第16話 私、陰口や陰湿な虐めは嫌いですの

 バロック様式の荘厳な宮殿。部屋の数は百もあると言われている。

 周辺国に力の差を見せつけるように改築を繰り返した無駄遣いの塊。

 だが、何より。


 時間と部屋を利用して、入室できる者を階級分けした。

 人と人との間にある身分という壁を、見える形にしてしまったのが、このアルテナス宮殿である。


「……今日もアルテナスは賑やかですね。」


 そう言ったのは、アルテナス宮殿のルールに相応しい美少女。

 彼女の言葉で一瞬、部屋の空気が動きを止めた。


 エメラス教の教皇は、ベルトニカ王国を神に愛されし国と呼び、ベルトニカ王を聖なる油で神格化する。

 その一方、既に形は失われてしまった神聖メロウ帝国皇帝を、教皇は神の守護者と呼んだ。


 ラングドシャ家は皇帝を何人も生み出している神に近い家柄だ。

 だからマリーにとっては、この宮殿内の壁が殆ど見えない。


 そんな神に近い存在が、今日はアレに向かってあっさりと挨拶をした。


「——‼そ、そうですね。世界一の宮殿ですもの‼」


 返事をしたのは赤毛の女。

 美しい女に違いないが、アレは正妃を差し置いて、色香だけで王を誑かした。

 王の好みというだけで、見える筈の壁を彼女は堂々とすり抜けている。


「おお!そうであろう、そうであろう。それにしてもマリー!今日もお主は美しいなぁ。」


 マリーは自分を押し殺して、大サービスを演じた。

 すると、全身を宝石で固めた巨躯が揺れた。

 あと何年生きられるか分からない老巨躯が、エウロペ大陸の頂点に立つ男。

 神に愛されし男だ。


「有難うございます。陛下は更に輝いておいでのようで」

「いやいや。流石はラングドシャの気品には負けるわい」


 少女は、この老王に気に入られている自負がある。今まではいがみ合っていた両国ではあるが、宗教戦争が関係を変えた。

 それ故の政略結婚である。


「ほれ、マリー。もっと近くで顔を見せておくれ。今日はゆっくりできるのかい?」


 先王に負けず劣らずの絶倫男は、マリーがスラリー夫人と会話をしたことで上機嫌である。

 スラリー夫人が居なければ、金髪の少女は押し倒されていたかもしれないが。


「陛下、マリー様。その……」


 宰相ベルザックが、そこで待ったをかける。

 王は不機嫌な顔になるが先王が決めたルールには逆らえない。

 それに彼の政治は親政という名の宰相政治でもある。

 因みにマリーは襲われかねない状況に、心の中でホッとしていた。

 

「そうですね。突然の訪問、すみません。実は私……」


 だから、最初からエンジン全開で臨む。彼女は謁見序列の最中に割り込んでいる。後に続く貴族も今は敵に回せない。


「昨日……、異端審問にかけられそうになったんです。殿下がいながら……、殿下は私を……」


 大カテジナの血が彼女にも流れている証である。マリーは感情を込めて、泣きながら訴える。膝から崩れ落ちて泣き叫ぶ。

 すると宰相ベルザックは、顔を青くした。勿論、王に告げ口してきたなんて、彼には言っていない。


「なんと?異端審問じゃと?」


 勿論、王も慌てている。ムカつくことにスラリーだけは、どこ吹く風。

 だが、舌打ちしそうになる口を噛み殺して更に訴える。


「殿下が助けてくれないんです……。それどころかノイマール公の息子と……リッヒガルトの息子と共謀して……。わた……、私を業火に突き落とそうと……」


 あのミサをなかったことにする?どうして?何のために?

 アレはあの場から立ち去る為の方便である。


「ノイマールのクソガキと田舎騎士の坊主……。あいつらとはつるむなと言っておるのに。ロイは何を考えている……」


 信仰を認めるという勅令があるとはいえ、ベルトニカ国王は原初派である。更に言えば、諸侯貴族の殆どが原初派である。

 だから次期国王が新教派だという噂が立てばどうなるか。


「陛下、マリー様。落ち着いてください。殿下がそのようなことをする筈ありませんよ。それに……、マリー様。貴女たちは未来の夫婦でしょう?殿下としっかり話し合いなさい。」

「そんなこと……言われたって……。だって本当のことなんですよ!あのミサには殆どの生徒が参加していました。証人はいっぱいいます。」


 スラリーが邪魔をするのは織り込み済みだ。

 だが、もう一人予定外の邪魔ものがいたらしい。


「確か、司祭代理のベルセデ殿がミサは延期になったと。私はそのように聞いておりますが。」


 宰相が余計なことを、いやあの小物が余計なことを言ったらしい。

 そして、マリーはその瞬間にこの後の展開が読めてしまった。

 つまりアーケインの還俗が、マリーが噂を流したことで早まったのだ。しかもきっちり置き土産まで用意していた。

 アレに仕事を任せるとは、そういう意味も含まれていたのだろう。


「そっか。原初派のミサに新教派が入っているの、おかしいと思ったの。うーん、言いにくいんだけれど、マリー様は殿下にからかわれただけなんじゃない?」


 あのミサを開いた者は司祭ではない。否、主催がいなかったのだから、公式にミサと認められないただの集会なのだ。

 糾弾された身としては、舌打ちしそうになる考え方。


(ううん、違う。先回りされたんだわ。私だって、記憶がなければ目を疑う状況だった。前代未聞のミサ、それを利用された。それでも——)


「悪戯にしては度を越しています‼殺されるかと思ったんです、私は……、私は……」


 シャール13世だけなら、どうにかなっただろう。

 だが、元々仲の悪いスラリー夫人と、貴族の目を気にする宰相、更にはアレをなかったことにしたい教会が、マリーの訴えを遮断する。

 やはり、今の彼女では分が悪い。

 妙な法律のせいでマリーもロイもランスロットもジークフリートもカルロスも、この国ではまだ子供。

 そして、仕方なかったこととはいえ、責任者であるアーケインを先に還俗させてしまった。


「わ、分かったからもう泣くな。……あれだ。ロイには友人を選べと言っておく。」

「ささ、マリー様。陛下は謁見の途中ですので、この辺で」

「マリー様。殿下とじっくり話し合うのよー。きっと殿下はマリー様に構って貰いたいのよ。」


 その言葉に少女は弱弱しく立ち上がった。

 最後まで悲哀の少女として、陛下に頭を下げて水晶の間を後にする。

 途中で王に謁見する為に集まった貴族連中ともそれ違ったが、終始悲哀を漂わせた彼女に話しかけてくる者はいない。


 そんな悲しみに暮れた少女を御者のヨハンが出迎えたのだが。


「お帰りなさいませ、お嬢様。陛下とは有意義な時間を過ごせましたか?」


 彼は普段通りの対応をした。特に動揺している様子もない。

 というのも、マリーの様子は今日の朝と何も変わっていないからだ。

 まさか、彼の主人が泣き崩れていたなんて、想像だにしていないだろう。


「まぁ、こんなものでしょう。それより待たせて悪かったわね。今から急いで学校に向かってもらえる?」


 彼女は悲しみに暮れた面影を宮殿に置いてきた。

 マリー・ラングドシャが告げ口をしたのは、ただの嫌がらせである。

 彼女はトルリア人であり、王に訴えたところで王の継承者を貶められるとは思っていない。


「畏まりました、お嬢様!」


 いつものように馬車に乗り、そして遅刻をする。

 そして、彼女はウソ泣きを止めたばかりの顔で、宮殿にうろんな目を向けた。


「腐りきった宮殿。最初から期待はしていないわ。でもね、ロイ。火のないところに煙は立たないの。私は別に陰口なんて気にしていなかったけど、貴方はどうかしらね。」


 ここで、真理という記憶が最初に思ったことを代弁する。

 二人の記憶は同化してしまったから、彼女は既にそれが当たり前だと思っているのだが。


 だが、敢えて分けて考えるなら、真理はマリーに対してこう思っている。


 彼女は思った以上に、考えることが出来る女性だ、と。

 13歳からそこらで結婚していたなら、こうではなかっただろう。

 でも、今の彼女は嫌々ながらも17歳まで学校に通っていた。

 ゲームやおしゃれや仮面舞踏会が大好きだが、それだけの女ではない。


 かのマリー・アントワネットも押し付けられたイメージが先行している。

 だから、マリー・ラングドシャもフィフスプリンスでは語られない面を持っていても不思議ではなかった。


「さて、フィアンセ様。流石にアレはやり過ぎだわ。そろそろ許嫁の意味を理解してもらいましょうか」

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