば今でもあり得るかもしれないけど、価値ある国は相続の時に、他国からの干渉を受ける。その盾となるのが法律と慣習なわけだけど……」
——どうしてマリーがアリスをそこまで恐れるのかを
「——強引な手を使えば、ロイはアリスを王妃として迎える事が出来るの。」
「ええ?それじゃあ、やっぱり周りから咎められません?」
「前例があるのよ。それをロイが好むかどうかはさておきね。一度、小さな貴族に彼女を嫁がせるの。そして、強引にその家の格を上げていく。後は無理やり離婚させて、彼女を王妃に向かえる。」
「確か……、アンリ朝の時代でしたね。あのお嬢様が大嫌いだった歴史を……」
泣き崩れるカミラ、その姿を見てドン引きするマリー。いや、ドン引きする相手は自分自身である。
祖母から、兄から、何度も何度も勉強しろと言われている。
だが、彼女は勉強しなかった。幼過ぎて結婚と言われてもピンとこなかった、意味不明な法改正でその結婚を先延ばしにされた。
そして、この世界で彼女を脅かす存在などいないと思っていたからだった。
「ですが、お嬢様。その方法では流石に反発を招きます。あの殿下がそこまでするとは思えません。」
「そうね、ルミラ。ただし、可能性はゼロじゃないわ。国は虫食い状態になるでしょうけどね。……だから、私が考えているのは『鹿の園』の方——」
「お嬢様‼その言葉を口にするものではありません‼」
椅子を転がし、飛び跳ねたのはカミラ。先まで泣き崩れていたのに忙しい女である。
激高するのも無理はない。大王ロイ十五世が寵姫政治を始めたきっかけになった唾棄すべき園。
本来は教会が行うべき弱者の保護を、教会以外の者が同じようなことをしていた。
だが、保護されていたのは主に女児。ロイ十五世、絶倫王の体力に耐えられなくなった王妃が差し出したか弱い小鹿たち。
大義を重んじるラングドシャ家の人間が口にしてはならぬ言葉に違いない。
しかし、ロイルートではこれが正解なのだ。
「ご都合主義のワールドプリンセス、それが彼女。カミラ、その園を寵姫も利用していたのでしょう?直接的な意味ではなく、他の貴族令嬢に寵姫の座を奪われない為に。」
寵姫政治は華やかな文化を齎した半面、国政を存分に腐らせた。一族の誰かが王の目に留まれば、上流貴族になれる。
だから、次々に貴族の娘が宮殿を訪れる。次の寵姫は自分だ、と女達があの手この手を王に差し出す。
「そのようですね。時の王妃が他の貴族に権力を奪われないよう、身分のない女児を集めたことで生まれました。しかしながら王妃も人間です。日々に疲れ果て、全てを諦めたことで寵姫が誕生しました。ただ、その寵姫も人間なのです。……いえ、恐るべきは大王の生命力です。」
その血を引くのがマリーの許嫁である。だが、ロイはアリス目線では正義の男。
実は彼が鹿の園から連れ出した小鹿が——
「ただ、私達ラングドシャ家でも、他国の人間でもその存在を知っている。つまり……」
「まさか⁉そのアリスというネズミは、どこぞの貴族が密かに送り込んだ娘ってことですか⁉そんな……、唾棄すべき園に自分の娘を、しかも平民として扱うなんて……」
終始、妹のルミラに圧倒されていたサミラが突然頭を抱えた。
だが、それが正解である。但し——
「そう。でも、今はその可能性もある、としか言えないわ。実は由緒正しき貴族の娘でしたってオチもあり得るの。」
ロイルートのアリスであれば、の話なのだ。
これが『どこの馬の骨かも分からない』、マリーが恐れる存在であり、世界の中心の正体。
——ルートによってアリスの出自は変わる。
これがご都合主義プリンセス・アリスの姿である。
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