第18話 私、信仰心だけは誰にも負けませんのよ?

 マリーは裁判にかけられそうになったことを訴えようとは思っていなかった。

 だって、裁判にかけられることは知っていたのだ。


 今までの素行、フィフスプリンスのシナリオ、アリスという世界の中心が存在していることを踏まえると、成程確かに裁かれても仕方ない。

 だが、例えあの時裁かれたとしても、納得がいかないことがある。


「それとも、まさか本当に新教派に改宗されたのですか?」

「馬鹿な。私はベルトニカ王国の継承者だぞ。新教に改宗する筈がない。あれはそういう役だと言っている。」


 そういう話だったらしい。そして、そこでマリーは形の良い胸を撫でおろす。

 一安心、という安堵の顔。


「あぁ、本当に良かった。演じられていたのですね。……でしたら、ランスロット様やジークフリート様が原初派でしたの?どちらにしても、私が魔女役だなんて酷いですわっ」


 だが、彼女はまだ女同士でしか分からない怒りを孕んだ、愛らしい笑みでしかない。

 男ばかりの王子様軍では、彼女の策を見抜けないのだろう。


「うーん。普段刺激を求めているようだから、私はあれくらいやった方が良いと思ったのだ。気分を害したのなら、その申し訳なかったな」


 目にうっすら涙を溜めた許嫁に対して、彼はあくまで善人であろうとする。いや悪魔の善人の間違いか。

 そして、場の空気が変わったのを察したのか、あの男が見えない戦場に馳せ参じてきた。


「そうだぞー。マリーちゃん、可哀そうだったじゃんかー。僕はずーっと反対してたんだからねー。そうそう、因みに僕が原初派役だったんだよー」


 銀髪の美男子、いやコウモリ男。だが、実は彼が許嫁であれば、マリーもここまで怒りはしなかった、かもしれない。


「ランスロット‼余計なことを言うな。それにこれは私たちの問題だ。」

「あぁ。そうだぞ、ランスロット。俺たちが絡むとややこしくなる」


 そして彼はあっさりと赤毛の大男に捉われて、戦場から消えた。

 未来のお姫様にとっては、観客は多い方が良かったのだけれど。


「本当に殿下は人が悪いです。ベルトニカ王国の先々代の国王は宗派をコロコロと変えていたと聞きます。そうしなければ宗教戦争で王国がバラバラになっていたのでしょうけれど。でも、今はそういう時代ではありませんよね、貴方?」


 まだ一線は越えられぬが、マリーがロイに近づくことは自然なこと。神に約束されている正しいことである。

 だから愛らしい未来の妃を、王子の側近は止められない。

 大男の城壁を彼女はあっさりと潜り抜けた。すると、目の前には未来の夫がいる。


「あぁ。我々は神に愛されしベルトニカの人間だ。それは神の代弁者たる教皇もお認めになっている。」

「流石はロイ殿下です。……では、主エメラスとの約束は果たされますよね?」


 マリーが磨いていたのは、この刃である。


「……無論だ。主を裏切ることなど、どうしてできようか?」

「——だ、そうよ。アリスちゃん。殿下は主との約束を破らないんですって?本当、貴女に同情しちゃうわ。」


 そして、ついにマリーは未知に向かって、笑顔を向けた。

 ロイ王子は原初派で神との約束は果たすらしい。

 ならば、彼が居るなら未知との遭遇も怖くはない。


「え……。マリー様、それはどういう?」

「あら、やっぱりマリーちゃんって新教派なの?それとも今流行りの唾棄すべき無神論者?」

「ち、違います。私は主を信じています。」

「マリー!アリスは関係ないだろ‼俺はお前と話しているだけだ。」


 その通り、彼の発言でアリスは無関係になった。彼の言葉が真実ならば、だが。

 ただ、彼まで関係ないと言い放ったのなら、未知の少女を憐れむべきであろう。

 だから、マリーはアリスに慈愛に満ちた表情を、更には可哀そうな捨て猫を見た時のような悲しみを向けた。


「そうね。でも、忠告はしてあげなくちゃ。愛憎塗れの宮殿の隅で泣くことになったら、可哀そうでしょう?」


 その瞬間、ロイの瞼が大きく跳ね上がった。これが彼の心を抉る刃物である。

 そも、原初派の教義に結婚はあっても離婚はない。そして婚約も神に誓いを立てたのだから、婚約破棄も存在しない。


「違う!私は愛人など作らない‼父と母と約束したんだ‼」


 そして、ロイは原初派と宣言した、つまり婚約破棄は出来ない。

 ただ実は、新教派には離婚の概念がある。だから彼が改宗したというなら、アリス・ロイルートの可能性は十分にあった。

 勿論、その時はその時でマリーにも逃げ道が生まれるのだが。


 因みに、新教派は『聖典と向き合うべき』と唱え、『今の教会を簡単に信仰するな』と唱えている。

 ランスロットの故郷が新教派になったのは、当時のグリトス王が王妃と離婚したかったから。それはこの世界ではよく知られていることだ。


「……そっか。私、そういう風に映ってたんだ。そうだよ!愛人なんて作ったら奥さんが可哀そうだもん。それじゃ、私行くね!マリー様、妙な誤解をさせてしまってすみませんでした!」


 アリスは深々と頭を下げ、そして背中を向けた。

 そんな可哀そうな少女を見て、殿下は言う。


「違う!アリス、そういうことじゃ——」

「何が違うのよ。そういうことでしょ?これはアリスちゃんの為よ。私、今朝スラリー夫人と会って来たわ。殿下はあの子を魔の巣窟に放り込みたいわけ?」

「そんなわけ——、……もういい。とにかくあれはただのごっこ遊びだ。お前たち、行くぞ。今日の授業はつまらない。」


 勿論、彼が成人を果たして、今王が死に、彼が王になれば改宗は可能だろう。

 だが、全生徒の前で現時点の彼が宣言するわけにはいかない。


「殿下!私は殿下のことを信じておりましてよ。」

「……何を当たり前のことを。行くぞ」


 あらゆる出口を塞がれ、アリスとも距離を空けられたロイは不機嫌そうに教室から出ていった。


 そして、この件はマリーの勝ち……、——いや、話はそう簡単ではない。


「ジュリア、アネットはついて行かなくていいの?」

「私は元々、マリー様の学校での側使いとして来ておりますから」

「私もです。それが私の使命ですから」


 そんな日和見をする二人を見て、少女は肩を竦めた。

 ラングドシャ家には無限に人材がいるわけではない。

 だが、それ以上にやはり彼女は身内には甘いのだ。


「好きにしなさい。それにしても……、殿下がこのまま引き下がるとは思えないのよね。」

「え……、でも……」

「それは流石にないんじゃないですか?殿下が改宗なんて話になったら、この国はバラバラになっちゃいますよ」


 そう、普通に考えればロイのルートは初めから存在しない筈なのだ。

 だから、マリーも真理の記憶を疑ったりもした。あの仮面舞踏会の夜の時が正にソレ。

 だが、ある意味この二人のドタバタがなければ、記憶は出鱈目だったと判断したかもしれない。

 そういう意味でも、二人には側に居てもらった方が良い。異国でただ一人の女学生としての自分が寂しいから、と本心では思っている癖に、少女はあくまで打算的に二人を赦したのだ。


「嘘は良くないわね。原初派のまま、私と離縁する方法も、アリスと結ばれる方法もあるわよね?」


 両肩を分かりやすく、跳ね上げる二人。大カテジナは多種の民族がひしめくトルリア王国を一つにまとめた。

 それは心で訴える彼女の姿に皆が魅せられたから、とも言われている。

 元来、ラングドシャ家は感情が豊かな人間が生まれやすいのかもしれない。


「……はい。流石マリー様です。」

「気付かない方がおかしいわ。原初派に離婚はない。それでも離婚の仕組みは存在している。ただ、新教派よりも手順が必要なだけ。その為に真っ当な理由も必要となる。」


 神との契約を無かったことにする。それが離婚する為の条件である。

 そもそも結婚の契りを結ばせたのは教会だから、あくまで教会の仕組みを使う原初派の離婚には教会の許可が、そして理由が必要となる。

 男女がペアとなり、子供を産むのは聖典で定められたことだ。だから、例えば子供が生まれないからというのは十分な理由となる。

 非常に不愉快な話だが、妻の姦通罪も禁じられている為、離婚の理由になる。甚だムカつくことに、男には姦通罪が適用されにくい。


「今はかなり曖昧だけれども。過去の王妃は堂々と宰相と過ごしていたって聞くし。アーケイン元司祭がわざわざ口に出して、私を注意したのはそういう印象を周りに抱かせる為。……まぁ、私も不真面目だったのは否めないけれど。でも、それだけじゃなく異端審問って……」


 改宗も同じく離縁の理由になる。改宗してしまったら、教会との関係もなくなるから、離縁どころではないのだけれど。

 更には異端者に、異教崇拝つまり悪魔崇拝。


「とにかく殿下がアリスと結ばれる条件の一つが、私との婚約をなかったことにすること。その為には私を罪人にする必要があった。政略結婚の相手と離縁するのよ。私が拒めば教会も認めない筈だもの。」


 政略結婚に利用されるのは、女だけではない。政略結婚において、王子は最強のカードとして使われる。

 逆を言えば、婚約破棄にもそれ相応の理由が必要になる。


 つまりアリス・ロイルートは、マリーの屍なくしてはあり得ないのである。


「そこまで気付かれて……。それなのに、私たちを赦して下さるんですか?」

「えぇ。二人のお蔭で気付けたんだもの。それに……、——私を誰だと思っているの?」 

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