第14話 私、悪夢を見てしまいましたの。

 マリー・ラングドシャがベルトニカ国王から賜ったバロア宮は、パリーニから馬車で一時間の小高い丘にある。

 小さな宮殿であるが、パリーニ市を一望できるし、最近改築されて現代風にアレンジされているしで、とんでもなく高級な邸宅に違いない。


 因みに、マリーが駄々をこねて城一つプレゼントしてもらったことになっている曰く付きの宮殿である。


 本来なら婚約決定後に直ぐ結婚して、王とロイが住む巨大水晶の宮殿アルテネスで暮らす予定だった。

 突然の法改正に、マリーの祖母『大カテジナ』が猛抗議して、シャール13世からもぎ取ったというのが、事の真相である。

 ただ、宮殿を改築させたのはマリーの我が儘であり、その改築が人々には城を一つ建てさせたと映ったのだ。

 改築に、超一流の建築士を招いたのだから、「マリーが国王に建てさせた」というのもあながち間違いではない。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 もしかしたら幽閉されて、二度と戻ってこないかもとは侍女頭のカミラには話していない。

 彼女の予想通り、帰宅の馬車にジュリアとアネットの姿はなかった。


「ただいま。今すぐ寝巻に着替えたいの。なんだか、疲れちゃった。」


 彼女は勝った訳ではない。あくまで引き延ばしに成功しただけだ。

 実際、アーケイン司祭は直ぐに戻ってくる。フィフスプリンスのシナリオ通りなら、アーケイン・マルチスというマルチス王の王子様になって戻ってくる。

 そして、司祭ではなく大学の教師という肩書で現れるのだ。


「これで宗教裁判の目途がつかなくなった。これは大きなメリットだけれど……」


 ベッドで丸くなる金髪の美少女。彼女の顔は勝者のソレではない。

 彼女は凱旋を果たしたのではなく、逃げ帰っただけだ。


「どこの馬の骨か分からない。それがアリス……」


 副司祭では話にならなかった裁判ごっこで、マリーの逆転は誰の目にも明らかだった。そのままアリスを異端者として裁くのだろうと、あの中の半数は考えていただろう。

 だが、今彼女は震えている。


「怖い。彼女は何だと言うの……?」


 そう、マリーはアリスを見た瞬間、彼女に恐怖したのだ。


     ◇


 埃まみれの石廊下、歩く度に雑菌塗れの粉が舞う。

 目の前には不器用に甲冑を身につけている男たちがいる。


「あ……」


 彼らが立っている場所の向こう側は明るく、そのせいで何かに躓いてしまった。


「おい。いてぇぞ」

「……失礼しました。」


 石廊下には他にも男がいて、彼の足で転んでしまったらしい。

 彼も知らない男、目の前の出口か入口か分からない向こう側に立っているのも知らない男たちだ。


「大丈夫ですか?」


 そんな中、手を差し伸べてくれるキャソックの男。一瞬、アーケインかと思ったが、彼はもう教会の人間ではないのだと、彼女は溜め息を吐いた。


「はい。申し訳ありません。」

「いえいえ。貴女の肉体を助けることはできませんが、貴女の魂は助けることが出来ます。何か、懺悔をすることはありますか?神エメラスはきっとお許しになってくれるでしょう」


 ロイの祖父の祖父、ロイ十五世は自らの死を悟った時、世界中から高名な僧侶を呼び寄せたという。

 それは彼の懺悔を聞いた当時のパリーニ司祭が、彼の罪は自分一人では手に余ると考えてのことだったらしい。

 そして、この女も幽閉中ににいくつか懺悔をしてきた。

 そんな彼女、マリーは彼に言った。


「少々、やりすぎてしまったかもしれません」

「そうですか。そうでしょうね。ですが、私が祈りましょう。貴女の罪が許されるように——」


 ふらつく足で歩き始める。光のある方へ歩いていく。そこで彼女のアラバスターのように美しい肌は青く染まってしまうのだけれど。


「これはロイが研究に携わっていたもの……ね。途中で止まってしまわぬように、斜めにしたのでしたっけ」


 そういえば、そんな研究を大学で行っていたと、今になって思い出す。

 頭を刈り取ることにしか使えない巨大な装置だ。


「トルリアの魔女が出て来たぜぇ!」

「見て、悪魔のあの髪。どれだけ金貨を食べてたんだろうねぇ!」


 下民がマリーを嘲笑する。考えられないことが現実に起きている。

 どっちが悪魔か、それは彼女にも分からない。

 分かっているのは、抵抗の術は全て奪われてしまっているということ。

 狂った民衆に一人だって、英雄は紛れ込んでいないということ。


 だから、彼女は愚かな群衆に向けて吐き捨てる。


「地獄に落ちてしまえ」


 その瞬間、骨が折れるほどの力で背中を押された。実際に折れたかもしれない。

 既に複数の骨は折れているからよく分からない。

 そして、間もなく体が固定される。

 更に、マリーの言葉に怒り狂った民は殺せ、殺せと合唱を始め、投石する者まで現れた。


「パリーニに集まった紳士淑女のみなさん!投石は止めてくだ……、——駄目だな。さっさとやっちまおう」


 兵士もどきの声に彼女はついに死を悟る。

 そして、最後に彼女が紡い言葉は——


「私は悪くないのに……」


     ◇


 間接照明用の魔法灯でほのかに明るい部屋で、マリーはバネの留め具が壊れたかのように、上半身だけ跳ね上げた。

 薄暗い中、彼女は目を凝らした。そこには埃っぽい石壁ではなく、ベルトニカ国一のデザイナーが北の街タリンダルの職人に作らせた壁紙が見える。


「夢……。アレが断頭台で処刑される私。」


 この終わり方も真理の記憶にはある。幽閉された後に、一方的な裁判を行われる結末。

 勿論、フィフスプリンスの主人公はアリスだ。だから、次期王妃がそんな結末を迎えても、彼女の恋愛劇は続いていく。

 アリスにとってはお邪魔虫が駆除されるサブイベントでしかない。

 彼女にとっての真のボスとは、フィフスプリンスであり、彼女の武器は彼らのハートを射止める愛の矢だ。


「汗が気持ち悪い。このままだと風邪をひきそうだわ。誰か……、いえ。」


 ラングドシャの実家では幼いながら一人で着替えをしていた。そして真理の記憶も同じ。

 流石に恐怖の涙で濡らした顔を見せるのは躊躇われた。

 彼らと繋がっているジュリアとアネットが戻って、彼女達に「マリーは追い詰められている」と悟られるのも不味い。


「ふしだらな王とはいえ、先王も良い習慣を残したものだわ。正確には彼が寵愛した愛人のお蔭か……」


 先王の次代に凝り固まっていた服装が、グッと現代的なものに変わったらしい。ルイ十五世は魔力も体力も、そして性力も旺盛だったと、祖母から教わった。

 トルリアとベルトニカの関係が悪かった時代の話だが。


「それにしても、本当にどこの誰なの?……そもそも、私が知っているアリスと同一人物なの?そもそも、アリスとは限らないのだし。」


 ここで、彼女がゲームヒロインに恐怖を抱く理由の一つが明かされる。

 フィフスプリンスのヒロインの名前はプレイヤーによって変わる。変えられると言った方が良いだろう。

 更に、髪の色や長さも異なっている。


 ——真理の記憶ではゲームシステムの一つだが、マリーにとっては不気味でしかない。


 真理とマリーの意識は共有されているから、マリーにもあれが世界の中心だと分かる。

 だが、記憶にある彼女はあらゆる名前で登場している。

 そして、見た目も今回が偶々、栗毛色の少女というだけ。マリーに負けず劣らずの金色の髪で登場することもある。


 それなのに、真理は知っているのだ。

 どんな見た目でも、どんな名前でも、彼女は同じ人間であり、世界の中心なのだ。


「どう考えても化け物じゃない。それに——」


 このもう一つの真理の記憶が厄介なのだ。主人公アリスが死ぬルートは存在しない。

 世界の中心が無くなれば、この世界も終わってしまうだろう、ということ。


「もう、逃げるしかない。……その為には彼女のパートナーが誰になるのか見極めないと。それにまずはあの男をどうにかしないといけないわね。」


 彼女は異端審問イベントを遅らせることには成功した。

 先延ばしにしたことを、運命が変わったと言えるかはさておき、少なくとも記憶とは違う現象を起こせたのは事実だ。


 だから、ささやかな希望を胸に、マリー・ラングドシャは新たな朝を迎えた。

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