第15話 私、寛容な性格だと思っていますが、許せないことには立ち向かうべきだと思うのです。
「それでは行ってきますね。」
「はい。行ってらっしゃいませお嬢さ……ま?」
ラングドシャ家の平和の象徴、マリー・ラングドシャを侍女のサミラが見送った。
彼女は侍女頭カミラの妹で、更に下にルミラがいる。
暫く前から、次期王妃の側近を自称していた二人の働きが悪くなった。
そんな手紙をマリーは実家に送っていたのだが、白羽の矢が立ったのはカミラの妹二人であった。
「ん。どうしました、サミラ?」
「あの。申し訳ありません。私、失礼を働きましたのでしょう?」
トルリアにも色んな情報が入っている。大カテジナの孫であるマリーの噂も相当入っている。
我が儘で、贅沢で、お洒落好きで、賭博めいたゲームが大好きな、ラングドシャから派遣されたトルリア大使も手を焼いているという噂の彼女。
彼女は親戚の二人が気に入らないから誰かを寄越すようにと手紙に書いた。
サミラはそう思っていたので、不機嫌顔のお嬢様に先んじて謝っておいた。
ただ、そう言うと彼女は不思議そうに首を傾げた。
「え?いいえ。流石、ラングドシャ家で教育を受けた人間だと、感心しているくらいですよ?」
「あ、そ、そうですか。その……、有難うございます。」
深々と頭を下げる侍女を見て、マリーは肩を竦めた。
そういえば、昔。祖母に注意されたことがあった。
「私、感情がそのまま表に出ていたのですね。サミラ、気にすることはありませんよ。私が腹を立てているのは、学校に居るある人物ですから。」
「そ、そうでしたか。あの、マリー様、陛下に言伝を頼まれました。恐縮ですが、品行方正には気をつけろ……と。……ひ!」
今にも泣きだしそうな侍女を前に、陛下の妹である彼女は竦ませた肩を大きく落とした。
また、怖い顔をしてしまった。相手は彼女の後ろに透けて見える兄上に対してだが。
(お兄ちゃん、遅すぎるわよ。どうして、もっと早くそれを言ってくれないの‼ミサをなかったことにしてなかったら、私はここに居なかったかもしれないのよ‼)
しかし。
実はこの手の小言は何度も言われている。ずっと無視を続けていたマリーが悪い。
今だから、素直に兄の忠告を受け入れられただけだ。
「分かっていますわ。いえ、流石に私もやりすぎたと自覚しております。」
「そ、それでは。陛下には私からお返事を——」
「いえ。返事は結構よ。どうしても、気に入らない奴がいるの。そいつをどうにかしたいから、今返事を書くとサミラが嘘つきになってしまうわ。」
そう、マリーがこのまま大人しくなったとしても、運命は変わらない。
あれはただ引き延ばしただけ。いや、そんなことよりもだ。
「あいつだけはマジでムカつく。どのルートでも、私が追い込まれるって意味が分かんない‼」
「はぅぅ……。い、いってらっしゃいませ」
追い詰められている。だが、ブチ切れてもいる。
昨晩は恐怖が勝ったが、今朝になってブチ切れたのだ。
「ヨハン。急ぎで宜しく!遅刻は厳禁よ!」
「はい‼」
ジュリアとアネットはいない。昨日の出来事を振り返ると、彼女たちは手のひらを返していない。
二人の出番は、アーケイン司祭が分厚い資料を持ってきてから。
強いて言うなら、普段からマリーの側に居ながら、あの時マリー側に立たなかったことくらい。
それを気にしてか、いつものように迎えに来ていないから、車内がとても寂しく感じる。
「二人とも。今から謝ったら許してあげるのに……」
身内には激アマのマリー。もしくは一人きりの登校があまりにも寂しかったからか。
つまらない話をいつもダラダラと話していたものだ。いや他の女の悪口だったかもしれない、特にあの平民女への悪口ばかりだったかもしれない。
「普段から、マリー様はあの平民を見下していました。私たちは怖くて頷くしかありませんでした。……確か、そう言うんだっけ。つまり、私は怖い。さっきの新しい侍女なんて竦み上がっていたしね」
鳶色の髪の侍女の反応を思い出し、少女は溜め息を吐いた。
兄上に言われるまでもなく、少女が持つ権力は途方もない。
それでも、簡単に処刑されてしまうか弱い娘だ。だから、裏切っていたと分かった後も、二人の安否が気になって仕方ない。
「アーケインの帰郷が二人のせいにされていないかしら。アレは私が流した噂だというのに。しかも事実だし。そもそも、調整不足はあっち側でしょ?」
マリーはミサの開催自体が延期されると思っていた。
だがミサは執り行われ、あのイベントの引き金さえも引かれてしまった。
やはり、あの二人のことが心配になる。マリーが怖いなら、あの五人だって怖い力を持っていることになる。
「それにしても、やっぱりムカつく。アイツ、何なの?」
それでも一人だけ。ムカついて仕方のない奴がいる。
だから、マリーは朝早くに馬車に乗った。兄に素行を正せと言われたから遅刻厳禁。
だが、実は今日のマリーは遅刻する気満々である。
ヨハンが走らせる馬は、実は学校には向かっていないのだから。
◇
アルテネス宮殿は先王時代に建設が始まり、今王の時代に完成した。
場所はパリーニの少し南。パリーニ市を挟んでマリーが暮らすバロア宮がある。
だから、マリーを乗せた派手な馬車はパリーニを素通りしている。
「相変わらず、大きな宮殿ですこと。」
噂では宗教戦争で多くの血が流れたパリーニを嫌って、狩猟小屋しかなかったアルテ地区に王の居城を構えたとか。
他国に類を見ない巨大で豪奢な建築物を、ロイ15世がただ建てたかっただけとも言われているが。
「おお!マリー様ではありませんか」
彼女が馬車から降りる前に、近づいてくる老齢の男。
老齢でも腰は曲がっておらず、優雅なたたずまいの好々爺。
「ベルザック様、お久しぶりです」
寵姫政治と呼ばれていても、寵姫だけで国は動かせない。彼こそが国の脳神経である宰相ベルザック、その人である。
「申し訳ありませんが、殿下は既に学校に向かわれております。」
「存じておりますわ。私は久しぶりに未来のお父様と話がしたいのです。」
マリーが早起きした理由がソレである。
あのアリスに出来なくて、自分には出来ることで、最初に思いつくのがコレだった。
「そうでありましたか。ですが、学校に通わねばならぬのはマリー様も同じでは?」
「それはそうですけど……。宰相様ならご存じなのでは?司祭様がお国に戻られたんです。神に愛されし我が国で、神学と言えばアーケイン様でしょう?司祭様は不在、それなら猊下ともお付き合いのある陛下のお話を聞く方が価値がありますでしょう?確か、今なら朝食の後の枠に潜り込める筈ですよね?」
「なるほど。トルリアは敬虔な国。流石はマリー様ですな。」
真理にはないが、マリーには自信があった。愛嬌だけなら誰にも負けない。
だから闇深い宰相さえ、彼女の前では簡単に屈する。
ただ、それこそ真理が知らない別の脅威も、ここには存在する。
「——ですが、今はスラリー夫人がおりますぞ。」
そう、ベルトニカ王国は寵姫政治真っ只中である。マリーがアルテネス宮殿に足を運ばなかったのは、愛人の癖にでしゃばる女がいるから。
真理の記憶にある筈がない。
アリスがロイと結ばれたなら、いずれ彼女と対決することになるのかもしれないが。
残念ながら、ゲームは卒業後にヒーローと結婚してハッピーエンドなのだ。
フィフスプリンスは恋愛ゲームであり、人生ゲームではない。
だが。
「構いませんよ。スラリー伯爵のご婦人ですもの。仲良くしなければなりませんよね。」
マリーは強張りそうになる顔を強引にねじ伏せて、愛嬌のある笑顔で応えた。
どこの馬の骨とも知れぬアリスよりは、圧倒的にマシなのだ。
スラリー夫人の存在は倫理的にも宗教的にも唾棄すべき存在だが、どの馬の骨かは知っている。
これには宰相ベルザックも目を剥くしかない。
「それならば、是非に。今すぐ水晶の間に参りましょう!」
「はい!私、未来のお父様にお話ししたいことがあるのです!」
つまり、マリーが思いついた最初の一手は国王への告げ口である。
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